見出し画像

選ぶこと

「これが大事だ」

そう思うことは、誰でもできる。
もちろん僕にもできる。

「これが大事だ」
そう言って生きることは、少し難しくなる
僕はできたり、できなかったりする。

「これが大事だ」
そう思うことを、実際に大事にして生きることは
さらに難しくなってくる。

僕は、大事だと思うことを
大事にして生きることは
極限の状態にならないとできないことの方が多い。

極限というのは
「もう限界だ、これ以上耐えられない」

今のこの状況をすぐになんとかして変える必要がある。
必要性と緊急性が高まった状態といいますか。

そういう時には
「やっぱりこれを大事にして生きよう」
と思って、実際大事にすることが多い気がします。

人生において
「自分で選んで生きる」ことを大事にしているのですが

選ぶのって、重たいです
僕にとっては、とても。

何かを選ぶということは
何かを選ばないということであり

他の選択肢を選んだ先にある
より良くなったかもしれない未来
より悪くなったかもしれない未来

いろんな可能性を捨てることであり

選んだ先、どうなるかわからない
不安定で、不確実な未来に進んでいくことで。

結果がよければ
ああよかったな、と思うし

結果が悪ければ
なんでこんなことを選んだんだ、と思う。

その連続の中で生きるということが
僕にとっては、とても重い。

誰かに聞いたら楽かもしれない。
「これってどうしたらいい?」と。

誰かに選んでもらったら、もっと楽かもしれない。
「どうすればいいかわからないから、決めてほしい」と。

けれど、そうすると

「楽」を得る代わりに
自分の人生を失うことになる。気がしてしまう。

誰かの力を借りて、最終的に自分で選ぶことと
誰かに選んでもらうことは、違うのだと思う。

振り返ると

自分の人生が、よいものだったのかどうか
正直なところ、よくわからない。

今はつらいと思う事が沢山あるし
もっと違う選択肢があったのではないかと
後悔しそうな時もある。

生きていく活力があるのかさえ、怪しい時もある。

頑張ってきたな、とか
よくやったな、とか

自分を労うことも、最近あんまりできていない。

だけれど

「生きてきた」
という感覚だけはあります。

生きてきた結果の「今」が

よいものかどうかはわからないし
今後どうなるかもわからない。

労えるほどのものだったのかも、わからないのですが

生きてきた、と思えるのは

自分で選んできたから、なのかもしれません。

何かで悩んだり、迷ったりした時

最終的にどうするか、は
意志を持って自分で決める。

「だからこの時これを選んだ」と
自分の人生の説明ができるような
そんな生き方がしたいです。

選ぶのは重たい。
重たいのは、しんどい。

けど、自分の人生が
自分のものじゃなくなるのは、もっとしんどい。

全ての物事を
自分で選んできたといえるような人生ではありませんが

ここぞという時の大きな決断は
悩んで、考えて、納得して進んできた気がします。

今も、悩み事が多くて、考えてばかりで
これといった答えも見つからず
どうしたらいいか迷ってばかりです。

大事だと思うことはあるけれど
それを実際大事にすることと、選ぶことの重さ。

その重さがあるからこそ
自分の人生が、大切で誇らしいものに
なっていくのだと思います。

今の悩み事も、最終的には
自分の大事にしたいことが、ちゃんと選べるように
考え続けて選びたいです。

いま、ふと。

人の人生に触れる時にも

重さを感じられる人で居たいなと思いました

僕は、その人ではないから
その人の重さを体感することはできないし
本質的には理解することもできない。

軽々しく「わかるよ」とは言えないし
共感することも、できないかもしれない。

けれど

「理解しようとする」ことはできると思っています。

僕の中では
相手を本質的に理解することはできないことなので
「理解した」に達することはないと考えています。

「理解していない」という謙虚な姿勢が
「理解したい」という気持ちを生み
「理解しよう」という努力と行動に結びつくのだと思います。

なので、いつまでも
自分は相手のことを、まだまだわかっていない。と。

わかった気にならないように。

見て、聞いて、想像して
相手と自分の頭の中を擦り合わせして

相手の人生、その重さを
丁寧に扱える人で在りたいです。

それでは。

今日も皆さんが
納得できる誇らしい人生を送れますように。

フジタ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?