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「永滝さんは一人だけでやっていて、どうやって著者を見つけてくるの?」

先日、友人の新聞記者の方と造形家の方とコクテイル書房で痛飲。
そこで、「永滝さんは一人だけでやっていて、どうやって著者を見つけてくるの?」ときかれました。

そんなに特殊なことはやっていませんが、結局は様々な定期購読している学術雑誌やその他の学術誌に載っている論文を探して読むのと、色々な研究会・勉強会にも顔を出して新しい研究を知っていく以外にないと思う。
難しいのは、実証性の高い論文・原稿がそのまますぐれた歴史学術書として出版できるわけではなく、かといって論理性や言説分析だけでですぐれた歴史学術書が出版できるわけではないということ(「史料で語らせる」だけの論文や、一方でポストモダン的な用語・言説だけで「切っている」ような論文は両方とも好きではない)。

実証・論理両面で学問的な評価が高い研究であるというのは当たり前で入口にすぎないのですが、商業出版物である学術書を出版社が大きなリスクを負って世の中に放つかどうかという判断はそれだけで決まるわけではない。
特に有志舎のような零細は1点でもコケると経営そのものが傾くので常時真剣勝負なのです(そこは大手とは違う)。

また、もちろん知り合い研究者の方からの推薦・紹介ということもありますが、以上のようなことを理解されている方からの紹介は外れがないけど、そうじゃなくて、よくあるのは実証性だけで「この研究は売れるから」と思い込んで紹介されること。これはなかなか困るし、お断りすることも多い。

それはともかく、そうして得た情報から、その研究が学問性と商業性の両方でポテンシャルを持っているかどうかを論文を読んで、また発表を聞いて判断するということ。
つまり、その研究者の原稿を本にした場合、どれだけの読者に数千円の出費をしてでも手に入れたいと思ってもらえるかという、「これまでと違う!」という、「根拠を持った革新性」「根拠を持った唯一性(オリジナリティ)」をはらんでいるかどうかが大事だと思っています。それこそが読者の知的好奇心を刺激するのだと思うので。
それに、現代性も大事。いまの政治・社会・生活とリンクしていると読者に感じてもらえないものは商業出版物にはなりにくい。かといって、とってつけたような現代性やエンタメ的な現代性は無意味ですが。

もちろんそうはいっても、実際に書いてもらったら当てが外れたという事もないわけではないですが(また、論文は書けてもそれをまとめて単著にすることができないという人もたまにいるが)、それまでの論文・発表をみて判断すれば、そう大きく期待外れという事は少ない。

そういう優れた原稿を書いてもらえる著者を探すのは大変だけど、編集者としてとても楽しい事。
これからは春の学会シーズンになるので、またそういう新しい出会いを楽しみにしています。