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瑞々しい終幕(『杜Ⅱ 杜人同人合同句集』を読む)

コロナ禍に振り回され通しの二年が過ぎた。
その間、多くの人間は逼塞し、ある者は俯き、ある者は為政者に罵詈雑言を浴びせ、ある者は自棄となり、ある者は淡々と時を費やしてきた。世界的な病禍である。仕方ない事とはいえこんな経験は二度としたくないものだ。

そんな時、仙台の柳人、広瀬ちえみさんから一冊の句集をご恵送いただいた。『杜Ⅱ 杜人同人合同句集』。杜の都を思わせる深い緑の布張りの装丁は持てばここには揺らぎない何かがあると予感させるものだ。『川柳杜人』は創刊73年になる老舗だが、昨年12月25日発刊の268号にて終刊となってしまった。
川柳人口は公称約30万人と言われる。サラリーマン川柳を代表とするポピュラーな投稿場所もあるが、精鋭の揃う同人クラスとなるとごく少数であることは事実であろう。どのジャンルでも同人会員は結社の柱としての役割だけでなく、巷間へのアンバサダーの役割と種を撒き育てるという使命を担っていると思っている。東北随一の大都市、仙台を拠点とする「杜人」が終刊するという事実はまるで難所の灯台が廃止されるような危機感と柳人の高齢化という現実に直面したさびしさから胸騒ぎが収まらなかったが、広瀬氏の「同志と呼べる強い結束の中、エネルギーを残した状態で閉じようと同人総意で決定し、清々しさを感じながら終刊を迎えた」というコメントはこれから萌えいづるであろう下生えへ積極的に日を当てる為、大木自らがその森を去る決意をしたのだとも読め、その勇気に敬意を覚え、前向きな終幕と捉えようと思ったのである。

◯都築裕孝
唐黍のからから鳴れり父の葬
女がふたり僕の卵を生むと言う
一本の凶器を買えり初夏の市

唐黍句、文字列から吹きつける乾いた熱い風が頬を撫でる。熊谷守一の名画『焼き場の帰り』を想起する。簡略化された「父の葬」は乾いているからこそ読者の胸に万感が寄せる。


◯浮千草
どうしても芽吹いてしまう三月は
輪郭はないが隣にいるみたい
もっともっとばかになりそう おめでとう

東日本大震災から十年。世界はコロナ禍に沈殿する。震災の傷の癒えぬまま逼塞せざるを得ぬ人々に春の芽吹きは残酷に青く、瑞々しく迫ってくる。現実に耐えられなければばかになれば良いのだ。それで、よいのだ。


◯大和田八千代
さよならが言えない鳥を飼っている
がらくた市に私をヒョッと置いてくる
人の声がするので水に潜り込む

一句目、「さよならが言えない/鳥を飼っている」「さよならが言えない鳥を/飼っている」と切り方でふた通りの意味に読めるが、全体に飄々とした句風の作者からすれば悪戯っぽく笑って「どちらでも」と言うのかも知れない。


◯加藤久子
校庭に疵がたくさん咲いている
月光が棲みはじめている空き家
還らなかった父晩秋の馬光る

三句目に夭折の画家神田日勝の絶筆『馬』をおもう。北海道開拓民の子として生まれ、ベニヤ板に絵の具を重ねる独学の絵は絵画の本質を知る者のそれだ。『馬』は未完のまま絶筆となるが描かれなかった馬の半身と「還らなかった父」が重なってならぬ。


◯佐藤みさ子
かわいそうな父が嫌いでたまらない
盗品のように私の子を背負う
玄関に寝床になだれ込む道路

一句目にろくでなしのぼくを見る娘の目が、表情が重なる。人は痛がりだ。身を捩って痛みから逃れる時、人間は皆醜く歪む。それを淡々と詠むのもまた柳人なのだ、と気付かされた。


◯鈴木逸志
凪いでいる海にだまされなどしない
コンセント抜かれて僕の影がない
上弦の月にリボンを付けに行く

十年前の三月、世界の人々は「津波」の素顔をたしかに、見た。生物の母なる海は荒神のように無辜の命を奪い取って行った。その体験にいまだ苦しむ人がいる事を忘れてはならぬ。


◯鈴木せつ子
宝石の尖ったところが大きらい
無口な風鈴だった箱に入るまで
罪のない手だがしっかりと洗う

コロナ禍以前にこれほど手を洗ったことがあったろうか。洗っても洗っても落ちぬ血糊の強迫観念に怯える凶人のように目に見えぬウィルスをぼくらは日々洗い落とそうとしている。いつになれば手を洗わなくても良くなるのか。もしかしたら以後一生そのままかもしれぬ不安を覚えたりもする。「原罪」と言う語が浮かんでは消える。


◯鈴木節子
この家の畳に慣れた頃 ひとり
死に時を考えている冷凍魚
解凍の魚ゆっくり目をひらく

選びきれない。それが初見での感想であった。
豊かな措辞と柔軟な語彙は自由律俳句との境界を曖昧とし、しかし堂々としたものだ。ぼくは自らの寡聞を恥じながら冷凍された魚の、意思無き意思に目を瞠いている。


◯広瀬ちえみ
うっかりと生まれてしまう雨曜日
笑ってもよろしいかしら沼ですが
松林だっただっただっただった

偶然ではあるが作者の代表句が並んでしまった。ぼくは作者の句が大好きである。「沼のちえみ」とあだ名された作者の、心の中にある深い闇に見入られる。三句目、津波の爪痕に無残にされた景勝に絶叫する作者。この句はいつまでも忘れられない辛い代表句となった。


本書掲載句から三句ずつ抄出したが、その一つ一つには瑞々しい杜人の声がたしかにあった。杜人は創刊時より「スカンクの集団」だと言われてきたという。嫌われ者として知られるスカンクであるが、ぼくはこの名をアメリカロッキードマーチン社に昔から存在する先進開発チーム「スカンクワークス」のイメージを重ねる。クラレンス・ジョンソンをリーダーとする隠密開発チームは多くの失敗の中から現代の技術の根幹となるような先進的な戦闘機を数多く産み出し、その名を轟かせた少数精鋭の曲者集団なのである。まさに杜人そのものではないか。

曲者たちはいま野に放たれた。ぼくはこの一冊を大切に保管しよう。もしかしたら川柳史のメルクマールとなるかもしれないのだから。

里俳句会・塵風・屍派  叶裕

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