見出し画像

麻酔薬の胎盤通過性

産科麻酔では、しばしばお母さんから「麻酔薬って赤ちゃんに影響するんですか?」と質問されます。基本的に日常的に使用されている麻酔薬は、赤ちゃんにとっても安全です。しかし、プロフェッショナルは、その背景まで理解する必要があります。

薬物の胎盤移行は、主に5つのメカニズムで行われます。細かい部分は成書に譲りますが、ほとんどの麻酔薬は「拡散」によって、お母さんから赤ちゃんへ移行します。

1.細胞間隙流 (水)
2.能動輸送 (アミノ酸、ビタミン、イオン、Ca、Fe)
3.ピノサイトーシス (IgGなどの大きな分子)
4.破綻 (母体血と胎児血の直接混合:Rh感作の原因)
5.拡散 (呼吸ガスと麻酔薬のほとんど)

吸入麻酔薬

すべての吸入麻酔薬とほとんどの静脈麻酔薬は、胎盤を通過しますが、1 MAC(最小肺胞内濃度)未満の吸入麻酔薬で、麻酔開始後10分以内に分娩できれば、胎児抑制作用はほとんどありません。

静脈麻酔薬

容易に胎盤を通過し、胎児の循環で検出されます。
ベンゾジアゼピン以外、胎児への影響は薬物の再分布、代謝、胎盤の取り込みなどによって制限されます。

オピオイド

胎盤を容易に通過しますが、出産時の新生児への影響は薬剤の性質によって異なります。呼吸抑制に関して、モルヒネが最も影響が大きく、フェンタニルが最小。レミフェンタニルは胎盤を容易に通過し、新生児に呼吸抑制を引き起こす可能性があります(フェンタニルより呼吸は回復しやすいです)。最近は、帝王切開の術中覚醒を予防するために、少量のフェンタニル(1μg/kg)が進められています。

筋弛緩薬

高度にイオン化されており、これが胎盤移行を妨げるため、胎児への影響は最小限。

局所麻酔薬

弱い塩基性の薬物で、主にα1-酸性糖タンパク質に結合しています。胎盤移行には、① pKa、② 母体と胎児のpH、③ タンパク質結合率が影響します。

クロロプロカイン以外、胎児アシデミアでは、プロトンが非イオン化局所麻酔薬に結合することで、胎児の循環内に留まるため、母体に比べて胎児の薬物濃度が高くなります(イオントラッピング)。そのため、タンパク結合率の高い局所麻酔薬は胎盤を通過しにくいです。

ブピバカイン,ロピバカインは、タンパク結合率が高いので、リドカインより、胎児血中濃度が上がりづらいです。クロロプロカインは、母体の血清コリンエステラーゼで迅速に分解されるため、最も胎盤移行が少ないです(日本では未承認)。

その他関連薬剤

エフェドリンやアトロピンは胎盤移行しやすいですが、フェニレフリンやノルアドレナリンは、ほとんど移行しません。そのため,産痛緩和において胎児徐脈を予防/治療する目的でエフェドリンを使うことが臨床的にあります。アトロピンは胎児徐脈において経胎盤的投与することもあります(特に胎児治療中)。

和製英語を論文に掲載しない

帝王切開を全身麻酔で行った際に『スリーピング・ベイビー』と表現することがありますが、これは完全な和製英語。一般的には、neonatal depressionまたは anesthetized baby が用いられます(前者の方がより一般的)。しばしば、日本から投稿された英文においてもsleeping babyという表記が見受けられますが、恥ずかしいのでやめましょう。

「APGARスコア5分値が7点以上」は、ACOGとAAPが2014年に提唱した、新生児予後の指標に用いる国際標準。統計解析において、APGARスコアは連続変数ではなく、カテゴリー変数(7点以上 vs. 6点以下/7点未満)とするのが正しい方法。新生児アウトカムがメインの研究でなければ、連続変数で解析しても文句は言われませんが、産科麻酔の研究をしている人たちからは、やや残念な目が向けられます。

ちなみにAPGARスコアは人名に由来するので、アプガールは正しい発音ではなく、アプガーが正解。

APGARスコアの偉業

周産期領域では当たり前になったAPGARスコアですが、これが発表されたのは1952年。アメリカ、コロンビア大学初代麻酔科教授であった、ヴァージニア・アプガー先生が、医学生とのランチで講義をした際に考案されたという逸話が残されています。APGARスコアが普及するまでは、それぞれの施設で別々の指標が用いられていたため、客観的にデータを比較する事ができませんでした。

新生児の「皮膚の色 Appearance」「心拍数 Pulse」「(刺激への)反応性 Grimace」「活動性 Activity」「呼吸状態 Respiration」を0〜2点の数字で評価することは、客観的かつわかりやすい指標だったため、爆発的に普及しました。

新生児蘇生では、APGARスコアを評価する前に、蘇生の必要性を判断することがガイドラインに示されていますが、それでもAPGARスコアは母子手帳に記載されるほど一般的な指標として用いられています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?