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ちいさな気づきと学びin NY(追記型)

来年春からの就職に伴って当分来れないであろう海外。その生活の中で気づいたこと、学んだことをただ書き残していこうと思う。
できるだけ「感覚的」な部分とか小さい気づきについて書いていきたい。だから文末は大体、「気がする」「思う」「感じる」で書いていきます。

テキトー

約1年半ぶりの渡米。道行く人、お店のレジ、アパートの共用部分、やっぱりどこもテキトー(笑)。
個人的には嫌じゃないけど、人によっては結構きついところもあると思う。
安価な飲食店とかは特に言う事ははっきり言わないと思い通りにはいかない。カフェでレジに人がいなくて他の店に行くこともたまにある。

冬以外にアメリカに来たのは初めてなんだけど、気温が高い分、街が臭い。
道のごみも久しぶりに来るとその量の多さから日本の清潔さは奇跡的な文化だと思う。

(10月9日追記)↓
先日は、初めてgrocery storeの中で野良猫を見た。店員も客もかわいがっていてなんかいいなと思った。
個人的な予測だけど、日本だったら衛生面に関して感覚が厳しいから追い出されていると思う。別に食べ物に触れてなければ店の中を歩いてるくらいいいと思う。

でも場所による

ある程度秩序のある場所に行けば、人も親切、床も清潔、細かい意思疎通もできる。例えば、放課後に通っているNYPL(図書館)とかはトイレも含めて本当にきれいだし、利用者のマナーもいい。NYPLにおいては個人的には日本よりも勉強に集中できて居心地も良い。
大学のスタッフや警備員も親切。ショップでも一定程度の値がするショップは丁寧だし、加えて日本にはないフレンドリーさがある。日本の他人行儀な感じと比べるとすぐ知り合いになったような感覚に陥る。実際に期間があいても覚えてくれている店員もいる。
あと、やっぱり敬語は良くも悪くも相手との距離ができるよね。だから英語の方が距離が近くなった感じがするのかも。

飯、風呂、トイレはやっぱり日本が一番

ヘルシーな食生活を続けようとすると、日本よりも結構手間とお金がかかる。また、これまで生活したことのある州と比べても、NYは外食費はかかるし、食材の調達も100%思い通りとはなりにくい。先日話した日本人の板前さんも「食べ物は日本が一番」と言っていた。

トイレはウォシュレット付きや温かい便座なんて街やお店のトイレでお目にかかったことがない。これまでお邪魔した限りでは一般家庭も同様。

街のトイレの清潔度に関しては、、、ご想像にお任せします。
ただ、お願いしないと鍵を開けてもらえない場所のトイレは多少マシ。

風呂(湯舟)は基本的に無い。

アメリカ人になる

「英語できるようになりたい?」「大学の授業の英語を完璧に理解したい?」
「なら早くアメリカ人になりなさい」
前回の留学初期に現地の先生から言われた言葉の和訳です。(ただ言われたというか、結構強めにキレられた)この言葉のおかげで意識が変わって前回の留学ではかなり成長できました。

その代わり帰国後、もとの日本人になるまで数日かかった。数か月でも甲子園目指していた時と同じくらいの気概で自分を追い込めば、そうなる。加えて僕は不器用だから、帰国後は声の大きさとかすぐに小さくできなかった。こういうのを「かぶれた」って言われてしまうのかな。別にいい。背に腹は代えられぬ。成長のためです。

 街になじんで生活するにも「アメリカ人」になることが一つ重要な要素だと毎度思う。なかなか言葉では表現しづらいけれど、周りを見て日々振る舞いを学ぶ。それが自分の身を守り、良い人間関係を築く助けになっていると感じる。もちろん短期の旅行ならば、そんなことする必要はないと思う。しかし、数週間以上生活するとなると、そういうことも少し必要になってくると感じる。特に社会的地位があるわけでもなく、日本人にいる時と同じように振舞っていると、簡単に言うとなめられる。ただ、かぶれた感じでカッコつけるのとは幾分違う。


英語の前に常識の違い
英語ができるようになっても、聞いたことがなかったり、考えたことが無ければやっぱり戸惑う。すごく簡単な例では、街角のお店でサンドイッチを頼むとき、日本よりはるかにカスタマイズできる範囲が広い。先日はマヨネーズの有無の後に量まで聞かれた。サンドイッチのマヨネーズの量なんて聞かれたことないから聞き返してやっと理解できた。

(10月9日追記↓)
昨日映画館のレジでアジア人ぽい人が少し注文に戸惑っていた。なぜなら、アメリカの映画館(AMC)ではジュースを自分で注ぐ。日本のコンビニのコーヒーみたいに注文してカップをもらい自分で入れる。そのルールの違いが分からないと、英語ができても注文は難しくなるんだと思った。

ゴミ出しも、曜日で分別があるのは同じだが、日本の感覚だと「それ一緒でいいの?」って思う分別をすることもある。ガラス瓶とペットボトル一緒とか。そういう質問すると、きょとんとされることもある。お互いに前提常識が違って、なぜ問うてるか説明が必要なことはよくある。


価格、サイズ

NYの物価は全体的に東京よりも少し高い。でもコーヒーとかはローカルの店だと同じSサイズでも日本のSよりはるかに大きくて同じくらいの値段というコスパの良いところもある。
反面、日本食のお店とかはやっぱり高い。カツカレー弁当が約1200円とか。飲み物頼めばもう1500円。ラーメンとミニ丼セットはほぼ2000円。


外食

街のファストフード店を抜かして、外食の特別感が日本よりも高い気がする。ステーキレストランで普通に一回一人2万円とか使うらしい。恐るべしNY。いつか行くことになるのだろうか...

その値段も一つの理由だろうか、レストランでの外食はまあまあなイベントっぽく話す人が多いように感じる。2000円のディナーを10回か、20000円で1回か。価値観は文化、人によってい違っていい。

生まれた国が一番思考

日本にいる時、周囲には海外に興味がない人の方が多い。
海外にいる時は、様々な人種の人と関わるが、祖国に住み続けることに固執している人の方が少ないと感じる。現に異国に来ている人が周囲に多いのだからそうなるのは自然だろう。
けれども、移住してきて、エネルギッシュにやりがいに満ちた目で楽しそうに働き生活している人を見ると、「祖国が一番」かどうかは本当に人によってさまざまだと感じる。永住権や社会福祉制度を抜きに考えれば、海外の方が圧倒的に祖国よりも居心地が良いという人がいて当たり前だと感じる。日本はどちらかというと、「海外の方があっている」というと「かぶれた」「染まっちゃった」みたいなことを言われる。日本はそれだけまだ他国と比べて海外に出ることがレアな文化、環境なのだと感じる。

周りを気にしない

他の在住日本人も言うこと。良くも悪くも周囲の目を気にしない。けれども、一人でレストランに入る人とかはほぼいない。気にしなくても、暗黙のルールがあるようだ。日本は逆かな。周りの目をすごく気にするけど、一人焼肉とかある。ここに関してはアメリカ、NYの方が暮らしやすいと言う人が多いように感じる。ぼくも含め。

不夜城

ホントにいつの時間も人が多いし、明るいのがマンハッタン。特にタイムズスクエア。深夜にもかかわらず小学生くらいの子供を連れて出歩いている家族とかもいる。たぶん家族旅行だと思う。
タイムズスクエアのかの有名なフォトジェニックな階段はいつも人が密集している。日本と違いを感じるのは、ただ会話をするためだけに座っている人が多い。聞こえてくる近くに座っている人の会話内容からそう思う。日本で例えるなら、ハチ公前で30~40分世間話という感じ。

オーディエンス

まだコンサートは行った事がないけれど、ブロードウェイは観客の反応が一つの醍醐味だと思う。客と演者の距離が物理的にも心理的にも近い。
反応が豊か。個人的には、アメリカでイロモネアやったら出場者の半分以上は最後まで行けると思う。

かぶれという概念

これは経験に基づくきわめて個人的な見解。
海外経験のない日本にいると比較的海外経験者を「かぶれた」と揶揄する人が多数派に感じる。
海外で少なからず悔しい想いや何かを乗り越えた経験のある日本人はあまりそいう事を言わないように感じる。
アメリカ人はそういう事に関する周りの声は「どーでもいい」と考えている人が多いように思う。
海外経験をする人が多い国から来た人は「一定期間いたらその国に染まるのが普通」や「染まるべき」と考えている人が日本と比べて多いように感じる。
友達の話になるが、メキシコ人は大学や高校卒業後に1年や半年など自由な時間を過ごす人が多いらしい。日本じゃなかなかない。そういうことも相まって「かぶれた」論争が日本では起きるのだと思う。
僕はみんな違ってどーでもいいと思う。痛みとか損失を伴うなら考えるけど。

言語学習って果てしない(10月7日追記)↓

日常会話はもちろん、アカデミックな方も英語はまあまあできるようになってきたつもりだった。しかし、先日はじめてブロードウェイを鑑賞し、3割くらいしか理解できなかった。いつも見ていて理解できるテレビとたいしてスピードも変わらないのに。初めての環境と響きで初めての声質、セリフっぽい言い回しの英語を聴いたら全然わからなかった。ショック。特に笑いについていけない時はとっても悔しい。
ちなみにTOEICのリスニングは前回満点。
TOEFLとかIELTSで満点近くなったら理解できるようになるのかな。

(10月9日追記↓)
昨日、映画館で字幕なしの映画を観たけれど、それは8~9割理解できた。
ちなみに観た映画は「Dear Evan Hansen」。
2018年にカナダのテレビでミュージカルの宣伝CMを見てからずっと観たかった。
ミュージカルは今の時期やってなかったから映画だけになったけど、いつかはブロードウェイミュージカルで観たい。


バケーション(10月9日追記↓)

僕の周りに限るかもしれないが、結構、バケーションをとる人が多い気がする。そうでない人もいるが。普通に学校のある日に2週間どっか行ってきますみたいな人もいて、学生の友達の場合は勉強大丈夫?って日本人的には心配になる。あと、お土産をねだる人には今のところ海外で会ったことがない。話が弾んでジョークっぽくいう事は稀にあるけど、「○○に行ってくる!」→「お土産お願いね」みたいにすぐおねだりの言葉が出ることは経験したことがない。「楽しんできてね」とか「話聞かせてね」って言われることの方が多い。
逆にお互い何も言ってないけど買ってくるみたいなことは日本にいたときよりも多い。そこに関しては海外の方が精神衛生上すき。
もっと根本的に感じるのは、「何か欲しい」っていう漠然とした物欲が日本人の方が多き気がする。アメリカであった人はショッピングに行くにしても「いい感じのバックバックをゲットすることが今日の目標!」みたいに買い物の目的がはっきりしていることが多く感じる。


クオリティと値段(10月9日追記↓)

日本にいる時に思うのは「ここまでのクオリティはいらないからもう少し値段を下げてほしい」という事。アメリカの方がそれが実現されている場合が多く感じる。
先日、革ジャンをショッピングモールで見たとき、日本の同じような者よりも感覚的に2,3千円安かった。でも、デザインではないシワが新品にしては多いなと感じた。けれども、革ジャンなんて着てればだんだんシワが付く。なら初めからついていて安い方がいいし、新品が新品らしくある必要って何なんだろうとふと思った。

電車(10月9日追記↓)

これはもう有名なことだが、日本の電車は究極に時間通り。
昨日はミッドタウンでたった2駅のためだけに電車に乗ったら、途中でいきなり止まった。社内アナウンスもないから何が起こった変わらないけど、とりあえず7,8分動かない。同じ車両にいる人たちは特に気にする様子もなかった。遅延証明なんてもちろんない。
急いでいたので地上に出て、タクシーを捕まえようとしたが、ラッシュアワーで一台も空きがなく、結局10分くらい走った。


マナー(10月9日追記↓)

日本語で表現するとすごく硬くなるけど、「不利益が講じなければいい」と考えている人が多いように思う。映画館では客が少ないときは普通に椅子に足を乗っける人がけっこういた。
お店でも、その店のものを買っていなくてもガラ空きの時は外の席使っていいよという店員さんもいた。

10月16日追記↓

許容範囲

「この職業は○○な人であるべき」みたいな縛りが少ない。
先日、アラジンのブロードウェイミュージカルの入場待ちをしている時にラジオ局からインタビューされた。そのインタビュアーの女性は結構お年を召した方だった。服装も日本では作業服とみなされそうな撥水パーカー。
日本だと、テレビのアナウンサーや顔を出さないラジオでも若い女性が好まれる傾向が強いと思う。
必要な仕事が遂行できれば細かいことは気にしない。だからこそ仕事にも集中できている人が多いとも考えられるし、日本の見えないところまで気を遣う文化を良くも悪くも素晴らしいと捉えられる。

なんでも大きいい。滞在期間が一週間も過ぎると最少は驚いたクラクションも街の雑踏の足音の破片となる。日本のクラクションなど気にならない。
また、クラクションをかなり挑発的なリズムで鳴らしても殺傷事件なんてそうそう起きない。日本も数が多いわけではない。けれども感じるのは「沸点はアメリカ人の方が高いが、手が出るのは日本人の方が早い」傾向にあると感じる。あくまで個人的な経験に基づく。
東京にいたときの方が飲み屋街で胸倉掴んだり、接触型の件かを見ることが多かった。けれどもこちらでば非接触型の罵倒の試合などの方がよく見る。

お金

物価のみならず、文化的にアメリカの方がお金がかかる。
例えば、チップ。レストランなどでは払うのが当たり前だが、その量については客に選択肢がある。
一度だけ訪れる場所なら少なくてもいいかもしれないが、もし常識以下のチップしか払わなかった場合、2度目は行きにくい。また、良いサービスをしてもらったらチップを多く払いたくなるという、不思議な心理変動も経験している。多く払った場合には次行くと覚えてくれていてまた良いサービスを提供してくれる。結局のところ、日本よりいちいちお金がかかる。

やっぱりNY、Manhattan

旅行者も含めここら辺は俳優みたいな人が多い。女性でも180センチ以上はごろごろいるし、その上ブロンドヘアーで姿勢も良い。カッコいい。男性は強そうでこれもまた姿勢が良い。各々と話したことがあるわけではないから理由はわからないが、自身がある振る舞いをする。そんな振る舞いに加え、世界の名門大学の学生だったりする。
正直、他のどの国にいたときよりも劣等感を感じることが多い。同時にやる気もすごく湧く。

世界的に流行した映画に侍や忍者以外の日本人を見たことが無いなど、アジア人としての劣等感についての理由はいくらでもある。
近年の人種に対するダイバーシティが進むまで彼らのような人が社会人種的カーストのトップだったその名残は今もあると感じる。

進んでる

NYだからという事もあると思うが、テクノロジーが進んでいるところも多いし、選択肢も多い。例えば、フードバーサラダバーが結構手軽にお店で手にはいる。選択肢が多い。その会計方法も機械でグラム計算だし、クレジットカードの読み込みも早い。日本はテクノロジー進んでいるはずなのに、なんであんなにクレジットカードの読み込みが遅いんだろうか。

けれども、カードなどの機械を除けば、日本のコンビニエンスストアは圧倒的に群を抜いて最強だと思う。品揃え、清潔度、コピー機などの利便性。アメリカの場合、コピーをするためだけのお店がありそこに行くことが多い。

ぼっちという感覚がない

最近、ワシントンスクエアでパブリックビューイングをやっている。ヨーロッパの映画など面白い。NYUのちかくともあり、学生の姿も多い。
先日、これまで見た中で少なくとも5本の指に入るような美女が僕の斜め前に座った。彼氏でも待っているのかと思ったが、結局最後まで一人で映画を見て帰った。
あんなにカッコいい人が片膝立ててクールな顔でひとり公園で映画を見て帰る。かっこよすぎる、と個人的には感銘を受けたのだった。
ちなみに彼女のバックパックは僕のものと同じ色違いだった!

話すことへの価値

NBAの試合を見に行くと近くの席の人同士でたくさん話す。叫ぶ時は一緒に叫び、ハイタッチとかもする。楽しい。
また、せっかく近くに座ったんだから話そうぜという雰囲気があるように感じた。
「試合見てるんだから静かにしろよ」と言っていた日本のプロ野球球場で出会ったおじさまとは違う。

自信

根拠のない自信みたいなものを持っているのが普通ということを比較的強く感じる。僕も今回の滞在中に少し身についた。ただ同時に、「自分にはまだ取り柄が全然ない」とも感じている。

また、上には上がいるのは当たり前のことだから、自分の中で得意なことは得意と言ってしまっていい。という感覚を持っている人が多い気がする。日本人と話していてよく聞く「いやいや、私なんか。上には上がいますから」みたいな言葉はあまり聞かない。多分みんな当たり前のこと過ぎるし、どうしようもないから言わないんだと思う。謙遜文化の違いかな。





段々と追記していこうと思う。⇅




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