おしまいの準備
「おばあちゃんの手は美味しい匂いがする。」
ベッドで眠る祖母の手を握る僕に、もう片方の手を握りしめ姉が言う。
祖母は美味しい食材を見極める達人だった。
スーパーの売り場に山のように積み上がる野菜や果物のなかから、神の手が如く美味しい個体を選び買ってくる。
美味なるものを吸い寄せるあまり、その手は美味しい匂いがするようになったのだそうだ。
"お姉ちゃん"という存在の偉大さに時折心が折れる。
弟は姉に勝てない。
強いのはいつも姉だった。
どちらが部屋の電気を消すかでいがみ合った時も、
ふたりの共有財産であるはずのCDや漫画を勝手に遊ぶ金に換えられた時も、
僕が友達と釣りをしているところへわざわざ罵倒しに訪れた時も、姉は強かった。
大人になりお互いが初めて身近な人の死に触れた時も、
僕が悪徳業者に騙されてお金に困り泣きついた時も、
苦しそうに横になる祖母の手をふたりで握っていた時も、姉は強かった。
僕といると強くあろうとするのかもしれない。
こういったところについて姉の本音を聞くことは恐らくないけれど。
僕は優しく出来ているんだろうか?
優しい言葉だけではなく、厳しさや、理解されなくても本当にその人のことを考えて接するような勇気を、僕は持っているんだろうか?
今、思うこと。
僕はきっと優しくなれなかった。
人を思いやる心を育めなかった。
大人になれなかった。
自分の中の無自覚な浅はかさに気付かされるたびに辟易する。
人と、自分と、真摯に向き合える人になりたいと思う。
姉は強いけれど、本当は誰よりも弱いのだ。
僕はいろんな人の優しさに守られてどうにか生きている。
家族や友人や音楽仲間ライバー仲間、そしてリスナーの方々。
愛のある生き方をしたいなと思う。
これが一生かかるほど難しくて、まだ何も分からない。
たくさん迷って間違ってたくさん傷つけてきたのに。
優しくなるのは難しい。
でも人は変われる。
いつか僕の手からも美味しい匂いならぬ"優しい音"がしますように。
今は死ぬ気で生きようと思う。
だからこそ、
今日という1日をおしまいにする準備。
ばいばい、お盆。
ちゃんとベッドで寝るよ。
おやすみなさい。
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