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学校現場の危機感①〜社会は変わりつつあるのに変われない縛り

小学校教師を30年やっています。
昨今の若者の仕事への考え方が大きく変わってきています。
昔は、一生を同じ会社で、給料が年功序列で上がるから合わない仕事でもじっと我慢して、できれば出世してその中に自分の価値を見出す、というのが普通でした。

ところが今の若者は、合わないと思ったら転職を考え、それもダメなら副業で稼いだりSNSなどで発信して自分の価値を見出そうとしています。

学校はといえば、昔と比べて授業中に自分の意見を言う機会は格段に増えていますが、それは教科書のねらいに沿った発言しか良しとされません。

違うアプローチで説明できる子がいたとしたら学問としては素晴らしいことでも、45分と言う限られた時間で全員に教科書の内容を理解させておかなければいけないという縛りがあります。
いろんな考え方を全て議論していくと、規定時間ギリギリで組まれた内容を学期内で指導し切ることが難しくなるので、「それは素晴らしい考えだけど、また後でね。」などとやり過ごされるのが普通です。

もし、違う意見もどんどん言わせて且つ教科書(正しくは学習指導要領)の内容を指導できる教師を増やそうと思ったら、教員養成大学の授業から高度に専門的に変えていかなくてはいけません。

昔と比べて今の教育学部では、教育学のような学問より現場の実践経験が大事とわかって、学校現場で学ぶ時間が増えているようですが、実際にそんな腕がある人は1%くらいではないかと思いますので、見て学べる機会は少ないでしょう。
また、そのような腕のたつ人の授業が仮に見られたとしても、そういう腕前になるのにどれだけの努力と時間を費やしているか、ちょっと見たくらいではわからないでしょう。
そういう努力をしている先生方は、土日も全てそのための準備や研修を自己負担でやっていると思います。
また、複数のクラスがあるとしたら、あまりにも指導方法が違うと、保護者からのクレームや同学年部の教師陣からの嫉妬に似た感情から、足並みを揃えるべき、というストップがかかったりします。
つまり指導者の都合からも縛りがかかります。

まだまだ縛り的な要素はたくさんありますが、大学入試も含めて教育に関わるシステム全体が大きく変わらない限り、日本の教育は変わりゆく社会に出たときに戸惑う若者を育て続けていくことになるでしょう。

教育は国家百年の計、とも言います。誰が今の日本の教育の危機に気付き、大転換をするのでしょう。



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