8/3補足① 西方からのインパクト

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記事:松岡秀達
2021年08月03日 第一回『東洋占術を語る会』の中の補足その①

西方からのインパクト

最初に西洋の『天文』が中国に与えた影響について概観しておきます。天文にカッコが付いているのは古代の天文が、現代でいう所の天文学と占星術の複合体であったためです。(2番目は『月将と月建そして歳差』です。)

中国はシルクロードやインドを経由して西洋と人・物・知識の継続的な交流がありました。西洋のホロスコープ占星術や天文観測の知識や技術も継続的に中国に入ってきています。その継続的な交流によるインパクトが最初のまとまりとなったのが、最初の式占術である六壬神課の誕生です。六壬神課は中国の戦国時代から漢代にかけて作られて行きました。筆者(松岡)はこれを 1st. Impact とよんでいます。六壬神課は、ホロスコープ占星術と中国の干支術が合わさって生まれた占術です。六壬神課の本領は卜占にありホラリーとは兄弟か従妹くらいの関係あります。

安倍晴明が子孫のために残した『占事略决』の冒頭にある、

常以月将加占時

は世界最古のハウス分割の解説と言えるのではないでしょうか。
(参考:六壬神課のハウスシステム-北斗柄の占いについて思うこと

また六壬神課にある昴星課では昴=金牛宮となっています。昴は星座の牡牛座の一部ですから、黄道十二宮の金牛宮が星座の牡牛座を一致していた時代の痕跡となっています。六壬神課はそういう2000年前の記憶を残しながらも、優れた卜占術として生き残っています。

次のインパクトである 2nd. Impact は唐の時代に出現した『七政四餘』によってもたらされました。七政は古典的な七惑星である、日月と水火木金土の五惑星です。また四餘は、惑星軌道から算出される4つの感受点です。まず太陽の軌道である黄道と月の軌道である白道の2つの交点である昇交点(ドラゴン・ヘッド)と降交点(ドラゴン・テール)があります。昇交点には羅睺、降交点には計都の名前があります。次が月の軌道で地球から最も遠い遠地点である月孛です。最後に紫炁ですが、これは名前と位置の計算方法だけ伝わっていますが、具体的に何と何に基づいた感受点かは不明です。

七政四餘はホロスコープ占星術や中国の二十八宿、惑星や感受点への十干の割り付けと割り付けられた十干と生年干の関係を表す十干化曜星といった、ごった煮のような占術でした。

この十干化曜星のアイデアと、黄道十二宮を10度づつに細分化したデーカンに割り付けたのデーカン・ルーラーをもとにした占術は後にや星平会海や四柱推命となって行きます。また計算から出て来るアラビック・パーツを基にした占術が紫微斗数へと変化したと推測できます。

3rd. Impact はモンゴル帝国の成立によってもたらされました。モンゴル帝国は中国から東ヨーロッパを跨ぐ帝国で、西洋の天文学が直接に中国に入ってくることになりました。そこから、非常に優れた暦法である授時暦が生まれてきます。また宰相を務めた耶律楚材(やりつ-そざい)は『天官経』という占術書を残しています。これは七政四餘の十干化曜星を使った実星四柱推命の趣があります。

4th. Impact はヨーロッパからやってきた宣教師によってもたらされました。マテオ・リッチを嚆矢として、イエスズ会の宣教師達はキリスト教の教義とは別に身に着けた科学知識を使って明や清の宮廷に入り込むことに成功しました。アダム・シャールもそんなイエスズ会宣教師の1人で、天文学の知識によって明末の改暦を成し遂げます。この時の改暦では二十四節季が時間分割の恒気法から、太陽黄経に基づく定気法に変更されます。

定気法二十四節季では、節入りと節入りの間隔が一定でないために、ほぼ29.5日で安定している朔望月と噛みが悪いところがあります。アダム・シャールは最初に出現する中気を含まない朔望月を閏月として、他は機械的に月を割り振るという、かなり大胆な置閏法を採用して定気法二十四節季に基づく太陰太陽暦を実現しています。

アダム・シャールによって明末に完成した『崇禎暦』はそのまま清によって『時憲暦』として採用されました。この時憲暦の置閏法は現代でも採用されています。

このように中国の天文は西洋の影響を受けつつ発展してきました。

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