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【因果関係の錯誤】錯誤が重大な場合、なぜ未遂犯となるのか。

「因果関係の錯誤は故意の問題であり、錯誤が重大な場合故意を阻却する。この場合、未遂犯が成立するに留まる。」

多くの基本書でこう説明される。ナルホド

……

故意が阻却されるのになぜ未遂犯が成立するのだろうか… 故意が無いなら未遂にもならないのではないか?

と、疑問に思ったことはないだろうか。(僕はめちゃくちゃ疑問でした)
ということで、なぜなのか、調べてみたので、参考までにまとめてみようと思います。(なお、一学生が自分の学んだことを書いているだけであり、誤りを多分に含みうるものであるため、話半分?に読んでいただけると幸いです)。


Ⅰ はじめに

 因果関係の錯誤について、例えば、大塚裕史他『基本刑法Ⅰ(第3版)』(日本評論社、2019)の113頁には、「因果関係の錯誤が存在する場合に、故意が阻却されるか否かが問題となる。」と記されており、因果関係の錯誤は「故意があることを前提に、錯誤を理由に故意が阻却されるかを問う問題である」と説明される。さらに、錯誤が重大な場合には故意を阻却し、殺人未遂罪が成立するに留まるとも書かれている(同114~116頁)。

 しかし、未遂犯の成立に犯罪の故意(38条1項)は不可欠である。実行行為を行った(犯罪の実行に着手した)が、結果が発生しなかった場合が未遂犯なのである。そして、「行為責任同時存在の原則」から、実行の着手時点で犯罪の故意が要求される。ゆえに、故意が無ければ、そもそも未遂犯すら成立しないはずである。
 では、因果関係の錯誤で故意を阻却するとする立場は、この問題をどう説明するのか。

Ⅱ 因果関係の錯誤は故意の問題か

1 前提

 まずそもそもの前提として、因果関係の錯誤は故意の問題(故意阻却か否かの問題)なのか。ざっくりと言うと、ここについても両論存在する。すなわち、故意の問題であるとする説と、そもそも故意の問題ではないんだという説とが対立しているわけである。

 結論としては故意の問題であるとするのが通説的な見解とされている。だが、故意の問題ではないとする見解も有力で、大学の講義等でもこの立場から説明される先生も多い。

 もっとも、ここの対立について深入りすることは本稿の目的とはズレるため立ち入らない。差し当たり、故意の問題であるとする立場を前提に検討を進める。

2 問題意識

 さて、この立場からは次の点が問題意識となる。故意についての通説である認容説からは、「故意とは犯罪事実(構成要件該当事実)の認識・認容」であると説明される。構成要件該当事実とは、客観的構成要件該当事実、すなわち、実行行為、結果、因果関係のことを指す。そうすると、具体的な因果関係の認識も故意の対象であるから、因果関係の錯誤がある場合、犯罪事実のうちの因果関係について認識を欠き故意を充足しないことになる。これが問題意識であろう。

3 法定的付合説による解決

 この見解は、因果関係の錯誤を法定的付合説によって解決しようとする。すなわち、行為者の予見した因果経過と現実の因果経過とが相当因果関係の範囲内で符合している限り、構成要件的故意は阻却されないとする理解である。
 大塚仁先生に代表されるこの見解は、相当因果関係説が席捲していた時代の見解であり、現在の通説である危険の現実化説を想定したものではない。したがって、危険の現実化説から再構成すると、「行為者の予見した因果経過と現実の因果経過とが危険の現実化の範囲内で符合している限り、構成要件的故意は阻却されない」ということになる。なお、用語の使い分けを避けるため「法的因果関係の範囲内で符合」と、記載することもある(cf応用刑法)。
 このような見解に立った場合、因果関係の錯誤が故意を阻却するような事案は、まぁない。ゆえに、因果関係の錯誤不要論(大谷・前田等)も有力に主張されているわけである。

Ⅲ 故意阻却される場合の処理(本題)

1 問題の所在

 前置きが非常に長くなってしまったが、ここから本題に入る。因果関係の錯誤が重大な場合、前述の見解からは故意が阻却される。しかし、この場合でも未遂犯は成立する。ではなぜ、故意が阻却されるのに未遂犯が成立するのか。

2 既遂故意阻却説

 有力な見解は、この場合には既遂故意が阻却されると説明する。
 この見解はまず、故意を2つに分解する。既遂犯として処罰するために必要なレベルの故意を既遂故意と呼び、これだけあれば未遂犯処罰ができるというレベルの故意を未遂故意と呼ぶ。そして、因果関係の錯誤が重大な場合は、既遂故意のみを阻却し未遂故意は阻却しないから、未遂処罰は可能であると説明する。

3 既遂故意阻却説の論拠

 故意の個数はあくまで全体として一つであり、既遂故意・未遂故意という2個の故意があるわけでは無い。したがって、既遂故意阻却説の考え方自体に違和感があるかもしれない。
 しかし、我々学生は答案を作成する際、故意を構成要件的故意と責任故意に分割して、いわば半分ずつ検討するやり方を採用している。例えば誤想防衛の場合、構成要件的故意はあるが責任故意が無いから不可罰となる。この結論に疑問を持つ人はおそらくいないであろう。我々は無意識のうちに、1つしかない故意のうち、半分だけ阻却するという法状態を黙認しているのである。これが許されるなら、既遂故意の部分が阻却されるという結論も許されてよい。
 以上の形式的な論拠に加え、より実質的な論拠としては、未遂犯の負う違法・責任は、「結果を除いた」違法・責任であるという点が挙げられる。構成要件的結果が発生していない犯罪が未遂犯なのであるから、未遂犯には当然「結果」が存在しない。「因果関係」もない。つまり、客観的構成要件(実行行為・結果・因果関係)のうち、未遂犯では実行行為しか存在しないわけである。故意とは犯罪事実(構成要件該当事実)の認識認容をいうが、未遂犯の場合、構成要件該当事実は実行行為しかないということになる。そうすると、少なくとも自らが実行行為を行うことさえ認識していれば、未遂犯処罰としては十分といいえる。これが実質的な論拠と思われる。
 故意を阻却するが、未遂は成立するという結論を適切に説明する理論としては、非常に説得的である。

3 論証

(錯誤が重大であることを論じた上で)
 では、錯誤が重大な場合、その効果をいかに解するか。
 この点、錯誤が重大である以上、生じた結果を行為者に帰責することはできず、結果についての故意(既遂故意)は認められない。しかし、故意に実行行為に着手した時点で反規範的人格態度はある以上、その限りにおいて故意非難は可能である。
 したがって、既遂故意が阻却され、未遂罪が成立すると解するべきである。

Ⅳ 終わりに

 因果関係の錯誤において、錯誤が重大な場合には、既遂故意を阻却する。端的にまとめるとそういう話である。難しい話ではないが、基本書等には親切に書いてはくれていないため、理解が難しい論点ではあろう。

Ⅴ 参考文献

・大塚裕史他『基本刑法Ⅰ(第3版)』(日本評論社、2019)
・井田良『講義刑法学・総論(第2版)』(有斐閣、2018)
・高橋則夫『刑法総論(第5版)』(成文堂、2022)
・井田良「故意における客体の特定および「個数」の特定に関する一考察(三)」法学研究58巻11号(慶應義塾大学法学研究会、1985)
(主要なもののみ挙げています)





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