最初で最後の世界1ゆるくない情報リテラシー論

今回でこの情報リテラシーの講義が終わるが。この授業から学べる事は何だったのだろうか。
この授業では主に「情報を疑う」ということがメインテーマだったと私は思っている。
疑うという行為を可能にするために今ある事実を学び、様々な知識を取り入れた上で、世の中の出来事が本当のことかどうかと言うのを確かめる、判断する力を養う講義であったと思う。
多くの人は「リテラシーの力を持て」と中学あたりから言われてきただろう。「世の中にはたくさんの嘘があり、嘘ではなくても自分にとって必要ではないものがありふれている.。その中から私たちは自分に何が必要なのかを考え、選択しなければならない」というふうに教えられてきた。これは考え方自体は決して間違えってはいないし、人にとって普遍的に正しいことである。
しかし、私はこのように教えられた教育こそ疑っている。私は現在の社会の構造そのものを疑っている。過去の哲学者の思想や、現代の哲学者、経済学者から学んだ結果、私はこの日本がこの先長く持たないと考えています。
なぜこのような考えにたどり着いたかというと、権力者によって「社会を変える意欲」が国民から剥ぎとられてしまったからです。例えば多くの人は、県庁の前でデモのような行為をしている集団を見ると、少しおかしな人達だと思うかもしれない。実際に過去の私はそう思っていた。他にも過去の学生運動のような事件を見ても、自分には全く関係のないことだろうと思うだろう。
また、就職すればそんなことを考える暇もないだろう。
政治に興味がないのは私たちのせいではない、学校が、社会が、それを支える権力者が私たちから利益を奪うために、今の社会のシステム変えさせないようにしているからだ。

日本人は学校を出て社会で働き結婚して退職して死んでいくこれが当たり前の幸せな人生のように教えられてきた。これも権力者が国民に余計な意思を待たせないための戦略だ。しかし、私たちは騙されていることに本当に気づいていないのだろうか。そんなことはない、実は多くの人たちがこれが虚構の幸せであることに気づいている。本当はもっと自由に生きて良い、と分かっているのである。しかし現代の日本において周りの人と別のことをするリスク、それを同時に教え込まれているので自分から行動が起こせない。このような何重にも重なったトラップによって私たちから社会を変えようとする意思は剥ぎとられているのだ。
だから今後日本に革命が起きる可能性は限りなく少なく。このまま将来の日本に責任を持たない権力者によって利益を追求され続け、経済は不況を抜け出せず、出生率などは減少し続け、社会としてのシステムが保てなくなるであろう。

これ以上の記述はもはや情報リテラシーに関係がなくなってしまう上に、個人的な思想が絡んでくるので、ここでまとめる。
特に若い世代の人たち、もっと疑おう。そう簡単に信じるものではない。親や学校の教師なんてものはもちろん、世の中の大半は軽く信じてはいけない。そして自分自身が培ってきたものをも疑って、自分が何をしなければいけないのかよく考えてみてほしい。

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