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高円寺の書店 思い出話

街の書店がどんどん消えている。
そういう記事が新聞・雑誌に載るようになって久しい。

私が生まれ育った(そして今も住んでいる)高円寺にもかつてはたくさん書店があった。そこで、高円寺の書店についての思い出話を書いてみようと思う。これが私が本を読むようになった原点かもしれないので。

まず、1970年代、我が家(杉並区高円寺北4丁目)の近く、早稲田通り沿いには青地書店というまさしく「街の小さな書店」があった。当時で30歳台くらいの男の人とその母親の二人でやっていて、表側が店で、その奥に引き戸があって彼らの住まいがあった。ここが私の書店デビューの店だったろう。子供の頃(1970年代)、小学館の『小学一年生』から『小学六年生』まで定期購読をして毎号を定期配達してくれていた書店だった。そのために、「本屋」=青地書店というのが我が家の常識で、父もよく本を買いに行っていた。
とはいえ、基本的に私は本を読まない子どもだったので、『小学〇年生』と漫画以外はあまり読まず(しかも漫画は近所の貸本屋で借りていた)、母親に怒られていた。小学三年生・四年生の頃は読書感想文が何より嫌いで、夏休みの宿題だった感想文を本を読まずにいい加減に書いていったら、「お前、読んでいないだろう!」と先生に怒られ、罰としてさらに5冊くらいの読書感想文を課されてますます本が嫌いになった。でも、今になって考えると、なぜ本が嫌いだったのかというと、先生や親が「読みなさい」と言ってくる本は、「小公子」「母をたずねて三千里」「次郎物語」といった「良い子のための本」で、ちっとも面白くなかった。ウルトラマンや仮面ライダー好きの子供にとってチョップやキックの出てこない本など退屈そのものだったのだ。
それが劇的に変わったのは、あまりに本嫌いな私を心配して母親が青地書店で買ってきた「こども古典シリーズ」みたいなものの中の1冊『平家物語』を読んでからだった。小学6年だったと思う。ただ、シリーズの正確な名前は忘れてしまった。
でも、私が夢中になったのは平家の方ではなく源氏の源義経だった。「なんてカッコいいんだ! 仮面ライダーみたい」と夢中になり、続いて同じシリーズの「保元・平治物語」を読み、さらに同シリーズの「南総里見八犬伝」などを買ってもらい読んでいった。ここで、歴史の面白さに出会ってしまったのが運の尽きで、59歳の今にいたるまで、どっぷりと歴史沼に浸かってしまっている。

そして、中学生になって「別の歴史の本も読みたい」と青地書店に行って買ったのが、吉川英治の『源頼朝』で、これで吉川文学にハマってしまい、『宮本武蔵』『新平家物語』『新書太閤記』『私本太平記』『三国志』などを読んでいった。
その頃になると、書店も青地書店だけでは物足りなくなり、高円寺駅周辺の湘南堂書店(南口に本店、北口に支店があった)・大正堂書店・現代書店(現在のブックスオオトリ)、さらに名前は忘れてしまったがパル商店街のなかにオカルト関係が妙に充実している書店があって、そこで『ノストラダムスの大予言』や『タロットカードの秘密』を買うなど、次々と廻っては小遣いをはたいて本を買いあさった。当時はオカルトブームでもあった。
さらに森村誠一・横溝正史ブームにもハマり、彼らの推理小説を手あたり次第に読み、加えて中学の図書室でたまたま見かけた『不死販売株式会社』や「キャプテンフューチャー」シリーズというSF小説を借りて読んでからはSFにもハマり、同時に歴史小説は山岡荘八を読んでいった(最終的には、祖母が青地書店で『徳川家康』全26巻を買って、誕生日にプレゼントしてくれた。これは2年くらいかけて読み切った)。
とくに大正堂はハヤカワSF文庫・創元SF文庫のラインナップが揃っており(のちにサンリオSF文庫も加わった)、また高円寺で一番の品揃えは現代書店だったので、この2店にはほぼ毎日のように行っていた。もちろん、中学生だったのでいつも買う訳ではないが、立ち読みしつつ、「次はどれを読もうか」と物色していた。

その後、高校生から(1980年代)は司馬遼太郎にハマり、高校2年までに長編は殆ど読みつくした。なかでも『坂の上の雲』に感動し(今では司馬の歴史観には批判的だが)、現代書店で全巻いっぺんに買い、ほくほくして帰宅して高2の夏休みに全巻読み切ってしまった。
そして、ここから小説ではなく現実の歴史を知りたいと思うようになって、岩波新書・中公新書といったものを読むようになっていった。その新書をいつも買っていたのも駅前の大正堂書店・現代書店だった。一方、辞書・参考書は湘南堂(本店)が充実していたように思う。湘南堂本店はたしか2階まであって結構大きな書店だった記憶がある。

また、この頃になると新刊書店だけでなく、高円寺の古書店にも出入りしていた。都丸書店・青木書店・大石書店、そして本当に小さな埃っぽい名前も忘れてしまった古書店いくつか、さらに家の近所にあった古書店(名前を忘れてしまったが、出久根達郎さんがやっていた店かもしれない)など、高円寺は古書店が山ほどあったので、あちこちに出没していた。
なかでも都丸書店は人文書・社会科学書の品ぞろえが素晴らしく、特にマルクス関連の本がこんなにたくさんあるのかと目を見張った。
なお、都丸・青木は廃業してしまったが、今でも大石書店だけは頑張っていて、歴史書・文学書の充実ぶりは嬉しいかぎり。しかも、ここは通販をしていないそうなので、直接、足を運ばないと買えないのだ。

そうした店で買った本を読んで、「歴史を、特に日本の近代史を本気で勉強したい」と思うようになり、青山学院大学文学部史学科に入った。そしてそこでの勉強のための本も殆ど高円寺周辺で買っていた(あまり遠くまで買いに行った記憶がない)。目当ての本がその時に店になくても、注文をして購入していたと思う(もちろん、ネット書店などは無かったのでリアル書店で買うしかなかった)。

それからしばらくして、高円寺文庫センターが出来た。ここはとんでもなく個性的な書店で、サブカル関係が充実しているだけでなく、店そのものがパンクで、忌野清志郎をして「日本一ロックな本屋」と言わしめたという伝説の店。さらに深夜までやっているので、飲んで帰ってくるとつい寄ってしまい、酔った勢いで買ってしまうのだ。

そういう楽しい書店文化が花開いていた高円寺だが、今では新刊書店も古書店も激減してしまった。
でも、その一方で、私がいきつけのコクテイル書房はあるし、「本の長屋」も出来た。さらに若い店主が個性的な小さな書店を新規に開いてもいる。
いつか、高円寺文庫センターみたいな店がまたできるといいな、と思う。