愛という処世術
愛することの必要性と優位性
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【 Ⅰ 】
人の心がわからなかった。
当然幸せもわからなかった。
心がある意味がわからなかった。
当然愛することなどわからなかった。
少年の頃。
生徒のふりは出来た。
でもやる意味はわからなかった。
優等生が何を意味するのかも知っていた。
でもそれをやりたいとは思えなかった。
友人のふりはできた。
でも、顔色を窺っていても、何もつながれない。
なら本音を出せばいいのかと。
本音を出せば傷つける。
せめて舐められまいと強い言葉を語れば。
人は離れていく。
意味がわからないし理解もできない。
人には人の数だけ好き嫌いがあり、敵を作らないことなど何千通りの自分を考えだしても不可能だと思える。
そして人間の敵意や悪意は底なしに深い。
ありえないほどに理不尽だと思った。
私の目には。
僕の目には。
学校などというものは、自分と同じサイズの鶏がいるところのように思えていた。
気まぐれで感情的で意味もわからず敵になる。
そういう鶏の群れだった。
そこに毎日行くことが憂鬱で仕方なく。
それを望む親の期待を知っていた。
その期待を裏切れない情もあった。
しかし情を持つことなど私の望んだ覚えはない。
まさに情とは生まれた時から心臓に埋め込まれた鎖だった。
この鎖がなければ、あっけなくこの世を後にできただろうに。
もしも最も傷つかない安全な生き方があるとしたら、それは墓の下にあると言える。
私はこの世に求めるものはなかった。
というか、求めるに値するほどのものがこの世にあると思えなかった。
私の少年時代に何があったか。
何も。
何もなかった。
他の人が当たり前に受け取れているらしい何かを、私はついぞ知ることができなかった。
他の人が当然のようにてにしているらしいものを、私は何も感じることができなかった。
知ることを拒否していた。
感じることを拒否していた。
知ったり感じたり、するほどの価値があるとは思えなかった。
この世はきっと、素敵な時間より苦しい時間の方がはるかに多く。
この人生は多分、思い通りになることなどごく稀で、それよりもはるかに理不尽で過酷で唐突なものだと思った。
ゆえに、知るに値せず、感じるに能わず。
結果として、何も出来なかったし、何も感じられなかった。
それが私の少年時代だった。
ゆえに、私は。
網膜から入ってくる景色を眺める脳と、それに対してリアクションを返す自分の意識と、その意識に沿って「人間社会の一員」を演じている自分の行動を眺め続けていた。
眺めているだけ。
ひたすらに傍観者だった。
無論それは苦行でしかない。
好きでない人間の一挙手一投足を眺め続けるという、凄まじい根気を要する苦行だ。
当然投げ出したくもなる。
この世に参加する気はなかった。
どれだけの財産を築いても、
どれだけの地位を積み上げても、
どれだけの尊敬を集めても、
どれだけの感謝を預かっても。
結局、最後は人は死ぬ。
終わりがあり、全て失うことは決まっている。
人間は死亡率100%である。
積み上げたものは反転し、執着すればするほどに、失う痛みとして牙を剥く。
ならば最初から積み上げない方が賢い。
そこまで分かっていながら、なぜか私は絶望するほど非合理に生きていた。
生かされていた。
それでも。
【 Ⅱ 】
その夕焼けを今も覚えている。
部屋の隅で、学生服のままに横たわりながら、西から差し込む夕陽を見ていた。
そのまっすぐな陽光が、角膜を突き抜けて私の脳髄に達した時、何かの回路が変わった。
その時、私は、世界に参加する方法が少し分かった。
「こんなにも人生に価値がないのなら、せめて誰かにくれてやる方がまだマシだ」と。
「自分の持ちうる時間は、1秒でも多く人のために使おう」と。
「本当に人生に価値がないと思うなら、1秒たりとも己のためには使うまい」と。
それならまだ価値があると。
自分の命を、生きてることを、死んでないことを、言い訳できると思った。
誰かに。
それは、自分本位に生きれるほどの主体性もなく、かといって親の期待を裏切れるほど大胆でもない私の中途半端な落とし所でもあったし。
ただ自分にとってそれは、いい大義名分のように思えた。
【 Ⅲ 】
格闘技を始めた。
どんな信念があっても、非合理の前に屈しては意味をなさないと思ったから。
絵を描き、小説を書いた。
どんな思いがあっても、それを正確に伝えることができなければ誰の心も動かせないと思ったから。
哲学の道に進んだ。
どんな力があっても、正しさを識らなければ過ちを広げるだけだと思ったから。
思いつく限り、能力と名のつくものにはできる限り興味を持ち、積極的であった。
力とは正しさを貫くためのものであり、賢さとは正しさを見極めることである。
そして、その道の果てに、証明できるとおもった。
意識一つで人間は無限に進化できるということを。
才能などこの世にはなく、比較検討も意味はなく、この世界はただ純粋に己との毎秒毎瞬続く闘争の場でしかないと。
この世において、敵とは己の中にしかない、と。
それに毎日勝ち続けるなら、人は何者かに必ずなれるのだと。
そのために、私は大学生を始めることにした。
親元を離れ京都に出た。
そして、自分を練り上げる道の中で、私は瞑想の修行に没頭した。
その後15年間。
今に至るまで。
原点は変わらない。
私はずっと自分と戦っている。
逃げ出しそうな自分。
人生を投げそうになる自分。
放り出したくなる自分。
虚しくなる自分。
そういった自分を徹底的に先回りし、生活を構成し、落ち込み自分が弱くなるポイントを分析して、先回りして潰す習慣を形成する。
そういった結果、今は自分に苦労せず常勝できるようになった。
だからこそ、こんな私だからこそ、自分との闘争に勝ちきれない人や自分の中にあるバイアスを超えられない人に、その戦い方を伝えることができる。
自分に散々苦戦した私だからこそ。
そういう仕事を預かっている。
私は人の味方ではない。
これが自分という人間の「限界」だと思いこむ意識。
その意識を超えて進化しようとする魂の味方だ。
そんなふうに生きてきた。
【 Ⅴ 】
死ぬまでに1000人を救えば、自分は割とマシな、納得のいく死に方ができると思った。
ずいぶんな英雄願望だ。
だがなんのことはない、私は多分、人の1000倍生き汚かった。
だからそれくらいはしなければならないという、それは傲慢さとも言えただろう。
私は、人に会い始めた。
自分が学び、実践し、自分の身体を使った人体実験の結果と知見を、共有し始めた。
無償で1000人以上の人と会っただろう。
やがて私は瞑想家として、俗世を離れる決意と共に、会社を離れた。
そして一定の修練を終えて。
逆に本気でこの世で「一才他者に依存しない自由」を手にすると決意し、起業した。
そして今に至っている。
歩いている最中の自分からすれば、永劫のような地獄であったし、今の自分から振り返れば、いささか滑稽にも思える季節の繰り返しだった。
【 Ⅵ 】
気がつくとずいぶんに景色は変わっていた。
あの夕焼けから数えるなら、17年間。
今にして思うのは。
過去の私に伝えたいこと。
それは。
「愛」というのは最高の処世術であるということだ。
【結論】に続く▼
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