ぼくの人生観

生きる意味ってなんだろう?

中学校の生物の授業で、「生物は生きるために生きている」と教えてもらった。
曰く、「生物にとって一番大切なことは種を存続させること。だから僕らは死なないことが大事なんだ。僕らは生きるために生きているんだ。」と。

いや、嘘でしょ。

例えば、一緒に暮らしている犬のメル君。
お家に帰ると一目散に駆け寄ってきて、顔中舐めまわしてくれる。
顔がちょっとベトベトになるけど、めちゃくちゃ癒される。

どう考えてもメル君は生きるためだけに生きてるわけじゃない。
少なくとも僕にとっては疲れを癒してくれるという意味がある。

あれ、「僕にとっては」?

意味ってなんだろう?

でも、メル君がどれだけ僕を癒してくれても、例えば地球の裏側ブラジルにいる、見ず知らずの誰かにはなんの関係もない。
そう考えると、彼・彼女にとってはメル君はあまり意味がない存在になる。

なるほど、意味はその事実を受け取る人によって全然違うんだ。
あくまで主観的なものらしいぞ。

ということは、何か一つをとっても、その物事の意味は無数にあるってことなんだな。ふむふむ。

世の中無駄なものが多すぎる?

普段、「いや、これいらないでしょ」と思うものがたくさんある。
例えばパクチーとか、350mlのペットボトルとか、かかとに滑り止めが付いてないスニーカーソックスとか。

でもきちんと考えてみると、あくまで「僕にとっては」いらないと思えるだけなんだ。
誰かにとっては意味があることなんだ。

そう考えると、世の中意味がないものなんてない。
僕がこれ無駄だなと思っている時は、すなわち僕の視野が狭いだけなんだ。

あれ、これなんか人生損してない?

人生を謳歌するためには?

せっかく一度きりの人生、いろんなことを感じたい。
感情が揺れない人生なんてつまらない。

そのためには、自分の目の前にある物事から、なるべくたくさんの意味を感じ取らなきゃダメなんだ。
意味を感じ取れないと、何も感じずに時が過ぎ去っていくことになってしまう。

物事に対していろんな意味を感じ取れるようになるには、とにかく自分の物事の捉え方を、どんどん柔らかくするしかない。
この「物事の捉え方」のことを、僕は「哲学」と呼んでいる。
それに倣うと、僕は哲学を広く、そして深くして行かなくてはいけない。

哲学を広く、そして深くするには、まずいろんな人のいろんな哲学に触れること。
そして、いろんな物事に触れて、いろんな哲学からその物事を捉えてみること。

大事なのは、人にも物事にもバイアスを持たないこと。
そしてなんでもまずはやってみること。
よし。

僕の生きる意味

それは、自分の哲学を作り上げていくこと。

いろんな人の哲学に触れ、理解すること。

とにかくいろいろな物事を経験すること。

そして、出会った物事から、たくさんの意味を感じとること。

…うーん、これはこの先人生が豊かになるイメージしかないな。楽しみ。


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