菊池洋勝「横臥漫録」を読む 叶裕

菊池という男を初めて知ったのは北大路翼の「アウトロー俳句」という本に載っていた

呼吸器と同じコンセントに聖樹 菊池洋勝

という句に出会った時だ。聞けば菊池は子供の頃に筋ジストロフィーという難病を患い、ほぼ病牀で生活をしていると言う。四十代半ばという菊池の寂寥と融通の効かない人生を良く表している名句であろう。北大路は何故この句を「アウトロー俳句」に収録したのだろうか。アウトローとは暴力に依る「無法者」という字義だけではなく社会という不定形なレールから外れた「弱い」者達を指すものだと思っている。菊池もまたアウトローの一人だ。

以前より歌舞伎町俳句一家 「屍派」主宰北大路翼は不定形な頭陀袋なのだと思っている。時としてマスコミに紹介されるようになった昨今、評価と同時に批判の声も上がる屍派。しかしそれもまた北大路の計算の範疇なのだ。平成の俳句観を根底から揺るがすような優れた句を詠む俳人から病む者、芸術家、反社の世界に住む住人等多くの「弱い」人間とそれを許容する歌舞伎町を彼の漆黒の肚へ呑み込み、時にルビーのように美しい名句をプッと吐き出すのだ。そのうちの一つが菊池の「呼吸器」の掲句であろう。北大路の目は確かである。

「横臥漫録」と言えば正岡子規の「仰臥漫録」を想起する。子規は重い脊椎カリエスから若くしてほぼ歩く事が叶わず、亡くなるまで根岸子規庵の病牀が生活の場であった。彼の名著「病牀六尺」は優れた文化批評、俳句や短歌についての考察の他にその無聊と持って行き場のない憤懣、そしてその反作用だろうか、飄々とした筆致の挿絵と共に病人とは思えぬ健啖家ぶりが日記のように記されている。時に絵筆を取る事もある菊池は子規に自らを重ね、鼓舞し、道標としているのかもしれない。筆は彼の大いなる翼だ。時に文芸を、時に絵画を描く時、菊池は自由に飛び回ることができる。その快感に気付けた者は幸せだ、と思う。

秋桜に寄りかかる身の無力感

焼き鮭の皮で茶わんを平らげる

天高し荷台に乗るを拒む牛

看護婦の夜食の匂い気にしたる

溲瓶当つ染みのシーツや秋の朝

(令和元年九月 「天高し」より)

作中やSNSの独白の中に時に性欲を持て余したような様子も散見されるが、それは満たされることのない不満ばかりではなく彼の精神が朽ちていない事を表しているのだと思っている。
病牀から触れられる娑婆はじねんとはいかず、どこか人の手で加工され、よそよそしさを伴うものだ。治療器具などの冷たい味気なさの中、人の温もりは時に歓びを、時に絶望を彼に与える。掲句にある「おいてけぼり感」はぼくの琴線に触れてやまない。

菊池洋勝。彼は病牀という絶海の孤島の住人ではあるが、それは不幸ばかりではない、と掲句を読んで思ったのである。菊池の今後の活躍を期待して止まない。

叶裕

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