自己紹介

神奈川県川崎市で生まれ育ち、2023年4月に40歳の大台に到達予定で
16歳長女、14歳長男、10歳次女と3人の子供がいます。
現在は、物流会社の管理職をしております。

子供の頃は夏休みの宿題はギリギリまでやらず、友達を見つけては遊びに行き、いよいよ期限が迫り、追い込まれてから親や友達の協力を得ることで宿題を何とか提出するタイプの子供でしたが切羽詰まった時、人に協力してもらうには普段の付き合い方や立ち振る舞い等が大事なんだと子供ながらに感じました。
小学生の時、近所の友達に誘われたことがきっかけで地元の少年野球チームに所属し、6年生の時にはキャプテンになりました。野球をやっていたことで回りの友達より肩が強く、学校の体育の時間はドッジボールが得意でその時だけは女子からモテました。
そんな小学生時代を過ごし、中学からはシニアリーグ、高校まで都内の私立高校で野球をしました。
野球を通じてチームプレーの大切さ、仲間との絆、勝った時の喜び、負けた時の悔しさから、我慢、縦社会、理不尽への耐久力を鍛えました。私が野球をしていた頃はまだまだパワハラや体罰等が当たり前のように行われており、心底嫌だなという経験からこの時、自分が嫌だなと思うことを人にはしないという自分ルールを制定しました。
高校で野球を終えてからはその反動で残りの高校生活を遊びに費やし、その時の友人とは今でも年に数回は飲みに行ったりする関係が続いています。
高校卒業後、車が好きという理由だけで自動車整備の専門学校を入学し、2級整備士免許を取得しましたが就職活動中に当時の整備士の給料が安いことに気づき、知人の紹介でまったく関係のない、金融関係の営業マンとして就職をしました。
金融の営業を1年、不動産の営業を2年程、経験して売上はそこそこ、いわゆる可もなく不可もなくといった営業成績でした。
入った会社はゴリゴリの体育会系でパワハラは当たり前の会社でしたのですかさず、自分ルールに追記をしました。
2社で営業としての経験をした中で売れる営業マンはお金への執着が強く、そのモチベーションが高い、また違ったタイプでこの人と契約したいと思われるような人柄等の人が売れる営業マン。そんな人たちのマネをしてもみましたが自分には合わず、売上が悪いことが気に掛かり、家庭には持ち込むまいと踏ん張ってはいましたが将来的に続けていくことが難しいのではないかと思うようになりました。
23歳の時に結婚をし、長女を授かったことで将来的に安定した職につきたいと考え、車の運転が好きなこともあり、物流会社に就職をしました。
トラックのドライバーとして配送業務に従事するようになり、営業とは違いその日その日で仕事が完結して仕事とプライベートを切り替えての生活できることが心地よく、営業時代の経験から納品先でのお客様とのコミュニケーションや距離感を踏まえた上で車両・納品事故を起こさない、仕事を効率よく行うことを心がけ、4年程経ったときにリーダーという役職につきました。
役割は配送コースの物量や時間を調整をする配車係、一般社員への指示出しや注意喚起等を行う役目でしたが当時27歳の私は、社員の中でも最年少で一回りも二回りも年上の方達が30名程いる中でどういう立ち振る舞いをすれば協力してもらえるかと考えました。。。。
思い返してみれば子供時代から協力してもらうことに慣れている私には、さほど難しくもなく業務を行えました。
それから3年が経ちチーフに昇格、また3年後にサブマネージャーに昇格。
現在の私はアイスや冷凍食品、冷凍総菜等をスーパー、ドラッグストア、外食チェーン店向けに商品を納品を行うセンターの入出荷と配送を行い、正社員75名、アルバイト45名、120名程の規模の物流センターで統括マネージャーという管理職で業務を行っております。
行っている業務は従業員や商品やお金の管理、面接や荷主様との交渉、配送スキームの構築、クレーム対応等を行っております。
私が管理職に就任した際はコロナ禍で外食チェーン店の売上に大きく影響が出てしまい、売上が前年比60%台という月が続いた中でもやれることはやろうと決め、配送スキームの変更や人員の削減等々を行いましたがその年度の収支はマイナスとなりました。しかしながら業務の変化にアンテナを張り、やれる事を見つけて、スピード感を意識して対応することに無駄はないと感じました。2022年度はコロナ感染も落ち着き、予算を達成することができました。
従業員も120名も入れば色んな人がおり、些細なことから大きなトラブルもあり、景気や気候の変化で売り上げも変動し、管理も大変ではありますが協力的なスタッフと達成できた時にはやりがいもあります。
来年度には物流2024年問題というドライバーの時間外労働規制も控えており、時間管理をテーマとしてドライバーと倉庫の管理者と連携を取りながら取り組んでおります。
これからも人との繋がりを大切にして、自分ルールにウソをつかず40歳台を歩んでいきたいと思います。

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