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13年前の育児日記⑨ 親は木の上に立って見る 金八先生は正しい

(13年前の)先日こんな記事を目にした。
新入社員がノルマを達成できなかった。困ったその社員は、母親に泣きついたのだそう。さて、その母親はどうしたか。

自分が営業に回り、そのノルマの達成をお手伝いしたそうだ。
信じられない。
入社試験に落ちたら、その母親から「何でうちの子が落とされたの!」って苦情の電話があった、という話も、実際その会社に勤務している友だちから聞いた。世の中、一体どうなっているのか。

親は皆、我が子かわいさに苦心をする。親の気持ちを知り、改めて自分の親に感謝をする日が来る。自分の子どもを何よりも大事に思う気持ちはわかる。
が、何が、子どものためなのか。ノルマを手伝ったり、苦情の電話をかけたりすることが、本当に自分の子どものためになると思っているのか。
その企業がブラックで、無理難題を押しつけているのなら話は別だろう。労働基準局に相談しても拉致はあかないだろうし、内部告発をしたところで不利な立場は変わらないかもしれない。何より我が子のかわいさは、何ものにも代えがたいものかもしれない。
だけど……。

自分は親であって、家政婦でも補助員でもないはずだ。育てる義務があるのだ。育てるとは、決して甘やかすことだけではない。甘えさせることは必要なことだが、厳しさを教えるのもまた、親の役目ではないだろうか。
ずっとそばにいてやれるはずはないのだから。子離れと親離れは、必ず必要なものだから。
楽しさと厳しさのその両方があってこそ、絆というものは生まれると思う。
挫折と言えば大げさかもしれないが、子どものそれは若いうちに経験した方が良い。若いうちの苦労は買ってでもせよ、とは本当に良く言った言葉だ。
その苦労を、大学を卒業して初めて味わいました、では少し遅いのかもしれない。そんな歳にもなって、"まだ自立できていません"みたく、親なしでは生きていけませんでは、本当に困ってしまう。

若いうちの苦労は買ってでもせよ。
私自身、いろんな苦労をした(と思う)が、若いうちはこのことばの意味がまったくわからなかった。苦労せずに大人になれるのなら、そうありたいとさえ思った。今思えば、あの頃の自分は世間知らずのバカだったと言ってやる。

なんとか仕事もできて、自分の時間も使えているのは間違いなくその「苦労」のおかげなのだな。今はそう思える。
でも、どうしてもそのときはそう思えなかった。
それで、祖母にひどいことも言った。本当にあの時の自分は大馬鹿者だった。

仕事は辞めたかった。
業務が終わらず、職場で寝たこともあった。先輩に、何度も何度もだめ出しをもらって、ようやく人並みにできるようになった。
それを乗り越えたのは自分だけど、乗り越えられたのは本当に多くの人に支えられたからだ。感謝、感謝、感謝の人生だ。

そして、私がそれを還元できるのは、目の前の仕事に対してなのだ。お世話になった人に感謝の気持ちを伝えるならば、自分の仕事に責任をもって向上心をもって取り組むことなのだ。
親だけが教えてくれたことではない。
親だけが育ててくれたわけではない。
だからこそ、責任をもって親をやりたい。
楽しさも、厳しさも教えてあげたい。一緒に分かち合いたい。
いろんな人に、厳しく優しくしてもらえる人間になってほしい。

だからこそ、我が子にこそ、ときとして厳しくなれるように、自分もかくありたい。

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