キリンジの名曲「Drifter」の歌詞について私見を書きつらねる

表題のとおりです。

カタカナ表記キリンジ時代の名曲といえば、「エイリアンズ」「スウィートソウル」などなど弟氏の曲を挙げる方が多いと思いますが、僕は昔から兄樹氏の曲が大好きです。兄樹氏のソングライターとしての素晴らしさ、歌声の独特なエロさも魅力的なところですが、何より独特で巧妙な歌詞、にやられてしまうという方も多いのではないでしょうか。兄樹氏によって生み出された数々の「キラー・チューン」の中でも、とびきりの名曲で、かつちょっと異質な曲である「Drifter」の歌詞について、好き過ぎるので私見を記録したいと思います。キリンジのことを知らないと「なんのこっちゃ」な文章になるので、よろしくお願いいたします。

「Drifter」について

2001年リリースのシングルで、4thアルバム「Fine」に収録されました。

どこにでもいそうなふつうの男性が、パートナーとの関係を「家族」として前進させることを決意する心情を詳らかに歌った曲です。「一生一緒に」ヒロイックに愛をうたうこともなければ「こんな俺でよければ」女々しく受け入れてくれと乞うこともありません。こんなもんだよなあ、という日常的なドラマチックさが、とても胸を打ちます。

基本的にはAB構成、コードもシンプル(兄樹氏の曲にしては、ですが)な曲ですが、全編にわたるストリングスのアレンジにくわえ、後半につれうねるように激しく音を鳴らすベースとドラムが、シンプルな構成とは思わせないドラマチックさを感じさせます。Aの部分では「男女の関係性について」Bの部分では「男側の心情」を歌っています。

※文中の『』は歌詞からの引用を表しています。なんだか厨二病の文章みたいになってしまったので。


Aメロ

交わしたはずのない約束に縛られ
破り捨てようとすれば後ろめたくなるのはなぜだ

この2段を読んだだけで、僕は長く付き合っている男女の姿が浮かびます。以下、男と女は信頼し合っている仲とはいえ、もうお互いに恋をしている、という期間はとっくに過ぎているだろう。

『交わしたはずのない約束』これは最初同棲していて事実婚のような状態であることや、「そろそろ結婚しなよ」というような周囲からの言葉、圧力そのものを表していると思ったけれど、これは社会的、外圧的なものというより自分の心から湧き上がってきたパートナーシップへの疑問を表しているのではないでしょうか。
『破り捨てようとすれば後ろめたくなる』のは、周囲からの圧力をうけて、関係を解消するのもひとつの選択肢なのかな、と思いを巡らせたときに、未練や情、何より築き上げてきた信頼があり、女を裏切ることとなってしまう。それはできない、後ろめたさを感じてしまう、ということではないか。『交わしたはずのない約束』とは、2人の関係を次に進めることのできない男の煮え切らなさ、を表した言い回しだと思う。

たった数十文字で、登場人物の関係性、人間性を簡潔に表現する、ってすごいと思いませんか。そして男性なら誰もがこういう気持ちになったことあるよね、って思いませんか。


手巻きの腕時計で永遠は計れない
虚しさを感じても手放せない理由がこの胸にある

手巻きの腕時計というものを持ったことはないけれど、これはこの2人の関係について的確に表した最高の比喩だと思います。

手巻きの腕時計は道具として見た場合、いささか不便なものではないでしょうか。頻繁に巻き直さねば、正しい時を刻むこともできない。いざというときに時間を知ろうと思ったときに、針は止まっている、などということもあるかもしれません。『永遠』を計るには相当なストレスがあると思います。

また、腕時計とはとても身近な道具ですが、無くて困るか、といわれればそうでもないでしょう。寒さをしのぐ衣服や、視力を矯正するメガネなどに比べたら。

『手巻きの腕時計』とは、2人の関係を表していて、『永遠』とは、この先の2人の未来を表しているのではないでしょうか。男は今の関係について、外圧を受けて後ろめたさを感じている。そんなことを言われるのであれば、関係を解消するのもひとつの選択肢かなあ、一人でも生きてはいけるもんなあ、と投げやりになっている。しかし、男は『手巻きの腕時計』から何らかの形でアップデートをしていかなければならないことを感じている。それは『永遠』を計るためには必要であり、『永遠』を念頭に置いているからなのだ。これが後ろめたさの正体であるのだと思う。

そして『虚しさを感じても』という言い回しを用いるのが、男は心のどこかで『手巻きの腕時計』のままでいられないのか?と思っていることの根拠です。今のままでも十分であり、現実的なことを話し合い、外圧に折り合いをつけることなどに虚しさを感じるのかもしれませんね。男はロマンチストかもしれません。

男はもちろん「そのままではいられない」と十分にわかっており、女への信頼、愛がしっかりと『手放せない理由』として胸にあるわけです。その決意がきちんとサビで描かれる。

サビ

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣のように襲い掛かろうとも
祈りをカラスが引き裂いて
流れ弾の雨が降り注ごうとも
この街の空の下あなたがいる限り僕は逃げない

このサビ、好きだなあ〜。1行目から4行目までは比喩表現、5行目に明確な決意が込められています。

『鬱』とは、自分の心から湧き上がる不安、無力感、自己否定というネガティブな感情であり、それは『獣のように』理性ではどうしようもなく、自らの心を支配してしまう、ということのたとえ
『祈り』は人間が悲痛な運命に対し抗う術、『カラス』とは、災いの象徴であり、人間の祈りも運命の前には無力であることのたとえ。
『流れ弾』は、他人、環境、社会がもたらす予期せぬ外からの不幸のたとえ。

この男は、現実的でネガティブで、受動的なところがあるのでは。そんな彼のした決断は『逃げない』 

立ち向かわないし、守りませんし、どんなことがあっても2人なら幸せだとも言わない。男がやると誓った唯一のことは逃げない、ということ。そんな2人の関係は、きっととても対等なものではないか、と思います。

Aメロ 2回目

人形の家には人間は住めない

イプセンの戯曲「人形の家」に引っ掛けていると思われます。詳細は引用しませんが、男は自分の煮え切らなさをもって、自分を「ヘルメル」だと思っているふしがあると感じます。僕たちは対等な関係だとは思っていたけれど、男は女を人間として見ているのか?という疑念を抱いているのではないでしょうか。それは、次の段から歌われるテーマについての疑念にかかわるもとだと思います。


流氷のような街で追いかけていたのは逃げ水

流氷のような街=流氷の英訳「driftice」とタイトルを引っ掛けた比喩だと思います。『流氷のような街』不安定で過酷な地にある街をイメージさせます。
逃げ水とは、暑い日に起こる、アスファルトの上に水のようなものが浮かび上がってみえる陽炎のようなものです。追いかけても追いかけても、実際に水のある場所には辿り着きませんし、おそらく、辿り着けない理想、を表していると思うのですが。。

流氷のような、という比喩から過酷な寒さをイメージしてしまうのですが、逃げ水や陽炎は、春の季語です。ちょっとここのパートは、よい解釈ができなかったです。

いろんな人がいていろんなことを言うよ
「お金が全てだぜ」と言い切れたならきっと迷いも失せる

ここの段はすごく共感させられますし、次のサビ1段目と非常によい対比になっているなと思います。

まず『いろんな』の繰り返しが、周囲の言葉を鬱陶しく感じている男の心持ちを感じさせますね。そして『お金がすべてだぜ』皮肉というか、毒のあるユーモアを交えた偽悪的表現が飛び出します。

この偽悪表現にリアリティさを出すために、男を仮に兄樹氏だと例えましょう。男はミュージシャンという不安定な職業で、女の方が安定している職業にあるのかもしれません。2人でいるほうが生活費も抑えられる、という意味でかもしれませんし、女の実家が太いのかもしれませんし。そういう背景をもって考えてみると、これは。うるさく言う周りを黙らせるための皮肉混じりな表現である、と思います。もちろん本心は別にあり、彼は決断を邪魔されたくないだけなのだとわかります。

皆愛の歌に背突かれて
与えるより多く奪ってしまうのだ

はい「Drifter」で最も真理をついたフレーズです。大好きです。

トルストイと有島武郎を下敷きにしてのフレーズであると思います。ここでの『愛の歌』とは、「当事者でない誰かが声高に語る理想の愛」を指すのではないでしょうか。

「長く一緒にいるんだから結婚するべきだよ」「女ちゃんがかわいそうだよ」「男は、女はこうあるべきだ」「〜せねば」「かくあるべし」
しかし、2人の関係では、そのような「べき論」が全て正しいのだろうか。
そのような周囲の雑音、ひいてはそれに惑わされては、自分を見失い、目の前の相手が本当に求めていることも見失ってしまう、なんて真理をついた名フレーズ。

ほんとそういうもんだよなあ。俺はお金がすべてなんだから、周りには黙っていてほしい、と思う気持ち、わかります。だってそういうこと言われると受け入れてしまう弱さがあるもん。

乾いた風が吹き荒れて田園の風景を砂漠にしたなら
照りつける空の下あなたはこの僕のそばにいるだろうか

『乾いた風が吹き荒れ』は最初、愛や信頼が冷めてしまう感覚、感情のことを指すと解釈しましたが、それが『愛の歌に背突かれた』後の状態を表しているのかもしれませんね。愛の歌に背突かれて、本心で納得はいかないが、「あるべき」な選択をした男。そして『田園の風景』にたとえられた愛と信頼に満ちた幸せな生活を思い描いていたが、しかしそれは2人の目指す幸せではなく、辿り着いたのは砂漠のように何もない場所。残ったのは遮るものもない過酷な日差しだけ。

そんな状態になったとしても、そばにいてくれるのだろうか。自らがもたらす不幸にも、待ち受ける困難にも逃げないと誓ったが、他人が愛や幸せを計る物差しに自分たちの幸せを委ねることは間違っているのではないか?

『この僕のそばにいるだろうか』最初は不安や疑問を表す結びと思ったが、これは「迷わない」という男の決断を後押しするもので、そんな未来は選ばない、反語表現の「〜だろうか」ではないかと感じました。


サビは1個とばして、最後のサビのリフレイン

僕はきっとシラフなやつでいたいのだ

ここで一つの結論めいたものが出る。

愛に酔いたくない。一時の気持ちに流されてしまいたくない。という意味があるのだろうけど、「僕たちにとっての正しい結論を出そう。その結果何が起こっても逃げ出すことはしない」という意味なのではないでしょうか。


子供の鳴く声が踊り場に響く夜
冷蔵庫のドアを開いて
ボトルの水飲んで誓いを立てるよ

そして唐突に日常的な描写があり、これは時系列が現在に戻ってきたことを表し、今までの歌詞は「男が決断にいたるまでの心情プロセス」だったということを表しているのだと思います。

夜遅い帰宅だったのかもしれません。帰るなり、冷蔵庫を開けてペットボトルの2リットルの水をラッパ飲みしている様子が浮かびました(女と同棲していたのだとしたら、これはOKですか?)そんなシーンで誓いを立てるなんて。

でも、子供とは家庭を連想させますし。家に帰り、まずすることで誓いを新たにするということは、僕にも思い当たるふしはあります。案外に決断とはそれほどドラマチックではないのかもしれません。

欲望が渦を巻く海原さえ

『欲望』というのは、これまで出てきた、愛の歌で背突いてくる人たちや、あらゆる不安材料のことを指していると思います。

ムーン・リバーを渡るようなステップで
踏み越えていこう あなたと

ヘンリー・マンシーニの名曲「moon river」のオマージュが出てきます。これ、いったいどんなステップなの?ということをちゃんと解釈しないと、この歌詞の意味は理解できないと思いました。
「Moon River」の歌詞は本当に抽象的で、様々な解釈ができると思います。前半部分だけ、引用させていただく。

Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Oh, dream maker
You heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way
Two drifters,
Off to see the world,

「Moon River」は1マイルほども川幅がある、とても大きな川で「いつの日かそこを(あなたを)堂々とわたって見せるわ、という歌い出しです。「Moon River」は夢を見せてくれたり、わたしを傷つけたりするようです。あなたがどこに行こうと、私も一緒にいく。2人のDrifterが世界を探しに出かける…

「Moon River」は、作者の故郷にある大きな川をイメージし書かれたようです。この後「Moon River」とわたしは同じ虹の終わりを目指している、と歌われます。(虹の終わり=Rainbow's End は「見果てぬ夢」というような意味があるようです)小さかった頃の見果てぬ夢を、子供のころからの友達である「Moon River」と一緒に追いかけているのよ、という歌ですね。

相当な意訳ではありますが、『ムーン・リバーを渡るようなステップ』とは、2人で決めた家族のスタイルを、2人でともに追いかけよう、という結論のことではないでしょうか。

その結果、『この僕のそばにいるだろう?』と、歌詞は結ばれます。


まとめのようなもの

1番では、関係性そのものへの内発的な疑問と、それらに対する「逃げない」という誓い


2番では、2人の関係や決断に対する外部からの圧力、それらに対する疑念と、最後のサビの誓いに対する伏線

最後、男と女は「自分たちらしく」という結論を得ることになりました。と僕は解釈しました。

これは2021年現在としてはごく当たり前の感覚だと思うのですが、20年前ではどうだったでしょう。女性は「自分らしく」というのは今ほど当たり前でなんてなかったと思います。男性も「大黒柱たる」ために様々な不安やストレスがあったことと思います。しかしどのような時代においても普遍性をもつだけの解釈を可能とする歌詞であり、昔ほど「大黒柱」たることを男性が求められなくなったとしても、漠然とした将来への不安や、パートナーに対する責任感、義務感に縛られること。そしてそのようなものも飲み込んだ上で、2人で決断しよう、というプロセスにいたるストーリーは、これからの時代、どんどんと普遍性を帯びてくるものではないでしょうか。


drifterの異質さ 2024.3.30 追記

「drifter」という歌詞は堀込高樹作詞のキリンジ作品の中ではちょっと異質な部類に入ると思います。

極上の比喩や絶妙なチョイスの日常を切り取って、シニカルにロマンチックに綴られる歌詞(愛のcoda、悪玉、千年期末に降る雪は、メスとコスメ)や、
一つのテーマで、時にナンセンスな言葉の羅列でとにかく面白みの溢れる歌詞(都市鉱山、牡牛座ラプソディ)に比べて、とても直情的な歌詞だと思っています。

「drifter」はプロポーズや愛の告白の歌だ、というにはいささかわかりづらい。それは「悪玉プロレスラーの悲哀と決意」や「幸せを運ぶサンタクロースの悲しみ」や「人生を間違えて姪や叔父に軽く扱われる男」をといった人たちを題材にしていない、ある意味でパーソナルな書き方をされているからではないでしょうか。それなのに「俺たちってみんなこうだよね」っていう普遍性がこの歌の主人公に仮託されているような気がします。
不思議ですね。

この曲が稀代の名曲であるだけでなく、なぜだか胸をうたれる理由のひとつかもしれませんね。誰もが人生の放浪者。片割れに寄り添ってくれる人とムーンリバーを渡るようなステップで虹の終わりを目指せればよいですね。


お付き合いいただきありがとうございました。疲れてしまったので、文章を整理せずに公開します。キリンジ、KIRINJI、大好きです。




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