都内ピン東の歴史(前編 2015年~2018年)
【追記】
後編を投稿しました。こちらもぜひよろしくお願いします。
前書き
日本の麻雀史を語るうえで、「雀荘」は間違いなく外せないトピックの1つでしょう。我々が麻雀と触れ合う場所として今なお一般的で、麻雀好きにカテゴライズされる人の多くは雀荘に訪れたことがあるはずです。
しかしながら、「雀荘の歴史」に焦点を当てた記事はほとんど見つかりませんでした。雀荘の歴史に関する記事もないわけではないのですが、ほとんど20世紀(さらにいえば昭和)の出来事の記述にとどまっており、2022年現在の雀荘のルール・運営形態などに至る所以の歴史を体系的に整理した記事が読みたいな~と前々から思っていました。そういうわけで、「ないなら自分で書こう!」と思い立ったのが本記事となります。
本記事では、やや各論寄りになりますが、私の知識・経験で最も書ける内容が多いであろう「2015年以降の都内ピン東」について記述します。
まず2015年当時の状況を振り返り、重要なトピックとその歴史的意義に着目しながら、どのような変遷を経て現在に至っているのかを明らかにしていきます。
私は得意分野(雀力的な意味ではないです)がピン東で、かつ2014年以前のことを実際に経験していないのでこのテーマとしておりますが、本記事を読んでくださる皆様のなかには別の得意分野をお持ちの方もいらっしゃるはずです。
「最近は全然行けてないけど、2014年ごろまではよくピン東打ってたから詳しいぜ」「関西三麻のことなら俺より詳しいやつはいねえ」などと自負される方は、ぜひご自身の知識・経験を後世に残すべく筆を執っていただけないでしょうか。楽しみに待っております。
定義
本題に入る前に、定義を示しておきます。
本記事で度々用いる「ピン東」は、以下の定義の全てにあてはまるルールを指すこととします。
四人麻雀であるもの
東風戦、あるいは条件付き東南戦と称して実質的には東風戦と同一視できるもの
ゲーム終了時に1000点100P、10000点1000P、あるいは完全順位戦で1000点100Pとウマオカに相当するPを精算するもの
「歌舞伎町ルール」は、以下の定義の全てにあてはまるルールを指すこととします。
前述の「ピン東」に当てはまるもの
祝儀が1枚1000Pであるもの
なお、営業許可をとっている場合でも、いわゆる「裏ルール」としてピン東営業をおこなっている雀荘については、原則本記事では扱わないこととします。
2010年代はピン東デフレ時代だった
ピン東のなかでも特に高レートなのは歌舞伎町ルールです。
関西や名古屋に行くと2.0以上の三麻フリーが公然と営業していますし、関東でも常連や紹介客で回している2.0以上のフリー、あるいは一見OKでソフト寄りな2.0東南フリーはあります。しかし、インターネット上での宣伝をおこなっており、一見でも簡単に入店できる雀荘としては、歌舞伎町ルールが関東で最も高レートと言えます。現在では、東京の三麻フリーもインフレしているため一概には言えなくなりましたが、少なくとも2015年当時では「歌舞伎町ルールが最も高レート」と言って差し支えないと思います。
2000年代までは都内でも2.0以上のフリー雀荘が当たり前のように存在したと聞きますし、2023年現在は後述のようにレートこそ1.0が上限ではあるものの実質レートが上がる激しいインフレが発生しているため、2010年代は都内の雀荘史のなかでも最も最高レートが低かった時代かもしれません。
2015年の歌舞伎町ルールを振り返る
それでは、関東最高峰である歌舞伎町ルールのフリー雀荘は当時どのような状況だったのでしょうか。2023年現在との比較もおこないつつ、いくつかの観点で整理してみます。
店舗数
当時23区内に存在したのは、『我が家』『ポイント』『ロード』『Sweet』『紳士倶楽部』『だんでぃ』『ダンディ』の7店舗のみでした。2023年1月現在では15店舗存在するので、2倍以上に増えています。営業している雀荘の数が年々減っているなか、歌舞伎町ルールに限って言えば、むしろ数字を伸ばしています。これは特徴的な数字といえるでしょう。
23区内と絞ったのは、調布の『天龍』が歌舞伎町ルールで営業していたようで(現在はセット営業のみ)、23区を外れると他にも隠れた歌舞伎町ルールの雀荘が存在していた可能性が高くなるからです。世界史における大航海時代以前のオーストラリア大陸のように、存在を知られていない雀荘にもそれぞれの歴史がありますが、都心を外れた雀荘はピン東史への影響度があまり高くないと考えているため、以下の記述ではあまりピックアップしないことをご了承ください。
※ この7+1店舗以外で当時営業していた雀荘をご存じの方は、ご連絡をいただけると幸いです。立地
2015年当時に存在した歌舞伎町ルールの7店舗のうち、『ダンディ』以外の6店舗は歌舞伎町に位置していました。その『ダンディ』も歌舞伎町まで徒歩10分とかからない立地で、ひとくくりに新宿エリアといっていいでしょう。
新宿エリア以外への出店がなかった理由が、「こんな高レートが見逃されるのは新宿だけだろう」という対警察的なものなのか、「こんな高レートで打てる客が集まるのは新宿だけだろう」という集客的なものなのかは不明ですが、歌舞伎町ルールが打てるのは新宿エリアだけでした。この状況は2017年12月まで続きます。ルール
ウマは現在と同じく2000-5000が主流でした。2010年ごろまではウマ3000-6000の雀荘も多かったと噂に聞きますが、2015年にはほぼ絶滅状態で、完全順位戦の『ダンディ』(ウマ3000-6000相当)が残っているくらいです。
ちなみに、『Sweet』は『みち草』という雀荘を前身として2014年にリニューアルオープンしたのですが、リニューアル時にウマを3000-6000から2000-5000に下げています。本記事で扱う期間外の出来事ですが、ピン東デフレ時代を象徴するルール変更と言えます。
一方、祝儀牌はかなりおとなしめでした。「一発赤裏ぽっちは1000P」「金や青などの特殊牌は2000P」というのは現在と同じですが、投入されている祝儀牌の枚数が少ないのです。最も祝儀Pの高い『Sweet』(赤赤青青)で6000P、次点が『ポイント』(赤赤赤金)と『紳士倶楽部』(赤赤赤ダイヤ)の5000Pで、今では多くの雀荘で実施されている「曜日限定で祝儀牌が増える系のイベント」も皆無でした。
その他のルールに関しても少し言及しておくと、永久白ぽっちツモの祝儀有無、オープンリーチの有無など、細かい点では異なる箇所もあります。とはいえ、歌舞伎町ルールの雀荘は全体的にどの店舗も似たようなルールでした。還元
ポイントカードや新規サービスのある雀荘がいくつか存在するくらいで、そこまで大きな還元でもないので、歌舞伎町ルールの雀荘においては「還元で凌ぐ」という概念がかなり希薄でした。5勝戦なんてありません。歌舞伎町ルールは純粋に麻雀で勝負する場所、という風潮が色濃く残っていた時代とも言えます。場代
2015年当時は『ダンディ』が圧倒的に安くて1卓2000円、次点が『我が家』『Sweet』の2400円で、その他は2600円でした。
現在は1卓2800円の雀荘も見られるようになり、場代の相場は上昇しています。ただし、当時は還元が少なかったので、場代効率の観点で見れば、実は今の方が優れています。
2015年の祝儀500Pピン東を振り返る
ここまで歌舞伎町ルールに焦点を当ててきましたが、ピン東=歌舞伎町ルール ではありません。2015年当時は、どちらかというと祝儀500Pの方が主流だったまであります。ちなみに、わずかに例外はありますが、ピン東はほぼ祝儀500Pか1000Pの二択です。
ここで、祝儀500Pルールのピン東についても、当時の状況を振り返ってみます。
店舗数
都内でおよそ30店舗前後あったと思われます。後述するように立地が分散しており、私が把握できていない雀荘もいくつかあるに違いないないのですが、大きくずれた数字ではないはずです。現在はおよそ25店舗前後と推察され、歌舞伎町ルールが増えた分のワリを食っている格好です。
ただし、「最近は祝儀500Pのピン東がほとんどなくなってしまった」という言説を見かけることもありますが、それは間違いで、店舗数が多いのは未だに祝儀500Pピン東なのです。あくまで、「流行しているピン東は歌舞伎町ルールであることが多い」だけです。立地
新宿に限らず、渋谷や池袋などの巨大ターミナル駅を有する繁華街エリア、六本木や赤坂などのハイソなエリア、錦糸町や巣鴨などの地域密着型エリアなど、様々なところに位置していました。歌舞伎町ルールに強いこだわりがなければ、新宿まで出なくても自分の行きやすい街でピン東を打つことが可能で、この傾向は現在も変わっていないものの、店舗数が減少しているため、選択肢はむしろ当時の方が広めでした。ルール
祝儀500Pピン東は近年の新規出店数が少ないのもありますが、当時と現在を比較して歌舞伎町ルールほどインフレ傾向は見られません。
ウマは2000-4000が主流で、1000-3000も珍しくはないといった感じでした。1000-3000(もしくは1000-2000)は普通の東南戦の主流レートと同じなので、「ソフトピン東」と称されることがよくあります。一方、2000-4000がソフトピン東の範疇とみなされることはあまりないですが、かといって歌舞伎町ルールでもなく、なんとカテゴライズすればいいのでしょうか?「ノーマルピン東」?
祝儀はちょうど歌舞伎町ルールの半分くらいです。5m・5p・5sに赤が1枚ずつと、5のどこかに金とか緑みたいな2枚扱いの特殊牌が入って計2500P、これが最も多いパターンでした。
2500Pを超える雀荘としては、3500Pの『龍門』(池袋・赤赤赤金金)、3000Pの『ビリオン』(渋谷・赤赤金金)などが挙げられます。
ちなみに、祝儀500Pピン東の特徴として、「白ポッチの多様性」が挙げられます。当時と現在で差があるわけではないのですが、歌舞伎町ルールは例外なく「永久白ポッチ」を導入しているのに対して、祝儀500Pピン東は「一発のみ白ポッチ」「白ポッチなし」のルールも多く見受けられます。もちろん永久白ポッチを導入している雀荘もあります。還元
2015年当時、あらゆるフリー雀荘のジャンルのなかで最も還元に力を入れていたのはこの祝儀500Pピン東界隈です。特にターミナル駅エリアの祝儀500Pピン東で顕著な傾向でした。
今では珍しくなくなったn勝戦も、毎日やっているのは祝儀500Pの『ファースト』(渋谷)くらいでした。(余談ですが、n勝戦を最初に実施した雀荘は、『ROSSO』の前身である『ジパング』だそうです)
この『ファースト』は、連続来店が非常に強いポイントカードなどと合わせて、還元が強かった雀荘の代表格として挙げられます。福地誠先生が雀ゴロ生活で家計を支えていたというのは有名な話ですが、その福地先生が当時最も通ったであろう雀荘も、この『ファースト』の前身『悠遊』です。
他にも、『GOD』(新宿)・『ROSSO』(渋谷)・『赤まる』(赤坂)などの雀荘では、条件を満たすことで一気にポイントが溜まるイベントや、特定の曜日限定ではあるものの5勝戦が開催されており、立ち回り次第では歌舞伎町ルールをも上回る場代効率で遊べる土壌が整っていました。場代
『ダンディ』系列の『フォーシーズン』(新宿・中野)がやはり一番安くて1卓2000円でした。恐らく一番高かったのは、『ビリオン』(渋谷)と『ピノン』(乃木坂)の1卓2600円だと思われます。相場は1卓2200~2300円程度で、大半の雀荘はこの範囲に含まれていました。現在と比較すると、当時の方が場代相場は若干低めですが、概ね同じくらいと言っても問題ないでしょう。
当時の情景はイメージできましたか?現在のピン東情勢をご存じの方であればお分かりかと思いますが、全体的にデフレ傾向で、特に歌舞伎町ルールの雀荘はこの8年間でかなり様変わりしています。
客観的なデータはないですが、当時特にお客さんの入りが良かった雀荘は、『ダンディ』『ポイント』『ROSSO』あたりかなーという印象です。
この2015年当時の情景をベースとして、各年ごとに象徴的な出来事をピックアップしていきます。
ここから先は
¥ 250
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?