見出し画像

養子縁組しました

翼とはおそらく1年以上前にX(旧Twitter)で出会いました。
俺が翼に絡んだのは、翼が自害することを仄めかしていたからです。
過去に友人の自害を食い止めたら説教され、最終的には絶縁するという体験から「人の自害に首を突っ込むのはやめよう」と決めていました。
なのに、俺は翼の自害に首を突っ込み、「俺でよければお話し聞きますよ」と返信をしました。
DMで翼とやり取りをして話を聞いていくうちに「この人は何も悪くないのに何で死のうとしているの?」と疑問に感じました。
あなたは何も悪くない、死ぬ必要も、死ななきゃいけないようなこともしていない、そんなあなたが何故死なねばならぬのか・・・色んな感情が渦巻いて「あなたは何も悪くない」と伝えました。
翼は文章化することで少し落ち着きを取り戻し、自害することをやめました。
そして、言われた一言が
「あなたは命の恩人です」
でした。
過去に友人から嫌われ続け、たくさんの友人と絶縁してきた俺が、「命の恩人」・・・?そんな大そうなことしてないぞ、と思いましたが、「やっと人を助けることができたのか・・・?」と固まっていました。
翼は当時から俺のことを意識していたみたいです。
俺は何も分かっていませんからね。

時系列が曖昧ですが、連絡先を交換しそのツールでやり取りをするようになりました。翼の願望?から文通も始めました。ビデオ通話もしました。
しかし、通話をしたその日、翼はXから消えました。
俺は「自分がもっと話を聞いていればこんなことには・・・」ととても後悔しました。
「○○(当時の翼のHN)が消えた・・・」と投稿しました。
そこから翼のことを考え続け、カウンセリングでも心理士に相談していました。
その後、とあるユーザーから「詳細を知っている」と返信が来ました。
DMでその人とやり取りをして、アカウントを消すまでに至った経緯を話してくれました。
俺はその時から「早く返信来ないかな」と意識し始めていました。

他愛もない話をしていた夏のある日、俺は身柄を拘束されることになりました。
面会には当時交際していた彼女が県外から来てくれました。
手紙も送ってくれました。(この時、翼からの手紙も同封されていました)
そして、約3ヶ月後の秋のある日、俺は外の世界に戻ることができました。
迎えは彼女が来てくれました。
しかし、彼女が俺にしてくれた面会や手紙は全て見返り前提のものでした。
見返りとして言われたのは「性行為」でした。半強引にキスをしながら「このために頑張ってきたんだから」と言われました。結局、性交はしていません。
色々理不尽なことを言われ、口論になり、最終的には破局しました。
一度、復縁はしましたが、すぐに別れました。
彼女からも「関わらないでください」と拒絶されました。

記憶が曖昧でよく覚えていませんが、令和5年1月28日に翼と交際を始めました。翼からの告白でした。一度はお気持ちだけもらうことにしましたが、付き合うことになりました。
この交際に関しては色々トラブルが発生し、過去の友人の中では交際を反対したり、交際と引き換えに絶縁した人もいました。
「精神障害者同士で付き合うなんて物好きだね」
そう言った人もいました。
「お前らは付き合っても3ヶ月以内に別れるよ」
と予言した人もいました。

交際して最初は毎日電話をしたり、トークをしたりしていました。
2月のある頃、俺は唐突に「俺の家来ていいよ」と伝えました。
正直半分冗談でした。
でも、翼は本当に県を跨いで来ました。
その後は色々な危険要素があり、それから守るために頻繁に俺の家に来てくれました。

交際してから半年、やはり色んなことがありました。
破局手前までいったこともありました。
でも、俺が泣き出して縋り付くのがいつものパターンでした。今思えば、境界性パーソナリティ障害の見捨てられ不安だったのかもしれません。
翼が緊急入院した時は、この世の終わりという気持ちでした。

お互い精神障害ということもあり、「焦らずゆっくり歩んでいこうね。翼ができないことは俺が補うし、その逆も然り」というスタンスなのです。
いつも感謝の気持ちを忘れず、ぶつかってしまった時はちゃんと謝って対策を練ることができる。そして、何より他愛もないことで笑い合えるし、お互いが苦しい環境で育ってきた辛さや呪縛を解いていくことができる。今まで苦しかった分、辛かった分、これから幸せな日々にしていこうねと言うことで、人生のパートナーになろうということになりました。
ですが、日本ではまだ同性婚が認められていない、ということで「養子縁組」という形で家族になることにしました
夫婦として見てくれたら嬉しいです。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。
今後もよろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?