見出し画像

会社のビジョンについて、改めて考えている

6月、ビジョン・ミッションの再策定をした。

僕はビジョンを「あるべき社会の形」、ミッションを「ビジョンを達成するために、果たすべき自社の役割」と定義している。

僕の会社のビジョンは、長らく「何度でもやり直せる社会」だった。

8年前に「中退・不登校の方を対象とした塾」で事業を開始した僕の会社は、現在は塾だけでなく、「行政・大学と連携した生活困窮者等の支援(公民連携事業)」や、「うつや発達障害の方を対象としたビジネススクール(キズキビジネスカレッジ)」などに広がっている。

これからも様々なことにチャレンジしていくつもりだからこそ、「我々は何をするべき存在なのか」、改めて定義する必要があった。
そうでなければ、「会社はどこに向かっているのだろう」と不安になってしまう社員もいるかもしれない。

様々な議論を経て、ビジョンは今まで通り「何度でもやり直せる社会」という言葉を使うことに決めたが、少しだけ葛藤があった。

******
「何度でもやり直せる社会をつくる」

普通の人が、この「やり直す」という言葉を聞いた時どんなイメージを持つか。

不登校やひきこもりの経験者が、猛勉強をして有名大学に合格するー
うつ病の当事者が、劇的な復活をして、有名企業で活躍するー

そんなサクセスストーリーを思い浮かべる人もいるかもしれない。

もちろんそれはそれで素晴らしいけれど、キズキが「やり直す」という言葉を通して伝えたいメッセージは、そんなサクセスストーリーから想起されるイメージとは少し異なる。

僕は弱さを”克服”して、その結果社会的に”成功”することだけが「やり直す」ではないと思っているからだ。

「やり直す」とは、時に、自分の弱さを”受け入れ”、自分がなんとか”納得できる”進路や生き方を選ぶことかもしれない。

皆が皆、有名大学に入る必要はないし、優秀なビジネスマンになる必要もない。

”弱さ”は常に歯を食いしばって克服すべきものではないし、必ずしも多くの人から賞賛されるような”成功”を目指さなくてもいい。

”弱い”ままでも、社会的に”成功”しなくても、僕たちは幸せに生きていける可能性もある。

******
拙著「暗闇でも走る」にも書いたけれども、8年前僕は絶望の中にいた。

大学を卒業後、入社した会社をたった4か月で休職。きっかけになったのは、発達障害の様々な特性だった。

発達障害である僕は、相手の感情が分からず職場で空気が読めない行動や発言をしてしまうことが多かった。加えて衝動性が強く、椅子に座って同じ作業をこなすことが苦手だった。

一番困ったのは、こだわりの強さだ。自分が正しいと信じられること以外を受け入れられず、会社の方針や上司からの指示に納得できないことが多かったのだ。

自分の本当の気持ちとずれた行動を毎日続けていたことが、いつのまにか大きなストレスになっていた。

同僚とうまくコミュニケーションが取れないー
決められた作業が上手くできないー
会社の方針や上司の指示に従うことができないー

そんな多くの「できない」が重なり、追い詰められた結果がうつ病による休職だった。

病院からの帰り道「取り返しのつかないことになってしまった…」「もう社会から必要とされないかもしれない」と、頭の中に自分を否定する言葉があふれていたのを覚えている。

その後、1年以上のひきこもり生活を経て、僕は再び社会とつながる方法を考え始めた。その結果編み出したのは「自分を苦しめることを徹底的に避ける」ことだ。

自分が心の底から正しい信じられることだけを行うこと。不得意な部分は誰かにフォローしてもらう環境が整えやすいこと。自由に仕事の仕方を決められること。それらを全て満たすのが「起業」という道だった。

当時の僕にとって起業は決して前向きな選択ではなかった。自分が”ありのまま”で社会とつながれる方法を考え抜いた結果、思いついた唯一の手段だった。

起業しても苦労ばかりで、起業から8年経っても社会に大きなインパクトを残せるような会社にはなっていない。それでも、会社で働き続けるよりは、自分には向いていたように思う。

******
僕の会社のスタッフも同じように挫折を経験した人が多い。
大学中退を繰り返し、40代で初の正社員になった者もいる。発達障害の当事者でありながら事業部長をしている者もいる。

彼らは、自分の変えられない”弱さ”は認めた上で、変えられるものは変える勇気をもつことの必要性も教えてくれる。

「何度でもやり直せる社会」とは、もしかしたら「ありのままの自分を受け入れられる」と同時に、「変えられるものを変える勇気を持てる」社会なのかもしれないと、時折思う。

******
神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。

ーー訳:大木英夫

拙著「暗闇でも走る」でも紹介した、アメリカの神学者ニーバーのこの言葉は、僕のいわゆる座右の銘である。

キズキという会社は、「変えられるものを変える」勇気を持ちたいと願う人の背中をそっと押せる存在でありたいし、「変えることのできないものを受け入れる」ために優しく寄り添える存在でありたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?