「普通」になろうとしなくていい


自分はなんだか「他人」とは違う・・
「他人」とはどんなキャラクターだという定義は難しいが、そう感じた人はいるだろう。大勢の中にいるとそれを顕著に感じてしまうので大勢が怖くなり、集団行動が苦手になったり、発言できなくなったりする。自分自身を殺して人と合わせないと強く思うようになる…自分が嫌いになる…そんな経験ないだろうか。
これは私にもあてはまる。私は「不器用」な人間のため、苦労することが多い。

しかし最近になって強く思うことがある。それは「他人」と違うからこそ、魅力がある点や得をしている点が大いにあるということ。例えば自分にはいつも気にかけてくれる同僚や上司がいたし、特別に時間をとって話を聞いてくれる人もたくさんいた。「自分は他人と違う」と常日頃から悩んだり、それ以外も普通の人なら悩まないこと・言わないことも初対面の人などにも関わらず相談したり心を開く(これが本音と建て前をうまくわけられない自分の悪い部分でもある)からこそまだ付き合い自体は浅い人間関係でもひとつひとつ精神的な結びつきが強いものをつくることができているということ(と自分では思っている)。
自分の劣等感の強さをあらわにするからこそ、逆に他人からも人には言えない悩みを相談されやすいこと。いざというときに頼ってもらえること。
それゆえ、前の職場の人とも個人的に仲良くしている人は何人かいる。その人がたとえば今後独立するから仕事を手伝ってほしいとか、そういう話も出てくるかもしれない。もしかしたらそのつながりが自分の人生ですごい大きな転機となるかもしれない。その転機により、本当に自分がしたい仕事や向いていることに巡り合えるかもしれない。


もし大勢の中で普通の人と同じようにいつも他愛のない話を完璧にできて、そつなくふるまい、悩みなどを周りに相談することが恥ずかしいと、仕事ができるという自分のイメージをくずさないように職場用の自分を始業から終業の時間まで何年間も維持することができていたら、その職場の中の人間関係はその職場の中「のみ」で一生終わる物になるだろう。
※もちろん職場でうまく仕事をこなし人間関係も深いものをつくれる人間はたくさんいるが。

まあ、何が言いたいかというと不器用な人間も不器用な人間なりにメリットがある。不器用な人間なりに作った人間関係によってのちにものすごく救われることになるかもしれないし自分に大きなチャンスやメリットをもたらすこともある。私自身上司から直々に言われた言葉(叱咤激励もたくさん)・友達から言われた言葉に、その時はなんで自分だけと思うこともあったが、今になって思うと自分だからこそ言ってくれた言葉で、その言葉によってとても成長したこともあるし、感謝をしている。上司から思わぬ過去の苦労話なども聞くこともある。そういう話が聞けるのはとても人生勉強になる。
人生は何歳になっても勉強だと思う。そつなく生きれる器用な人に人は何も言わないだろう。無難な人生は、器用な人間はおくれると思う。しかし人生からたくさん勉強をしていきたいのならば不器用に生きるのも長い目で見たらすごい得なのではないかと最近思う。なぜなら普通の人が得られないことがたくさん得られるから。私は、一人一人に平等にあたえられた時間というものの重要度を図る指標となるものは、「自分の成長や気づきをどれくらい得られるか」なのではないかと思う。他人と違うから他人が得られないものもたくさん得られるのだ。180度のものを360度カバーできるのだ。こんなに成長できることはない。

最近の若者は職場で「怒られないように…目立たないようにすごす」という人が結構いる。しかし自分の成長や気づきは、失敗をしたり叱咤激励を受けたりすることから生まれる。人生勉強を深めていきたいならば「人生常に器用に生きたいと思うな‼」と声を大にして言いたい。

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