見出し画像

命と「もったいない」の関係性

狩猟で獲った獲物は
全部持ち帰って
余す所なく使う、というのが
「良い事」のように考える人は多い。

だがこれは、
悪いことではないが、
大して良いことでもない。

そんな話をしてみたいと思う。

自然界のルール


そもそも考えてみてほしい。

シカなどは平均寿命は3〜4年なので
人が獲らなくでも
1〜2年で他の野生動物の餌になる。

鳥や虫や微生物も食って
「命を繋ぎ、冬を越す」事ができる。

その後、分解され、
全て「山に還る」事になる。

山の中で鹿などが死んでも、
また山に還り、その養分で植物が育ち、
またそれをシカが食うわけだ。

だから命は
「死んだら終わり」ではなく
途切れることなく「循環」して
繋がっているわけだ。

いわばこれが「自然界のルール」だ。

人間界は「還さない」


でも、
人間が獲物を一度持ち帰ってしまうと、
「山」や「自然」に還ることはない。

我々の糞尿すら処理施設で処理され
自然に還らず「ゴミ」になるからだ。



もし、「もったいない」と
持ち帰った獲物を
余すところなく使ったところで

食べた分は処理施設で「ゴミ」になり、
食べなかった分はそのまま「ゴミ」になり、
使わなかった部分も「ゴミ」になり、
使った部分も、使わなくなれば
いずれは「ゴミ」になる。

一度人間界に持ち帰ってしまったら
最後まで見ると、
結局ゴミにしかならないのだ。



そして、ゴミは燃やされ灰にされ埋められて、
「山」や「自然」に還ることはない。

だから
命を繋ぐ連鎖は「途切れて」しまう。

これは少なくとも
「自然に対する恩返し」には
一つもなっていないわけ。

一度持って帰ったものに対して
「せっかく持って帰ったから」には
すぐにゴミにするのは「もったいない」と
思うのは当然だが、

現代は
最終的にどうやったってゴミになる。
つまり人の気分の話でしかないのだ。

「供養」や「免罪符」にはならない


だから間違っても、
何一つ「供養」のような事にはならない。
動物を屠殺する「免罪符」にもならない。

人間界に持ち帰った時点で
命は途切させている、つまり
本当の意味で「殺して」しまうのだから。

残滓問題について


ちなみに、当然の事だが
「残滓をその辺に捨ててこい」と
いっているわけではない。

残滓が人里近くにあれば、
クマが人里近くに付く。

それは地域の人々を
「危険」に晒す行為だ。

「人」を危険から守るために
「人のルール」が存在する。

ハンターは、その人間界と自然界を
行き来するのだから、
その両方にあるルールとその成り立ちを
理解しなければならないだろう。

そういう話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?