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【小説】織姫のマリッジブルー

・2014年7月7日

「今年も雨かぁ・・・」

出張から帰ってきたばかりでだいぶお疲れの春彦は、ユウウツそうにそう呟き、レンタカーの扉を苛立たしげに閉めた。
ここのコテージはもう勝手知ったるもので、わたしは荷物を積み出している彼を尻目に、キャンプ事務所で借りたカギを使って扉を開け、空気の入れ替えを始めた。

「まぁ毎年のことだからね。今更気になりゃしないわよ」

コテージに入り込んだタイミングを狙ったかのように雨は本降りに。
今年は梅雨時から豪雨が多く、6月、7月というより台風時の9月じゃないかといった錯覚に陥ることがある。
そのくせ、雨上がりの日は異様に蒸し暑かったりするのだから、正直やってられない。

「今年も大人しくしてるしかないな。。。」

気だるげな表情の春彦が、クーラーボックスからコテージの添え付け冷蔵庫に移動させた缶ビールを二本、両手に持ってテーブルの前に座る。

---

『七夕の夜、星空の下で織姫と彦星が出会ったら、結婚してください』

これは中学卒業間近、今よりだいぶ純真でカワイかった春彦の、わたしに対する告白の言葉である。
わたしから、ではなく彼から。そこ、間違わないように。

かれ、赤星春彦と、わたし、姫川伊織は今年で27歳。
出会って3ヶ月で結婚にこぎつけるカップルも多いこのご時世に、「中学時代からずっと付き合っており」「お互い結婚する気もある」なのに結婚していない。
というのは希少を通り越してもはや絶滅危惧種といってもいい。
当時の友人たちからの感想は「別れたほうがいい」「イミが分からない」「オッズは年々下がるわよ」。
ひとごとだと思って。。。。

「ハルさぁ。今だから言うけど」
「なんだよ。・・・でもなんか聞きたくない雰囲気」
「いやもう、今年限りは言わせてもらうわよ。
 『織姫と彦星が出会ったら結婚してぇ』とかいまどきの少女漫画ですらないんだけど。
 あんた一体十年前どこからそんなメルヘン思考仕入れてきたのよ」
「頼む、それを言うなぁ」
「あたしもあの時メルヘン脳だったからOKしちゃったけどさ。
 よくよく考えたら
 「7月7日お天気が良かったらその年に結婚してくださいね」
 って他力本願にもほどがあるってのよ。
 あんなもん告白じゃなくて願掛けよ!」
「わかった!わかったからもうやめて!!!!」

ビールのアルコールが誘引剤となったのか、春彦の顔は茹でたタコみたいに真っ赤になっている。
ふむん、このくらいでカンベンしてやるかね。

出張がちであまり東京にいない春彦だが、毎年夏場の閑散期にまとめて休暇を取ることにしている。
例の告白のこともあって、7月7日はほぼ二人っきり、長野の避暑地のコテージでゆったり過ごすのが通例だ。
このコテージを使うのも、大学時代から数えて5回目になるので、さすがに諸々手順が最適化されていて、二人にとってはもはや仮の別荘みたいなものになっている。
仮に今後子供が生まれても、特に問題ない作りのしっかりした建物だ。

向かいの春彦は、というと、運転疲れとビールですっかりお疲れの様子、船を漕ぎ始めている。
シャワーくらい浴びなさいよ、と言いかけて、ここ最近日帰りコミの北海道出張ばかりで、すっかり疲れ果てていたことを思い出した。
やれやれ、と添え付けのブランケットをかけてやる。
気分は彼女というよりお母さんに近い。
ホント、だいじょうぶかなわたし。

外は相変わらずのひどい雨。
大きなガラス窓は滝の飛沫にも似た豪雨が打ち付け、遠くにある事務所の明かりがぼやけて滲んでいる。

朝方からの予報は晴れ。
天気予報では『星のキレイな七夕になるでしょう』

「今年こそは、と思ったんだけどね…」

残念なような。
でもちょっぴりホっとしたような気分。

彼と一緒にいることそのものに不満も疑いもない。
出張がちだから会えない日も多いとは言え、同棲も始めたので、もうそれこそ「結婚しているようなものだ」

正直、あの当時の約束なんて、もうどうでも良くなっているわたしがいる。
でもそれを「どうでもいい」と言い切れないのは何故か。

「もう結婚しちゃおうよ」とどちらかが言い出せば終わるのだろうか。
それでも、子供の頃の約束に縛られてこんな中途半端な状態を保っているのは、お互い結局踏ん切りがついていないからなのか。

その晴れない気持ちをわかっているかのように、毎年七夕の夜は必ず豪雨が降る。
お互いの気持ちを信じて疑っていないはずの、織姫と彦星を遮る天の川のように。

---

気が付くとビールの缶はカラになっていた。
軽くシャワー浴びてわたしも寝よう。
そう思ったとき、痛いほどに打ち付けていた雨音が、いつしか止んでいたのに気づいた。

一度閉じたカーテンをまた開けた、その瞬間。

南東、空をうち塞ぐ黒雲を、切り開くかのような星の群れを垣間見た。
星好きだった春彦に何度となく見せられた星座図鑑がまぶたの裏に浮かび、夏の夜空に線を引いてゆく。

一緒に読んだ宮沢賢治「ほしめぐりのうた」の一節を思い出す。

あかいめだまのさそり、ひろげたわしのつばさ。
あをいめだまのこいぬ、ひかりのへびのとぐろ。

オリオンはたかくうたひ、つゆとしもとをおとす。
アンドロメダのくもは さかなのくちのかたち。

おおぐまのあしをきたに いつつのばしたところ。
こぐまのひたいのうえは そらのめぐりのめあて。

満天の星々の合唱が脳裏に響き、つらいこと、悲しいこと、面倒だったこと、それでも楽しかったことが、ひとつ瞬いて、またふたたび瞬いては消えてゆく。

「織姫さん。今年はずいぶんうれしそうじゃない」

そう、空に向かって問いかける。
滲んだわたしの目には、なぜだかわし座の翼が天の川を越え、こと座に届いてっているように見えた。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

・2014年7月8日

「・・・イオ!伊織!起きろよ!」

ベッドでブランケットにくるまって寝ていたわたしを、春彦がとても神妙な顔をして揺さぶっている。

7/8日の早朝、窓から漏れでて来る光を見る限り、今日はドピーカン。
もはや誰かの嫌がらせとしか思えない。

昨日の晩、遅くまで星空を見ていたわたしはもう少し眠りたくて仕方なかったのだ。

「…なによう、もうちょっとゆっくり寝かせてよー」
「結婚しよう」

起き抜けのわたしの頭に、疲れも酔いも眠気も、全く残っていない声で春彦が言った。

「…ナニ?」
「結婚しよう。
 決めてたんだ、今年は言おうって。
 結局俺が一緒にいたいかどうかって、約束とか、天候なんかには関係ないんだって。」

うーん、昨晩、彦星はちゃんと天の川を渡れたってことなのかしら。
ゆうべ、春彦はあの星空を見ていなかったはずなのに。

「…うーん、うん、はい」
「オーケー?」
「うん、オーケー。
 …ただし、いっこだけ条件がある」
「…条件?なに?」

真剣そのものの表情の春彦の顔に、わたしはにっこり笑って言った。

「結婚式は来年の7月7日。
 …意地でも、晴れさせてね」

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