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色々やり過ぎると薄まる。

まず、ここ一年くらいで
“新しく始めた・やってみた”
ことを列挙する。
ただ単に、遊びとして始めたものもあるし、勉強的な側面で始めたものもある。

・競馬
・オンラインサロン(3つ)
・ウェイクボード
・スノーボード
・仮想通貨
・株の勉強
・illustrator(Adobe)
・webバナー/ヘッダー作成
・ヒッチハイク
・ブログ
・写真(iPhoneのポートレート)
・ギター(厳密に言うと再開した)
・DIY(正式な部活にした)
・プログラミングの勉強
・DMM英会話
・古着あさり
・週一ジム
・先輩から寄付をいただいて豪華な飲み会(シャンパンタワー)
・日記、週一回総まとめをwordで書き起こし

見ればわかると思うが、雑多でまとまりがない。

結論から言うと、
”ほとんどが物になってない”
つまり、趣味レベル。競馬と仮想通貨は儲かっていない。
趣味レベルにも達していないものもある。
DIY部は作ったはいいが、事実上活動していない。
『これからは、好きなことだけして生きていける』
と言われているが、自分の認識は甘いと痛感した。
めっちゃ金かかる。
まだ始めたばかりだからしょうがない。と思うこともあるが、
違うなとも思う。

5月に、ホリエモン著の『多動力』を読んでからどんどん新しいことに
手を出すようになって、正直フットワークはめちゃめちゃ軽くなったと思うし、
そのおかげで、いろんな新しい出会いが生まれたし、自分に注目してくれる人も増えた気がする。その点ではめちゃくちゃ良かった。(特に、同棲していた彼女と昨年に別れてから酒に溺れるだけの生活をしていた自分には。)

大学一年生で企業していたり、在学中にブログで月収40万稼ぎ出したり、
高校生で世界一周しようとしていたり、研修医中から開業の準備をしていたり、
そんな人たちと話すことができた。

いかに、自分が見ていた世界が狭かったのか痛感した。

ただ、
新しいことばかりに、手を出している自分は、
客観的に見ると『やりっぱなし野郎』。
ともすると、自分の信頼を失いかねない。
そこで気付いた。

俺、いろんなことやり過ぎて薄まってるな。

確かに新しいことを始めることで、確かに好きなことに出会う機会は増える。
しかし、それぞれのものにかけられる時間は減って行く。
つまみ食いみたいな状態だ。つまみ食いじゃ本当のうまさは分からない。

どうすればいいのか?と考えた。
多分、2つあると思う。

・何年も続ける
・一気に深くまで掘り下げる

何年も続くものって、楽しくてついつい勝手に続けちゃうもの。
一気に深くまで掘り下げるってことは、熱狂するということだ。

しかし、やっぱりコツコツやってきた人にこそ信頼は集まるし、実績も。
だから、自分は何が続けれるのかわからないが
続いたものしか、価値にはならない。
もしくは、突き抜けたもの。例えば一番になるとか。

新しく始めることは素晴らしいし、新しい世界にも触れられるし
最初は伸びしろがいっぱいあって楽しい。柔軟になれる。
だけど、無限に時間はない。
新しいことには、お金がかかる。

そこで気付いたのは、同時に進める事の数を絞ろうかと思った。
何が正解かわからないけど、一時期どハマりした事っていまの自分に
残るものになってると思う。

・中学で刃牙に憧れて、筋トレで一日1000回腕立てしていたから
 週一のジム通いで痩せることができる。
・大学の試験でとにかく一番になりたくて、狂ったように試験勉強した。試験前日は、一問でも間違えたらどうしようかと動悸がした。
 だから、いまもあいつは優秀だというイメージを持ってもらえる。

中長期的にどハマりできるものってある程度身につく
それだけ。
色々やりすぎると、
中長期的にどハマりできる機会は失ってしまうかもしれない。

結局何が言いたいかというと、そんなこと考えてる暇があったら
なんかしろって事だ。
やることも大事だけど”やっているという事”も大事。

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