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巌 (土門拳「土門拳の宝生寺」)

落ち着かない週末が続く。バタバタしてなにも手につかないのだ。そういうめぐりなのだろう。せめてと買った土門の写真集「土門拳の宝生寺」もしばらく机の上で放置されていたのだが、ようやく開き、そして息を呑む。ページごとに、いや、写真ごとに艶があったり、逆に艶消しにしたりと被写体に応じて質感を変えてあるのだ。土門は四十年にわたり宝生寺へ通い詰めたのだという。それは仏像や寺格を通した自分との対話として必要な時間でもあったのだ。一枚一枚の写真は大きな闇を鑿と槌で穿ち、削り、抜き出したように厳然とそこに、ある。
表紙、眼光鋭く真一文字に結んだ土門からは強烈なエゴイズムが伺えるが、その下にある如来の貌にどこか似ている。いつしか彼は如来と同化したのだろうか。巻末に添えられた彼の文は写真家という彼の矜持が体臭を伴いながら迫り来る檄文にも見えた。
土門拳は巌だ。

里俳句会、塵風、屍派 叶裕

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