ニート、哲学者になる
はじめに
最近自分の過去のことや考え方について話すことがちょくちょくあるのですが、受けがいいような気がするので、これを機に文章にしてみようかと思います。
キャッチーなタイトルにしたかったので哲学者なんて書いていますが、内容は心理学やら啓発本やらに自分の経験をちょっと足してツギハギしたような、大したことないものです。
言ってしまえば、自分語りクソポエムです。そういうのが嫌いな人は読まないことをオススメします。
できるだけ自分の考えを素直に表現するために、だいぶ砕けた表現になっていますが悪しからず。問いかけるように書いているところもありますが、あくまで自分に対して書いているもので、読んでいる人に対して疑問を投げかけたり、どうこうしろと言いたいわけではありません。
あくまで一個人の意見として、もし役に立つ部分があるなら参考にしてもらえばいいし、役に立たないなら受け流せばいいと思います。
なぜニートになったのか、価値観の崩壊
私は現在の会社に入る前に、半年間ほどニート生活をしていました。ニートになった理由は、それまで自分が良しとしてきた価値観を捨てざるを得なくなったからです。
それまでの私は、いわゆる優等生を目指して生きていました。勤勉で、優秀で、運動もできて、いい学校に入り、いい会社に入り、活躍するのを良しとしてきました。
こうした考えは生まれついてのものではなく、家族からの要求の影響が大きかったと思います。周りの友達と比べると、結果に対して厳しい家庭でした。テストでは9割取れるのが当たり前、資格試験や入試は合格するのが当たり前、スポーツの試合やピアノのコンクールなどはある程度勝って当たり前、できなければ何やってるの?と怒られる、そんな環境でした。とは言っても、絶対に医者や弁護士になれとか、世界一になれと言ったレベルではなく、上位で居続けろくらいのもので、頑張れば達成できるレベルだったと思いますが、周りと比べてなんでこんなに頑張らなければならないのだろうとよく思っていました。
というのも、本来の性格は真逆だからです。できるだけサボりたい、他人に興味がない、自分の世界に閉じこもっていたい、こだわりのあることは少なく大抵のものはどうでもいい、そんな優等生とはかけ離れた性格です。
この対極の性格にしばしば板挟みになりました。がんばりたくないけど、結果は出さないと怒られる、それは嫌だと。そこで、最低限の努力で効率よく結果を出そう、という考えになりました。これが非常によろしくない。
幼いうちは上手くいっていました。そもそもやることがそんなに難しくないし、小手先の器用さもあったのでしょう、割と初めてやることは人より早く上達していた気がします。
でも大学生になる頃にはすっかり通用しなくなりました。周りと比較して劣っている部分が目立つようになってきます。でもそれを素直に認められなかった。不思議もので、最初は怒られたくないから仕方なくだったものが、10年とか15年続けるとすっかりアイデンティティとして定着していました。自分は優等生なんだ、そうでなければ存在価値がない、そんな考えを持っていました。
そんなわけで、大学以降からは現実逃避が多くなっていきます。自分が優秀ではないと認めるのは、自分の存在を否定するのと同じことなので、認めるわけにはいかない。まあそんなこと思っても優秀ではない事実は変わらないんですけどね。そうやって騙し騙しなんとかやってきたけど、ついに事実を認めざるを得ない時がやってきます。
前職は本当に優秀な人が多い職場でした。能力もあるし、それを活かそうという意欲も高い。そんな環境に虚勢優等生が成果を出してやろうと息巻いて参戦します。当然成果なんて出せないですね。周りと同じようにやろうと思っても全然ついていけない。今まで見て見ぬふりしてきたけど、あまりにも差が大きい。初めはなんとか喰らいつこうと頑張りますが、今までそんなに頑張ったことがないので当然続かない。焦りだけが積み重なって一向に成果は出ない。そのうち、読まなきゃいけない資料があるのに文字を読んでも全く意味が頭に入ってこない状態になってしまったり、明日を迎えたくなくて寝れない状態になってしまい、退職することになります。それと同時に、それまで持っていた価値観が完全に崩れ去りました。
しばらくは、今までの人生は何だったんだろうとか、嘘と誤魔化しまみれの人生に意味はあるのかとか、そんなことばかり考えていました。しかし、良くも悪くも人間は慣れて忘れる生き物、段々と違うことを考えるようになります。
小手先の器用さでは積み重ねに敵わない
上にも書いた通り、以前の私は「最低限の努力で効率よく結果を出そう」と考えていました。これって実現可能なんでしょうか?…うん、どう考えても無理ですね。多くの人がそういう方法があったらいいなと望むものではあると思いますが、そんなものは無いんです。
何かが上達する、成長するためには、積み重ねは避けて通れないと思います。他人が10年かけて身につけたのなら、自分も10年かかる可能性が高いってことです。その過程で何度も失敗を繰り返すということです。先駆者の経験があったとしても、自分がその通りできるかは別問題です。他人の言葉や経験が、実践を通して自分のものになるには時間がかかります。
特別な能力を持っているように見える人が、特別な才能を持っているとか、特別な特訓をしてきたかというと、恐らく違うと思います。世界トップとかのレベルだと、もしかしたら違うかもしれませんが、凡人のレベルでは才能よりも努力の量が支配的な要因だと思います。違いがあるのは、別方向の何かではなく、同じ方向の努力なんです。特別な能力があるとしても、それは基礎の上に成り立つもので、基礎を強固にすることが上達、成長の一番の近道なんだと思います。
そもそも時間がかかるということを受け入れる。人生に一発逆転なんてあり得ない。だからこそ、継続することが大事。成果を焦ると、一度にたくさんやって、結果が出なくて燃え尽きる、ということがよく起きます。長期戦なのだから、1日でやる量は少なくて良い。体調が悪い時でもできるくらいの量でいいんです。そうでなきゃ長期間続けることなんてできないですからね。まずは1,2ヶ月くらいやってみて、物足りなければ量を少しずつ増やせばいいんです。
要するに地味な基礎の鍛錬を長い期間繰り返すしかないってことです。それを避けようとしても何も得られない結果になってしまいます。
誰かのせい?自分のせい?
上手くいかないことは人のせいにしたくなるものですが、それって自分のためになるんでしょうか。
失敗を受け入れるというのは精神的に負担の大きい作業です。人のせいにすることでそのストレスからは逃れられるでしょう。短期的は得があると思います。ですが、当然ながら失敗した根本原因はそのままになっているので、きっと同じ失敗を繰り返すでしょう。その度に誰かのせいにして現実逃避し続ける方がストレスは大きいんじゃないでしょうか。
私がニートになったことに関して言えば、親のせいにしたいところです。自分の性格に合わない価値観に従わされたことで苦しんだと。実際しばらくそうして生きてきましたが、それで自分の人生が良くなることは無いんですよね。
そもそも自分の生き方なのに、どうして自分で決めずに人に決めてもらってたんでしょうか。おかしな話ですね。人に決めてもらおうという選択をしたのは誰なんでしょうか。自分ですね。それに、全て人に従っているわけではなく、明らかにそれは違うだろってものは無視してるんですよ。都合が良いですね。
他人の敷いたレールに沿って生きても、自分の思い通りにはなりません。どこに向かっているのか、どこを通るのか、をよく理解した上で利用するのは構いません。なんとなくとか、誰々が言ってるなら間違い無いだろうとか、自分で決めるのが面倒だからとか、そんな理由で他人に乗っかるのはやめた方がいいんじゃないかと思います。
他人に追い込まれているようで、自分を追い込むのはいつだって自分自身なんですよね。他人に言われたことがきっかけだったとしても、自分がそれを正しいと思い、自分を責めるから辛くなるんです。全然理解できない批判をいくらされたって、傷つくことなんてないでしょ?
だからって、なんでもかんでも自分のせいにする必要はないです。事故にあったとか、被災したとか、自分でコントロールできないことを気にしても仕方がない。でも、自分自身の考えや行動は自分で決めることができる。そこに責任を負いましょうということです。
結果に責任を負うかは難しいところですね。どんなに頑張っても結果が出ないことは普通にあります。というか結果が出ないことの方が多いんじゃないでしょうか。やることやったらあとは運を天に任せるくらいでいいんじゃないかと今は思ってます。責任を負わないといけない立場で結果が出なかったら、謝ればいいじゃないですか。
他人や嫌なことからは逃げられても、自分自身から逃げることはできません。後悔するくらいなら自分で決めて自分でやりましょう。後悔しないことなんてきっとないけど、人のせいにするよりは納得できるんじゃないかと思います。
やりたいことは何か
自分の生き方は自分で決めた方がいいのはわかった。積み重ねの重要性もわかった。じゃあ何をやったらいいのか?自分のやりたいことはなんなのか?困ったことに、別にやりたいことなんて無いんですよね。
やりたいことはなくても、生きていくにはお金が要ります。不思議なことに、ニートしているとお金がどんどん減っていきます。何か仕事をしないといけない。またすぐ辞めることにならないだろうか。慎重に決めないといけなさそうだ。その前に雇ってもらえるかという問題もあるけど。
特にやりたいことがないので、できることから考えてみました。大学から情報工学を学んで、社会に出てからもずっとエンジニアとして生きてきました。そもそもなぜエンジニアになりたいと思ったんだっけ。
よくよく考えてみると2つの可能性に惹かれているんだとわかりました。それは効率化とつながりを作るということです。
私は単調な繰り返し作業が苦手だし嫌いです。つまらないし、ミスしやすいし、なんでこんなことやらなければならないんだって思います。実際そういうことは機械にやらせればいいんです。人間よりもはるかに速く、正確に作業をこなしてくれます。そうして空いた時間で、人間は思考を巡らすことができる。AIなんかが出てきて今後はわかりませんが、今のところ考えることに関しては人間にしかできないので、そっちに集中できた方がいいんじゃないかって思います。だから、機械化や自動化しているにもかかわらず余計時間がかかっているとイライラします。是正しなければならないと思います。
もう一つは、インターネットが距離や時間といった物理的な制約を超えて、人同士や人とものを繋ぐことができるということです。自分の身の回りだけでは見つけれない、自分の本当に好きなものを探せたり、コミュニティを作れたり、何かを発信したり、そんなことができます。
そして、それらの可能性を実現するのがエンジニアという仕事なのです。なんだ、エンジニアってすごくいい仕事じゃないか。今までの積み重ねもあるし、捨ててしまうのはもったいない。じゃあエンジニアは継続しよう。
あとは、どんなプロダクト、サービスに関わるのか。できればちゃんと興味を持てるものがいい。人の話を聞いたり、調べたりすれば、解決しようとしている課題とか目指すビジョンは頭では理解できる。でも、多分それでは足りない。継続するだけのモチベーションを保てない気がする。頭で理解するだけでなく、共感できるものがいい。
そんなことを考えていた時に、今の会社からお誘いをもらいました。自身がエンジニアとして転職したことがあるし、採用に関わっていたこともあるので企業側の事情もある程度はわかる。なるほど、これは良いかもしれない。そんなこんなで無事選考も通過し、再びエンジニアとして働き始めるのでした。
おわりに
果たしてここまで読んだ人はどれくらいいるんでしょうか?
今までこういった自分語りクソポエムを書く人の気が知れませんでした。誰が読むんだよって。今でも誰が読むかはわからないけど、書くのは自分の思考の整理が目的なのかなと思うようになりました。別に人に読まれなくたっていいんです。自分のために書いているのだから。書いてて我ながらキモい文章だなと思いますが、実際キモい人間なので仕方ないですよね。周りにキモいって思われるより、自分を偽って生きなければならない方が辛いので、素直でいたいですね。
意外と自分のことってわからないものだなあと思います。自分の取りがちな選択や抱きやすい感情が、なぜそうなのかをわかっている人って少ないんじゃないでしょうか。感覚的に理解していたとしても、言葉にするのは別の難しさがあるし。
いざ自分で書いてみると、人はどんな考えを持っているのか気になるようになりました。最後まで読んだという奇特な方がいたら、ぜひ感想やあなたの考えを教えてもらえると喜びます。
一度きりの人生なので楽しく生きたいものですね。
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