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「アスペルガーに生んでしまって申し訳ない」という言葉を、この社会からなくすために。

2019年6月、農林水産省の元事務次官・熊沢英昭被告(76)が、長男の英一郎さん(44)の身体を数カ所包丁で刺し、殺害した事件。先日、東京地裁は懲役6年の実刑判決を言い渡し、後に保釈を認める決定を出した。

「(長男を)アスペルガーに生んでしまって申し訳ない。」

これは殺害された長男に向けて母親が法廷で発した言葉だ。

この言葉を聞いたとき、様々な記憶が思い出され、とても胸が傷んだ。なぜなら、僕自身「アスペルガー」当事者であり、今は引きこもりや発達障害の方を支援する会社を運営しているからだ。

発達障害としてこの世に生を受けた者は、「可哀想な人生」を歩まなければいけないのか。そして、その親は子どもの障害に後ろめたさを感じながら生き続けなければいけないのだろうか。

事件の背景にある大きな原因は、長男の家庭内暴力だとされている(2019年12月12日付け日本経済新聞電子版)。「(長男を)刺さなければ自分が殺されていたと思う」と供述した父親の言葉からも、非常にひどいものであったと伺える。

また、長男には統合失調症とアスペルガー症候群があったことや、学生時代に不登校を経験していたこと、亡くなる直前まで引きこもりであったこと等も報道されている。

SNS上では「(長男は)殺されても仕方がない」といった被害者である長男を非難する意見や、「同じ子を持つ親として、被告の苦悩に同情する」という意見を見かける。

本当にそうだろうか。

「殺されても仕方がない」人間はいるのか


「殺されても仕方がない」と発言する人は、長男が40代でも定職につかずに引きこもりであったことや、家庭内暴力をふるうことを理由に挙げるだろう。熊沢被告をはじめご家族が長男に寄り添った行動を試みていたことを鑑みると、それでもなお良好な親子関係を築くことができなかった苦悩は想像してもしきれない。

長男を理由に縁談が破談となり、人生に絶望して自殺をした妹の話を聞くと、長男が大勢の人間に迷惑をかけている、自分勝手な「悪者」のような存在に見えてくるかもしれない。

しかし、それと同時に、長男が悪者だと思われてしまう存在になる背景に、どのような苦しみ・痛みがあったのかも想像する必要があると思う。

長男が家庭内暴力をふるうようになったのは、中学時代でいじめを受け始めてからだったという。空気が読めない・社交性がないことを理由に、頭を叩かれたり、シャーペンで背中や手を刺されたりしていたそうだ(2019年6月5日付週刊朝日オンライン)。

長男はいじめのストレスを家庭内で発散せざるをえないほど、追い詰められていたのではないだろうか。そして、自分が苦しめられている「暴力」という方法でしか、自己表現ができなくなっていたのではないか。その時、彼を助けてくれる人はいたのだろうか、彼の生きづらさを気にかける人はいなかったのだろうか。「父親に殺害される」という最悪な最期を迎える前に、周囲の大人ができることはあったのではないか。

「お父さんはいいよね。東大出てて何でも自由になって。私の44年の人生は何だったんだろう。」

殺害される約一週間前、実家で同棲を始めた翌日に長男が泣きながら放った言葉だ。僕は、長男自身も自分の人生をどのように生きればよかったのか分からずに苦しんでいたように見える。自分の何を、どのように改善すれば良かったのだろうか。それはどこで、誰が教えてくれるものだったのだろうか。

何も分からず父親に殺され、母親に生まれたこと自体を否定され、ましてや殺された後も「殺されて当然」かのように言われる彼の人生を想像してみてほしい。

「親が可哀想」「親の責任」という言葉


「こんな子どもでは、親も可哀想」

このように親の苦悩に同情する方々に対しては、「かつて関わりのあった、発達障害がある人やいじめられている人に対して、手を差し伸べたことがあるのか?」と問いたい。同情する前に、やることがあったのではないか?と。

発達特性は人それぞれだが、僕自身もアスペルガー当事者として、運動神経の悪さや空気が読めないことを理由に、いじめられることが何度もあった。また今の仕事を通じて、不登校・引きこもり経験者、発達障害の当事者と接してきているが、いじめの標的にされた経験を持つ人は決して少なくない。

今一度、思い返してほしい。
あなたはかつてのクラスメイトで運動神経が鈍い子をバカにしたことはなかっただろうか?空気が読めない職場の人を煙たがってはいないだろうか?自分はいじめていないにしても、孤立している人を見かけた時に助けてきたのだろうか?

また、ある情報番組の司会者は長男のことを「いきなり生まれたモンスター」と呼び、「こういうモンスターを育てたのは親の責任でもある」と発言し波紋を呼んだ。

しかし、発達障害がある人はモンスターではないし、長男の現在をつくったのは親だけの責任ではない。彼の痛みや孤立が度重なった結果であり、その責任は社会にもあるのではないだろうか。「親がかわいそう」、または「親の責任だ」という言葉の裏側には、「自分とは無関係な家庭の話だ」という思考が透けて見える。

親は何をすれば良かったのか


「(長男を)アスペルガーに生んでしまって申し訳ない。」

冒頭紹介した母親の言葉には、周囲から孤立していく発達障害の当事者、そしてそのような子どもを産み育ててしまったことに悩む家族の様子がうかがえる。

本来であれば、不登校のきっかけとなった「いじめ」加害者の同級生たちを非難しても良いはずである。けれども、アスペルガーという障害はいつしか大きなスティグマとなり、「悪いのは全部自分だ」という思考にからめとられていく。その後ろめたさから、他者に相談する気力も失っていく。現に、父親は、長男のことを外部に相談しなかったという。

僕がたった一つだけ、引きこもりを家族に持つ方にお願いしたいのは、「外部の相談機関を頼れ」ということだ(この話は、すでに昨年「現代ビジネス」の記事にも書いた)。

もし近隣の支援団体の情報が見つけられなければ、まず公的な機関に相談するのが良い。様々な自治体で、ひきこもりに関しての相談窓口が設置されている。

また、勇気を出して「親の会」などを訪ねてみるのも良い。同じような境遇にある親同士で話すことで、気持ちを軽くしてほしい。

そして間違っても、何百万ものお金を要求するような悪徳業者に頼ってはいけない。親の苦しみに漬け込んで法外なお金を要求し、ずさんな支援を行う業者がいるもの残念ながら事実だ(2019年12月16日付西日本新聞)。

もし、引きこもりだけでなく、家庭内暴力にも悩まれているのであれば、この記事を読んでみるとよい。家庭内暴力に対して家族がどのように対応するべきか、この分野の第一人者である精神科医の斉藤環先生が解説している。

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この事件を通じて、様々な人たちがアスペルガー家族の責任や苦しみについて考えていたように思う。もし可能であれば思考をもう一歩進めて、社会の中で疎まれがちな人たちが持つ複雑な「背景」に耳を傾けてほしい。時に彼らは「迷惑な人」に見えるかもしれないが、一度立ち止まってそこにある孤独に思いをはせて欲しい。

もしあなたの身の回りに生きづらさを感じている人がいたら、その人の話を否定せずに聞き共感してほしい。その人が抱える苦しさを、できるだけ理解しようとしてみてほしい。発達障害を抱えた人たちがこれ以上生きづらさを感じないような社会を創る一助となってほしい。

アスペルガーをはじめとした発達障害の当事者・家族が時に精神を病んでしまうのは、発達障害自体が原因なのではなく、周囲との摩擦が原因なのだ。だから周囲が少しでも優しくあったなら、その当事者も少しずつ人や社会のことを信じられるようになるだろう。

現に、発達障害が原因で周囲になじめず学校にも行けずいじめられ続けてきた僕も、大学入学後に様々な人の優しさによって徐々に立ち直り、今は普通にそこそこ楽しくは生きられるようになった。だから僕は、一人のアスペルガーの当事者として、この文章を読んでくださった全ての人たちに強く伝えたい。アスペルガーであっても社会からの排除ではなく社会からの支えがあれば、生きる喜びを得ることができるということを。

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