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コミュ障からトップセールスを掴んだ女の誰にも言えなかった"告白"

はじめまして、ゆりかです。

実は私・・・

いじめられてた人間不信のオタクコミュ障

でした。

いきなりちょっと酷い話を
暴露してしまうのですが

今回の記事では
私の過去の全てを明かそうと思います。

これまでの人生で
誰にも話せなかった過去も、

思い出したくなくて心の奥に
固く閉じ込めて封印しておいた記憶も
残らず晒しました。

私は中学生の頃いじめに遭ったことで
そこから先の私の人生で
何度も「苦しみ」を味わうことになりました。

詳しくは後ほど書いていきます。

「存在する価値がない」と言われ
クラスの大多数から嫌われ避けられていた人間が、

どうしてトップセールスになれたのか
どうして今情報発信ビジネスをやっているのか。

それは、私が地獄のような苦しみを
味わったからこそ

他の人には同じような経験を
してほしくないと願い、

私の知識や経験を誰かに役立ててほしい、
傷つき、悩んでいる人の力になって、
応援してあげる存在になりたいんだ、

という気持ちが
中学生のあの日からずっと胸にあるからです。

どんな経験も後から振り返ってみると
”糧”だと言えるようになります。

ですが、要らない苦労を
進んでする必要はないんです。

無理をしすぎて体や心を壊してしまったら
元も子もありません。

今の日本には、
お金や心の余裕がないことで

人を簡単に誹謗中傷したり
子どもの虐待に走ってしまったり
悲しい事件を起こす人が存在しています。

私が現在働いている会社でも
社員間でたくさんのトラブルが起こり
管理部門の私へ相談が寄せられてきます。

例えば、

産休育休に入る方や
小さなお子さんを抱えるパパママと
その仕事のしわ寄せが行く社員の間の溝など。

子育て中のパパママにとって
保育園からの呼び出し電話は、
恐怖と感じている人もいるでしょう。

周囲からの冷たい視線を浴びてビクビクしながら
申し訳なさ一杯で早退していくパパママと

「また呼び出しで帰るの?」
「子どもがらみで休みすぎ」
みたいな心無い言葉を浴びせる社員。

他人を理解し、許容してあげられない人が
多いことを思うと私はとても悲しいんです。

そのようなつまらないトラブルを
この世から消し去ってしまいたい。

人々が心の余裕を持てないでいる原因の一つは
やはり、お金にあると私は思うのです。

いくら頑張ってもよくならない生活。
自分はこんなに頑張っているのに、
あいつはいい思いをしている、ずるい。

そういった妬みの気持ちが、
人を攻撃的にさせてしまうのだと。

匿名だからとインターネット上で攻撃し
あまつさえ、現実世界でも人を平気で傷つける。

もしも、
この世の誰もに十分なお金があって
心の余裕を持てているならば

このような悲しい出来事の大半は
消えてなくなるでしょう。

だから、私は

苦しみを抱えている人たちの力になり、
十分にお金を稼ぐ手段を教え
毎日幸せだと感じられる人を増やしていきたい。

そういう気持ちで
私は情報発信者として活動しています。

そんな私も
ほんの少し前までは
朝早く起きてはお弁当をつくり、

家事をして時間に追われて慌ただしく出勤し
満員電車にもまれて帰ってきては
自分の時間を削って家事をするような

毎日の生活に疲弊して、
心がすり減っている
フルタイムワーママのひとりでした。

けれど、私は幸運なことに

億を余裕で稼いでいくような人たちの思考、
成功者が選択している行動、

こういった情報を学ぶ機会を
いただくことができました。

これによって私自身
自由にお金を生み出せる手段も手に入れ
心の余裕も手に入れることができました。

次は私がお金を稼ぐ方法を教えていくことで

目の前の生活に疲弊し、
悩みの淵にいる人たちに
救いの手を差し伸べたいのです。

そして、

無理だと諦めてしまっていた自分の夢や、
やりたいと思っていたことに
挑戦する機会を取り戻し、

愛する人たちと笑顔で毎日を過ごせるように
背中を押してあげたいのです。

この私の価値観へと至った経緯として
今回は私の自己紹介として

私がずっと人に言えずにいた過去の告白も
包み隠さずにお話ししていきたいと思います。

私は、新卒で入った上場企業で
個人向けのスクール営業を担当することとなり

3年目で年間6,600万を売り上げ、
全国No.1の成約件数を達成し、
優秀社員賞を受賞しました。

営業時代の成績は
累計で2億ほどの売上となりました。

現在は企業の人事採用、広報などを中心とした
管理部門に勤務しています。

朝4時半に起きてムスメのお弁当を作り
往復3時間の通勤時間を経て
洗濯などの家事を一通りこなし、

主人やムスメが寝静まった深夜
おもむろに動画撮影を始める。

そんな毎日の中で
情報発信ビジネスに携わっています。

情報発信ビジネスでの実績としては

・Brain2作の販売累計100部超
・ビジネス開始4ヵ月で累計実績40万円
・コンサルクライアントの指導

などさせていただいています。

私は営業として
リアル世界の販売経験はありましたが
ネットビジネスは全くの初心者でした。

フルタイムの本業があって、
家事も子育てもあり

1日の中で作業に使える時間が
ごく限られてる中であっても

開始して4カ月ほどの間で
上記のような成果を出すことができました。

そんなに忙しく本業があるのに
コンテンツ販売とか本当にやってるの?
ネットでそんな短期間に稼げるようになるの?

と思った方もいるかもしれません。
私自身も稼ぐなんて
遠い世界だと当初は思っていました。

トップセールス経験の話をすると
凄い才能があるんでしょ、とか言われるのですが

昔から私はそんな才能なんてありませんでした。
ビジネスに詳しかったとかいうことも全く無くて
勉強していったからこそ達成できたんです。

コンテンツビジネスを本格的に学び始めて
世の中にはすごい人がたくさんいるんだ
ということを知り、

自分などまだ駆け出しだと実感する日々です。

今でこそ動画撮影や無料相談などでも
ペラペラと話せますし

本業でも役職付きの
責任ある立場を頂いていますが

中学校の時にはいじめに遭い
それが原因で人とのコミュニケーションが
全くできなくなってしまった人間でした。

常に人の顔色を伺っていて
人に話しかけるのが怖くて

自分の存在価値を信じられない
超絶ネガティブだった女が

・累計2億売ってトップセールスとして表彰されたり
・企業の採用担当として100名以上の面接をやったり
・動画教材を作って100部以上売ったり
・無料Zoom相談でアドバイスして感激されたり
・コンサルクライアントにコンテンツビジネス教えたり

している訳です。

まあ怪しいですよね。
信じられないと思うかもしれません。

もちろん、私自身もこんな世界がやってくるとは
思いもしていませんでした。

けれど、これは現実として存在していて
私にとっては当たり前の世界なんです。

「本当かなぁ?」
と思う気持ちも分かりますので

この後の私の過去の話を
読んでいただきたいですし、

今後の私の発信を見て
ご判断くださればと思います。

私が情報発信ビジネスに携わるのは
過去の出来事に大きく起因しています。

ですので、
私の過去のできごとについて
知っておいていただくと

より私の発信についても
伝えたいことが分かっていただけると思います。

そして、こんなどうしようもなかった
私のようなダメ女でもできたんだから

自分でもできるんじゃないかな?
と少しでも思ってもらえたら、

一歩踏み出すきっかけになってくれたらいいな、
という気持ちを込めて、

私の過去の物語を
今から共有させていただこうと思います。

=====ゆりかの過去物語======

私は埼玉県のちょっと田舎の町で
平凡な家庭に生まれました。

両親、年子の妹、4つ離れた弟。
母の両親と2世帯住宅。

子ども3人もいて
たぶん生活の余裕はなかったけど
それなりに普通の暮らしです。

その中で私は
小さい頃からずっと
「真面目」しか取り柄のない子どもでした。

世間ズレした母により
髪型は古臭い三つ編みだったし、

よくマンガに出てくるような
生真面目でおとなしくて

人とのコミュニケーションが下手な
いわゆるモブ女子みたいな。

そんな面白みのない
陰キャの象徴みたいな私は
中学校の時に暗黒に突き落とされます。

======================
中学生~真面目っ子に突然降って湧いたいじめ
======================

中学2年生の時、
いきなりいじめの標的になりました。

あるとき、
ノートを提出することになって、

次の人が自分の上に置かずに
わざわざ下の方に差し込んだんです。

「あれ?なんでわざわざ下に入れるのかな?」
と、そのときは意味が分からなかったのですが、

ある時、
「だって汚くなるじゃん」
という声が聞こえたんです。

そこでようやく私が「汚いモノ」扱いされていて
私の後にノートを出したくないんだと、
気がついたんです。

頭が真っ白になりました。

「え・・・?私、なにかしたかな・・・?」
「汚いってどういうこと・・・?」
と、考えてみましたが理由が分かりません。

気づけば既にクラスの大多数の人にとって
私は「避けるべき対象」になっていました。

カースト上位の女子たちは
私をちらりと見ては
ヒソヒソとなにか言って笑っていましたし、

席替えで隣になった男子や、
同じグループになった人はみんな

「おいマジかよ・・・」
「うわ、隣とか最悪すぎる」
と、この世の終わりみたいに言うわけです。

授業などで「二人一組を作ってくださいー」
と言われるとき

特に体育とかで組体操やダンスなど
人と接触をしなければならない時は地獄でした。

露骨に
「こいつと組むのかよー最悪ー」
「きったねー触りたくないわマジで」

とか言う人もいたし
声に出さなくても相手の顔にも
態度にも出ているんです。

早く終われ・・・
早く終われ・・・

人の顔を見ないようにうつむきながら
とにかく時間が過ぎ去るのを待つだけの時間が
苦しくて、つらくてどうしようもなかった。

避けられているという事実は、
自分で見ないようにすればやり過ごせるのですが、

やっぱり面と向かって
「きたない」「最悪」「うぜえ」って
言われる時が本当にきつかったですね。

私は存在している意味がないって
面と向かって突きつけられてしまうのは
とにかくつらかった。

表面上は普通に接してくれたクラスメイトがいて
「この人は信用できるのかも?」と思っていたら

裏では他の人と一緒になって
陰口言っていたこともありましたし、

簡単に人を信用してはいけない
ということも知りました。

今思えば、
先生に相談すれば良かったのかもしれませんが、

その時は、告げ口すると
より激しい報復になると思い込んでいて
先生にも親にも一切話をしなかったんですよね。

だから、親に心配かけないように
学校を休むこともできず
耐えて耐えて時間が過ぎるのを待つ毎日でした。

特に言葉のキツイ人には近づかないように
とにかく黙っておとなしくしておくことが鉄則。

自分の存在を認識させてしまうと、
何か言われてしまうから
目立つことは絶対しないようにしていました。

人と面と向かえば何か言われてしまうから
人と必要最低限以外は話さなくなりました。

それでもグループでの活動などが
存在するのが学校というもの。

とにかく他人の機嫌を損ねたら
ひどい目に遭います。

ただ調理実習、科学の実験など
何もしないでいるわけにもいきません。

これは私がやっても大丈夫な行動だろうか、
私の行動で機嫌を悪くしていないだろうか、

ひたすらに人の顔色を伺って
生きるようになっていきました。

何もしなければ何も言われずに済むので
他人との関わりを避け、

とにかく空気のように
存在を消すようにしていましたね。

「何でこんな目に遭うんだろう・・・」って
答えがでない問いを何度も考えてました。

たくさんの人から存在を否定されたことで、
「生きてる意味あるのかな?」
と毎日毎日思っていました。

私自身の価値というものを
全く信じられなくなってしまったんですよね。

この時に地に落ちた自己肯定感と
染みついてしまった超絶ネガティブ思考は
その後の人生でも尾を引きました。

ですが、今となっては幸運なことに
自分の価値を信じられなくなった
過去の出来事も受け入れて、

人とも物怖じせずに話すことができますし、
人の目を過剰に気にするようなこともなく
自分らしい私として生きることができています。

その背景には
「営業で人から感謝される経験ができたこと」
「お金をいつでも好きなだけ稼げる状態にある」

この2点によって
自分に自信がついて、
心に余裕が生まれたことにあります。

だからこそ、もう思い出したくない過去でしたが
受け入れて認めることができました。

それも全ては
私がネットビジネスの世界に出会い、

稼ぐための知識
ビジネスの原理原則を学んだことにあります。

いじめの真っ只中の頃は、
つらい現実から逃げたいあまりに

私はマンガやゲーム、アニメの世界に
ひたすらトリップしていました。

兄弟の取り合いもあったので
家に帰ったら即ゲームのスイッチ入れるほど。

ファイナルファンタジーも、
ドラゴンクエストも、
ストーリーが見たくて何週もクリアしましたね。

まだ携帯ゲーム機全盛の時代ではなかったので
テレビを使えない夜はマンガを読んでました。

マンガを読んだりゲームをしたりしている間は
現実世界のことを忘れられたんです。

少女マンガよりも少年ジャンプが好きで、

困難を乗り越え、
歯を食いしばっても前に進んでいく
登場人物たちにとにかく憧れました。

苦しみながらも努力して力を身につけ
誰かの為に体を張って戦う
ヒーロー、ヒロインたち。

あんな風にかっこいい存在になりたい。
誰かの力になれる人になりたい。
いつしかそう思うようになっていました。

そういった影響もあってか、
将来の進路を考えたとき、
教師を目指したいと考えていました。

「先生になって自分と同じように
いじめられている子を助けてあげたい」

「自分と同じ辛い思いをする人を、
1人でも多く減らしたい」

【誰かの役に立ちたい】
強く思っていたんです。

中学生ながらに考えていたこの気持ちは、
営業の経験を経て、より確固としたものとなり、

今の私が情報発信者として活動する上で
中核となる大切な信念となっています。

暗黒の中学生活を抜け
次は高校の頃の話へ進みます。

================
高校生:人間不信コミュ障の発症
================

生来の真面目さが功を奏したのか
高校は地域トップの進学校に
合格をいただくことができました。

同じ中学校から進学した人はいなくて
ようやく地獄の日々から解放されるんだ!!
という喜びでいっぱいでした。

待ちに待った高校生活。
「ここで私は変わってやる!」と、

いわゆる高校デビューに
期待を膨らませていたんですね。

しかし
早々に大きな壁にぶつかるということは
私自身予想もしていなかったのです。

最初にぶち当たった壁。
それは、

これまで人とコミュニケーションすることを
絶っていた私は
人と普通に話をすることすらできなくなっていた

ということです。

人と話すということが
とにかく怖くなってしまったんですね。

そもそもどんな話をしたらいいかわからない。
変なこと言っていると失望されていないか。
私のせいで気を悪くしてしまっていないか。

また、あの過去のような
冷たい視線を向けられてしまわないかと
とにかく不安で心配で仕方なかったのです。

相手の反応が悪かったり、
ちょっとした仕草をされたりするだけでも、

機嫌を損ねてしまったのではないかと
常に気になってしまう。

表面上はいい顔していても
裏では悪口を言っているかもしれない。

そう考え始めてしまったら
誰一人知り合いのいないクラスの中で、

いわゆる「友達作り」ということが
全くできませんでした。

嫌な思いをするくらいなら
何もしないでいたほうが平和なのでは?

そう自分に何度も何度も言い訳をして、

キラキラと輝いて
楽しそうに話しているクラスメイトに
嫉妬と羨望を感じながらも

人と関わろうとせず目をそむけていました。
立派なこじらせコミュ障の誕生です。

そしてもう一つ。

私は高校で新しいことにチャレンジして
消極的で無力だった自分を
どうにかして変えたいと考えていました。

そのためには、何か劇的に
「今までの自分とは全く違うこと」
をするべきだと。

そこで、当時『SLAMDUNK』に
どハマりしていたことから、

全くの初心者なのに
バスケ部への入部を決意したのです。

今思えば無謀も無謀でした。

桜木花道のような華々しい活躍ができるとは
思っていなかったですが、

「私だって何かできるはず!」
そんな期待をもって、

他の部活の見学なども全くせずに
即、入部届を提出しました。

ですが、まあ当たり前なんですが
周りは経験者ばかり。
私はズブの素人。

しかも特に運動部経験すらもないし
むしろ体育とか苦手な部類だった人間だったので
完全なる【お荷物】状態です。

ボールがキャッチできずに突き指だらけだったし
走るのも遅いし、体力も全然なく
とにかく同じメニューについていくので精一杯。

あまりの出来なさに、
顧問からもつまはじきにされ、

しまいには練習試合すら
ろくに出してもらえなくなりました。

後輩の経験者のほうが断然上手いし、
3年生でも実戦経験ほぼなしの
肩身の狭い単なる応援要員。

ちなみに私は声が大きいとよく言われますが、

試合があってもひたすら応援席から声を出すしか
できなかったことで
鍛えられたといっても過言ではありません。

全く違う分野にチャレンジすることで、

生まれ変わったみたいに
別人みたいな進化ができるんじゃないかと
勝手に思っていたけれど、

何も為せなかった中学校時代から
自分自身の中身は変わらないまま、

「私にはやっぱり価値がない」
っていうことを再認識させられただけでした。

ただ、幸いだったのは
こんな私にも部活の同期は優しかったこと。

技術的には全くのポンコツお荷物部員でしたが
ちゃんと仲間だと扱ってくれたということです。

部活という共通の体験の中では
「疲れたねー」「ありがとう」「ごめん」など
自然と人との会話が生まれるもので。

学校が最寄り駅から20分ほど離れていたので
帰りが同じ方面の子たちとしゃべったり、

コンビニでアイス買って帰ったりと
一緒の時間を過ごすうちに

少しずつですが、
打ち解けて話せるようになっていきました。

依然として初対面や、
関係ができていない人と話すには
極度の緊張がありましたが、

相手は敵ではないんだ、ということがわかって
少しだけ人を信じられるようになりました。

だから部活は辞めないで
最後までついていくことができましたが、

結局、高校デビューして
今までと違う明るい自分になりたいという希望は
叶わぬままに終わったのです。

=================
大学生:現実を知り、夢を諦める
=================

教師になりたいという夢は変わらず心にあって
国立大学の教員養成系学部を志望していました。

大学の合格発表の日、
あいにく学校の登校日で、
発表は見に行きませんでした。

その代わりに父が
行ってくれることになっていました。

ホームルームが終わったら、
待ちきれずに校内の電話ボックスへダッシュして、

緊張でぶるぶる震える手で10円玉を投入し
父の携帯電話の番号を押しました。

「もしもしお父さん、ゆりかだけど・・・」
「受かったよ」

普段寡黙な父が
第一声でとても嬉しそうに伝えてくれた言葉に

「やったああああああ」
と電話ボックスの中で
飛び跳ねたことを鮮明に覚えています。

父との、数少ない思い出のひとつです。

当時はまだ国立大学はかなり学費も安く
まだ下の兄弟がいる私が合格できたのは
幸運なことでした。

それでも奨学金を借りて学費に充て、
親には学費の負担をかけないことにしました。

大学生活が始まって、教員を目指すのだから、と
アルバイトは塾講師と決めていました。
時給も良かったし、経験につながると思ったからです。

ただそこでまたひとつ
私は現実を知って打ちのめされることになります。

ほんの少しだけ改善されたとはいえ、
初対面の人や交流の少ない人とは
ほとんど話せないコミュ障全開の私に、

生徒とのコミュニケーションなど
できるはずがなかったんですね。

人との関わりを避け、
現実逃避に毎日漫画やゲームなどの
非現実に明け暮れていた私はからっぽで

生徒に対して面白おかしく語れるような
ネタも持っていませんでした。

国語と社会を担当していましたが
ただ淡々と概要説明をして、
問題を解かせて、解説をするだけ。

部活経験のおかげで、
人前で喋る声だけは出ましたが、

事前にノートに書いてきた以上のことは
緊張で話せなかったんです。

部活終わってヘトヘトになった後に
嫌々塾に来ている下位クラスの生徒たちは
授業中こくり、こくりと船を漕ぎだすし

テキストの問題をただ解くだけなので、
成績も特に上がってませんでした。

かたや隣の教室では、
本職の先生がガンガン笑いをとって

生徒がみんなイキイキ楽しんで
授業をしているわけです。

それに比べて、
常にシーンと静まり返っている私のクラス。

「織田信長は長篠の戦いで・・・」
少したどたどしくノートをみながら板書する
私の声だけが教室に空しく響いていく。

得意の日本史でさえ
教科書をなぞる程度の授業しか
提供することができていませんでした。

生徒同士の雑談もない。
生徒は先生とも何も話そうとしない、
毎回冷え切った空気に包まれている私のクラス。

「こんなつまらない授業では
お金を貰う価値はないんじゃないだろうか?」

次第に、
罪悪感ばかり感じるようになっていきました。

生徒との満足なコミュニケーションもなく、
授業も全く面白くもなく、

テストに役立つような知識を
教えてあげねばという使命感もなかった。
今思い返せば本当にひどい講師でしたね。

私の専攻は社会科でしたが
今私が日本史を教えるんだったら

面白おかしいエピソードをたくさん用意して
まず面白いなって思ってもらえるように
工夫することでしょう。

ただ当時は、そんなことすら
全く分かっていませんでした。

そして
アルバイトとして社会に出ても

やはり人とのコミュニケーションが
本当に下手くそすぎることを
思い知らされました。

塾の講師の先生方が語っていた
今度の休日にBBQでもやりたいね
という話を真に受けてしまい、

誰もいない校舎にぽつんと独り
行ってしまったこともありました。

そういうお誘いは初めてで
張り切ってアウトドア用の服装など
考えたにも関わらず、

いくら待っても誰も来なくて、
自分の馬鹿さ加減に涙しながら
トボトボと家へ帰る羽目になりました。

こんな駄目人間なのに、
子どもに教えるとか申し訳なさすぎると思い、
塾講師は辞めました。

こんなに人に何か語れるような中身のない私では、
もっと責任の重い教員になる資格なんてない。

コミュニケーションも満足にとれず
人生経験もなくて、
上手く喋ることも出来ない私では

子ども達にとってはたった1回きりで
やり直しがきかない学校生活の
大切な時間を台無しにしてしまう。

教員になって人を助けたいなんて、
おこがましい考えだったんだ。

自分自身ができることの
レベルの低さを目の当たりにしたことで
私は教員になることも断念しました。

大学2年の半ば頃のことでした。

今でこそ、
私は情報発信者として活動し、

クライアント様にネットビジネスを教え、
私を信じてくれた方の
人生の一端を責任持ってお預かりしていますが、

あの頃、自分の存在価値すら
信じられなかった私にとって、

人様の責任を持つなんて
とてもじゃないけれど
背負えないと思っていました。

あんなに苦労して入った大学も
教員にならなければ意味がなく、

自分に自信がなかったばかりに
いろんなものを台無しにしてしまいました。

将来の夢も失って、
ドラッグストアでアルバイトをしながら

暇な時間は好きなだけゲームして、
マンガを読んで現実逃避する。

そんなとめどなく怠惰な毎日を送っていた
大学3年の時、
父がガンで病死しました。

パートの母ひとりで、まだ学生の子ども3人。
教員の道をあきらめた私は、
しっかり就職して

家を支えなければならない立場に
追い込まれたわけです。

しかし、時は就職氷河期。
経済学部などでもない、
教育学部出身というハンデは大きかったし、

面接では緊張がすぎて、
頭は真っ白、言葉は震えてうまく話せず、
内定は全く貰えませんでした。

手当たり次第にエントリーシートを応募しては
「お祈りメール」を眺める日々。

「はあ・・・何がいけないのか」
「このまま受からなかったらヤバイ・・・」

そんな泥沼になりつつあった中、
一つだけ内定を頂けた会社がありました。

名前は全く知らなかったのですが、
スクールの運営スタッフの募集です。

教員になることはあきらめましたが、
【誰かの役に立ちたい】という思いは
変わらずにありましたので、

スクールの職員として人と関われるって
いいんじゃないだろうかと思ったんですね。

「これで親も安心させられる」
「内定ってことは、自分が認められたんだ」

そう思って喜び勇んで内定を受諾したんです。

内定承諾後には
スクールの見学をさせてもらったり、
校舎のスタッフさんと面談も行ったりして

生徒さんたちと関わる日を
楽しみにしていました。

ですが、この時の私は
この入社がとてつもない悪夢の始まり
ということを知る由もなかったのです。

==========================
新入社員時代:洗脳され、馬車馬のように働く営業
==========================

なんか、おかしいなと思ったのは、内定式の時。
2月からアルバイト勤務してもらうという
お達しが出たんです。

何故そんなに早くから?と思いましたが、
内定者である私たちは従うほかありません。

そして2月に集められた私たちが案内されたのは
ずらりと電話が並んだ部屋でした。

そして、そこで宣告された言葉に
頭が真っ白になりました。

『これから、電話営業のロールプレイングです』

「え??電話営業???」
「スクールの運営スタッフじゃないの???」
「そんなの一言も聞いてないんですけど???」

そう、私たちは会社に騙されたのです。

新卒入社は全員、
スクールの「入学事務局」スタッフという名の
生徒募集営業の要員だったんです。

この会社、後にグループ会社として
JASDAQ(現在の東証スタンダード)に
上場するのですが

まごうことなきブラック企業でした。

スクールもまた悪徳で
資料請求者に電話をかけて

個別の学校説明会に呼び出して面談し
即決で入学を決めさせるという営業スタイル。

限りなく悪どいやり方で生徒募集をしなければ
集客できないようなスクールだったのです。

そもそも初対面の人と怖くて話せない私にとって
電話営業がいかに恐怖であったか
ご想像いただけるでしょうか。

電話をかけても

「資料請求?知りません」ガチャン
「うちの子は興味ありませんのでもうかけないでください!!」
「こんな時間に電話かけてくるなんて非常識ですよね」

知らない迷惑だと怒鳴られる。
ガチャ切りも茶飯事。

お客様から文句を言われるたび
電話をガチャ切りされるたび、
断りの言葉を聞くたび、

心にグサグサとナイフが突き刺さっていきます。

毎日アポの目標数字が提示され
取れていないと先輩から怒られる。

「電話がこわい」
「断られるのがこわい」
「数字ができないと怒られるのがこわい」
「なんで望んでないのに
こんな仕事しないといけないんだろう」

少し厳しいことを言われると、
自分の存在を否定されたと感じて

いつもいつも泣いてしまう
本当にダメ新人だったんです。

毎月、目標成約数が上から降りてきて
数字が達成できてないと休むわけにいきません。

月初に1日だけお休みを頂いて
残りは毎日9時に出社して終電で帰る。
そんな毎日。

正直きつかったですが、
他の社員もみんな当たり前にやっていて、
疑問に思うことはなかったんですよね。

自分たちのスクールは素晴らしい、
会社に尽くすことが正しい行動なのだと
思いこまされていました。

休みもない激務で思考する暇も奪われて
今になって思えば、完全に洗脳されていたなと。

==================
トップセールスの栄華と奈落への転落
==================

コミュ障の底辺スタートの私でしたが
毎日毎日100本200本も電話ばかりしていると、
だんだん慣れてくるもので、

家の固定電話にかけても
本人につないで貰えるようになっていきました。

そんなある時、電話の相手と
ひょんなことから好きなアニメの話題で
盛り上がったことがありました。

そうしたらすんなり説明会アポが取れたんです。

「なんか私も楽しかったし、上手くいったな」

その次も
試しに相手の好きなアニメやマンガの話題を
出したら楽しく話が続いてまたアポが取れる。

「これだ・・・!!」

私のオタク趣味が
大きな武器へと変貌した瞬間でした。

アニメ、声優、マンガ、ゲームなど
相手が好きな趣味の話が合えば盛り上がり
アポ件数はうなぎ上りに増えていきました。

自分もよく知っていることを話すだけなので
普通に、友人と話しているような感覚で
緊張せずにお話ができるようになったんですね。

電話の段階で楽しく話ができていると、
面談の場でもそこまで緊張せずに
相手と話ができるようになっていました。

営業トークというのは、
決まった型を話していくだけなので、

それを覚えて使えるようになれば
少しずつ成約も取れるようになっていきました。

「今日はお話しできて楽しかったです」
「いいお話が聞けて良かったです」

そんな感想もいただけるようになって

自分が必要とされている事が
誰かの役に立てていることが
嬉しくて、
嬉しくて。

そしてそういった感謝の言葉をいただけることが
自分の自信にも繋がって行きました。

こうして、
年間ゆうに100人を越える人と
電話での会話経験や面談経験を重ねることで

私のコミュ障は少しずつ克服され
いっぱしの営業マンとして話せるように
なっていったわけです。

ただ、数字は多少とれるようになっても
生活は依然としてボロボロでした。

通勤時間が往復3時間ほどかかる実家を出て
独り暮らしを始めましたが、

休みは平日に月1日だけ。

数字のプレッシャーと
睡眠不足の身体を引きずりながら
なんとか9時に出社。

日付が変わってから会社出て、
1日3食コンビニご飯です。

なんでこんなことやってるんだっけ?とか
悩むような暇も与えられず

馬車馬のようにひたすら電話、電話、電話。
時々面談。

土日には朝9時、13時、16時と
3時間くらいの面談を回し、

即決取れなければ怒られ、
数字を絶対に達成しろと怒鳴られます。

月の成約件数が未達で
最終日に無理して面談に呼んだお客様。

絶対に成約取れるまで帰すなと指示されて
泣きそうになりながら
4時間とか面談することもありました。

なかなか成約がとれなくて
上司に報告に行っている間に
勝手に帰られてしまい

上司からもお客様からも
激怒された、なんてこともありました。

ちなみに営業だからって歩合制でもなく、
普通の大卒の初任給。

月の目標を達成しても
インセンティブはたった1万円のみ(笑)
残業代はもちろんゼロ円。

そんな生活の中でも続けられていたのは、
担当したお客様たちが
私のことをすごく慕ってくれていたことでした。

「夢を叶える道を教えてくれてありがとう」
「絶対ものにできるようにがんばります!」

そういった感謝の声と
夢に向かって頑張るという希望を聞いた時、
とにかく心から嬉しかったんです。

何も持っていない、価値のない私でも、
人の役に立てたんだ!と実感できたんです。

「もっと役に立ちたい」
「みんなの夢を応援してあげたい!」

そういう気持ちで、
営業について熱心に勉強するようになりました。

セールスというものは型なので、
知識があるものが勝つ世界です。

少ない自分の時間の中で
本を読み、高額な教材を買い、
トークを学びました。

学べば学ぶほど、数字は上がっていきました。

そのころ、業界にブームが起こり、
やりたいという人が増え、
完全に追い風になりました。

資料請求の数が3倍以上増え、
面談すれば面白いように成約が決まるんです。

数字を作れている時は楽しかったんですよ。

この頃は本気で、この業界に進むなら
自分のスクールが最高の環境だと信じていたし、
自信を持ってオススメできていました。

たくさんの人の夢の実現を
応援できていることが、

本当に嬉しかったし、
正しい道だと信じて疑いませんでした。

他校と迷われている方には、
うちのスクールの良さを最大限に語り、

自信がなくて、
本当に進んでいいのか不安なお客様には
背中を押してあげて、

親御さんに反対されているお客様には
一緒にどうやって話すか対策を練って。

「ゆりかさんのおかげです」
そういってくださることが何よりも励みでした。

ひたすらに目の前のお客様に向き合って、
夢を叶えるための応援をして
無我夢中で走っていた3年目、

気が付いたら、一般社員部門で
全国ナンバーワンの成約件数になっていました。

売り上げ計算すれば、
年間6,600万ほども稼いだことになります。

全国からマネージャークラスが集まる
特別な会合に招待され

照明まぶしい舞台上で、
優秀社員賞として表彰されました。

あまりに緊張して、
歩き方がギクシャクしているのを

上司一同に笑われましたが、
普段はとても厳しいマネージャーが、

「やったじゃん」

と笑顔で声をかけてくれたのが印象的で

「ダメだった私でもトップになれたんだ!」

と、自分のことを
認めることができた瞬間でした。

しかし、

忘れてはいけないのは
私はブラック悪徳企業の
社員であったということです。

私の売っていたスクールは
他校よりもだいぶ高額でした。

お客様が増えるにつれ、
通いたいけれどお金を工面しないと
いけない人も増えていきました。

地方出身で上京資金が用意できない子には
新聞奨学生を申し込ませました。

明らかに生活が苦しそうなシングルマザーにも
子どものためにと説得し
教育ローンを組ませて成約させました。

これで通えるじゃん、
ローン通ってよかったね、と
その時は思っていたんです。

翌年度。
ブームに便乗して、ライバル校が増えました。

明らかにキレイな最新の設備。
卒業生の華々しい実績もある。

他校と比較して
勝てないことが多くなってきたことで、

そこで初めて
自分のスクールを冷静に振り返ったんです。

立地を優先したためにとにかく狭い教室。
設備は超絶なアナログ仕様。
他校にあるような最新設備なんてありもしない。

少人数制をウリにしていたけど、
単純に教室に入りきれないので
そうするしかなかったのが実情な状態。

講師の質は良かったですが、
狭い教室にひしめき合っている生徒を見た時、

「このスクールで
彼らは果たして幸せなのだろうか・・・?」

と私の心の中に
疑問と罪悪感が生まれてしまったんです。

新聞奨学生の子は仕事に駆り出されて
学校に来られないことが増えたと聞きました。

明らかにお金がなさそうなのに
ローンを組ませたママさんはどうなったろう。

無理矢理に通う手段を押し付けたことで
彼らの人生を
捻じ曲げてしまったのではなかろうか?

入学前にたくさん夢を見せて
入学を決めた生徒たち。

もちろん、営業トークを駆使して
少し強引に成約した人もいたのは事実です。

言ってたことと違うと恨んではいないだろうか?
失望したのではないだろうか?
嘘つきってクレームが来るのではないだろうか?

気づいたときには、
そんな勝手な憶測が

頭の中をぐるぐると回るように
なってしまっていました。

営業として
自分の売る商品に疑問を持ってしまったら

自信もって勧められなくなり
もちろん売れなくなっていくのは必然のこと。

みるみるうちに
私の成約率はガタガタに落ちてしまいました。

数字が達成できない私に
上司は容赦なく成約を迫ります。

すると無理矢理にでも
クロージングしないといけなくなり
余計に逃げられる。

完全に悪いスパイラルに陥っていました。

数字のプレッシャーに追われ、
成約しない面談に焦り、
上司に叱責され、

出来ない自分を自分で攻撃し、
他人の人生を歪めてしまった罪悪感に苛まれ、

あらゆるところから精神的に追い詰められて
ブラック社畜生活をしていた体は耐えきれず
ついに体調を崩してしまったのです。

もう退職するしか道がありませんでした。

私が入学させた人たちの
行く末を見届けることもなく、

応援するといった言葉を信じてくれた人たちを
見捨てたと言われても仕方ないような形で
突然会社を去ることになりました。

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」
と泣きながら何度も何度も心の中で謝りました。

自分で言ったのに、責任を果たせなかったことが
悔しくて、自分の弱さを呪いました。

退職にあたり、
上司やマネージャーからは
手のひらを返したように冷たく見放されました。

「お前のような奴では転職活動したって
拾ってくれる会社なんてない」
とか言われたし、

全ての後味が悪いまま
逃げるように会社を去ったんです。

3年半の間におよそ2億2千万ほどの
数字を積み上げたトップセールスは
こうして姿を消すことになりました。

あの頃は本当に会社に洗脳されていたし
スクールを選択した人たちは、
自分たちの意思で学校を決めたわけで、

私が説明したことと全く違う現実を提供され
騙されたわけではないのだと分かっています。

ただ、担当者として、

せめて入学するまでも
見届けられなかったお客様がいたことは
本当に申し訳なかったなと思うのです。

今はもう、みんな過去の出来事として
受け止められていますが、

この時営業として得た知識、悩み、苦しみ、
二度と同じ過ちはしないという決意、

そして誰かを応援したいという気持ちが
今の情報発信者としての私を形作っています。

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転職:ゆるすぎる環境にもやもやする毎日
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退職後は、今まで生活が酷かった分
少し休んで
体調が戻ってから転職活動をしました。

もう営業は絶対にやらない。
事務職でのんびりと過ごそうと考えていました。

そんな折、ある企業から
管理部門職としてスカウトを受けました。

もともと管理部門の採用予定はなかったが
ぜひ私にお願いしたいという話でした。

そこまで私を買ってくれるならと思い、
お世話になることに決めました。

次の会社は、年商はあるけれど
従業員数はさほど多くない会社です。

管理部門といっても、
人事、労務、広報、給与計算からPC管理まで
幅広い仕事を担当せねばなりません。

採用活動のメイン担当として、
100人以上と面接したりもしました。

数字のノルマに急かされることなく、
のんびりとした時間が流れる会社員生活は
気持ちが楽でした。

正直、こんな程度の労働で
お金が貰えるのかと思ってしまったくらい。

けれど、営業をしていた頃のような
人の役に立っているという
強い実感は感じられなくなってしまいました。

せいぜい、
トラブル相談を受けた社員に感謝される程度。

「私の人生、これで本当にいいのかな?」
と心の声が聞こえてくることもありました。

それでも、結婚して子どもが生まれてからは
仕事の充実感よりも家庭のほうに重きがあり
あまり気にしてはいなかったんですね。

産休・育休を取らせていただいて
0歳児クラスから保育園に預けて来た子どもは
すくすくと成長。

紆余曲折あったハードな中学受験を乗り越え
ご縁をいただいた私立中学に進学しました。

しかしながら、
私立というものは
学費以外にとてもお金がかかるもの。

短期留学研修費用60万とか・・・
共働きだし払えないわけではないけど、

子どもがやりたいことを
「お金がない」
という理由で我慢をさせたくはない。

そこで
流行りの副業をしてみようと思い立ち
Xを通じて情報収集を始めたんです。

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情報発信ビジネスと師匠との出会い
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副業といっても、
私には自由な時間がほとんどありません。

今の会社は自宅から遠く、
往復で3時間ほどかかります。
更に、私立中学なのでお弁当が要るんですね。

朝4時半には起きてお弁当を作り
夕飯の準備まで終えてから出勤する。

仕事は定時で終わらせ
19時半に帰ってきたら
夕飯をゆっくり食べている暇もなく

ぱぱっと家事をこなして寝なければ
睡眠時間が足りなくなってしまいます。

そんな生活なので、
最初は簡単にできるという
謳い文句の教材を購入してみたんです。

ポイ活、転売、占い、インスタ、TikTokなど、
手あたり次第に稼いでそうな発信者の教材を
買ってはみたものの、

作業する時間もあまり確保できない中、
形になるものは何もなかったんですね。

「また、教材買ってしまった・・・」
「興味はあるけど、やる時間がない・・・」

お金を稼ぎたいのに、
TipsやBrainにお金を浪費してばかりいる
自分に嫌気がさして、

どうしたらいいのか分からなくなっていました。

そんな時に見つけたのが、
コンテンツビジネスで当時330万を稼いでいた、

後に自分の師匠となる方の
講座開講のお知らせでした。

『0→1突破のための講座』

「これは、私にぴったりなのではないかな?」
「独学では無理だった。
期限を決めて、やらざるを得ない環境が必要」

そう思って、その時の私には
大金だった20万というお金を払って
背水の陣のつもりで
コンテンツビジネスの講座に飛び込んだんです。

その講座の中で、
ビジネスとはお悩み解決だと教わりました。

目の前のたった一人の
お悩み解決のために作ればいい。

それが、インターネットを通じて
たくさんの人の悩みを解決することに
繋がるのだ、と。

これを聞いた瞬間に、
「これは私がずっとやりたかったことだ!」
って閃きが下りてきたんです。

自分の知識や経験が、
誰かの助けとなってお役に立つこと。

しかも、ノルマもプレッシャーもない
売ることの強制もされないし、

自分が自信もっておススメできる商品を
売ることができる訳です。

これに気づいてから、
私の行動は加速していきました。

通勤電車の中で動画を聞いて勉強し、
家事が終わった夜中にPCに向かって作業する。

睡眠時間も削ったし、
時間が足りなくて有給休暇をとって
ひたすら動画の撮影をしたりもしました。

そうして迎えた第1作Brainの発売日。

20:00
緊張でかたかたと震える指先で
販売開始をお知らせするポストを送信する。

すると
通知がぴこん、と鳴る。

【Brain】 記事販売のお知らせ

「え・・?」
何が起こったのか一瞬理解できなくて
ぽかんとしている間にまた鳴る。

通知がどんどん増えていきます。

「ほんとに・・・売れた・・・」

この時、ネットビジネスに参入して
まだ1ヶ月も経ってないのに

なんと2週間で77部も
販売することができたんです。

自分が作った商品を買っていただけること。
つまり自分自身でお金を生み出したということ。
自分を信頼していただけたのだということ。

今までの価値観がガラリと変わりました。

稼いでいる人たちの
知識、思考回路、価値観を学ぶことができれば
こんなにも結果が出るんだ・・・

驚きましたし、
これをもっと学んでいけば良いんだという
希望と確信を得ることができました。

自分が学んできた知識や経験を生かして
人のお悩みを解決し、
その対価としてお金をいただく。

いじめられていた中学生のミニゆりかが
どん底の毎日の中でも願っていた、

「誰かの役に立ちたい」という想いを
今ようやく理想の形で
実現できるようになったんです。

しかも、営業の頃のように欠陥商品を
なんとしても売らないといけないような
状況でもありません。

自分で納得したものを
自信もって心からおススメできるんです。

そして、結果としてお客様に喜んでいただける。
なんと幸せな事でしょうか。

人の役に立つ事が出来ている自分が嬉しくて
もっと自分のビジネスを大きくしたいと願い
師匠からより深い知識を学ぶ決意をしました。

既に他界した両親が遺してくれたお金を燃やし
300万を投資して
個人コンサルティングを申し込んだんです。

格上から正しい知識を学び
正しい方向性に進めているのか
導いていただくことができれば

最短距離で成功までたどり着けると
確信したからです。

師匠は私より年下の方ではありますが、
私は素直に教えを乞い、
あらゆる知識を学びまくっています。

格上の方々とも
プライベートのつながりを
たくさん持っている方なので

稼いでいる方々の思考や行動というものも、
教えていただいています。

師匠は
「高単価が売れる仕組みを作っていきましょう」
とおっしゃいました。

「売れる仕組み??ちょっとよくわからないな」
と思いましたが

とにかく知識を学び、
言われたことを素直に実践していきました。

とにかく学んで知識をつけ
世の中に価値提供していく。

そんな中で、私からネットビジネスを学びたい、
と言ってくださった方もいて、

コンサルクライアント様の
サポートもさせていただいています。

格上の人たちから
教えていただいたように
とにかく勉強を重ねていくこと。

学んだことを活用して
ビジネスを築き、人の役に立ち
感謝されて、お金をいただく。

そのお金を更に知識を得ることに投入して
より深い知識を身につけて、価値提供していく。

この流れを繰り返していくの
とても楽しいんです。

一度やってみていただくと
理解できると思うのですが
もっと、もっと、と先へ進みたくなるんです。

お金が稼げるというのもありますが
自分が学んだことが価値提供となり、

人の役に立って、喜んでいただけるということが
嬉しくて仕方ないんです。

自分に価値を感じることができるようになって
自己肯定感も上がりますし

本業も、ネットビジネスも上手く回るようになり
プライベートも充実して
人生そのものが劇的に楽しく幸せになっていきます。

このようなビジネス経験をすることができたのは

知識を基礎とした思考の方法
格上のお金持ちの方々の行動基準、価値観などを知り、
身につけようとしてきたからです。

格上の思考に触れることで
自分のマインドも行動も劇的に変化し
大きな自信となります。

コミュ障で
自己肯定感最低で
超絶ネガティブだった面影は

全くなくなりました。

思い出したくないような過去も
営業時代に背負った闇も受け入れて
私らしい私として前向きに進むことができています。

ビジネスを学び
成功者の思考を学び
実践してきたことで

よりたくさんの
人のお役に立てる知識が身につき、

たくさんの方のお悩みを
解決できる機会を頂くことができています。

そして、お金があれば
悩みの99%は解決できてしまう現代において

お金を稼ぐ手段を
身につけられたことは幸いですし、

その方法を悩んでいる方に教えることで
幸せを掴める人を増やしていきたいと
思っています。

====================
改めて私の価値観とこれからについて
====================

これが
ずっと人に話すことができなかった
私の告白の全てです。

かなり長かったと思いますが
お読みいただきまして、
ありがとうございました。

いかがだったでしょうか?

私が大切にしている価値観は
「私の知識と経験で誰かの悩みを解決し幸せに導くこと」です。

つらい経験をされた方
今キツイ状況でなんとかしたいともがいている方

そんな人たちの背中をそっと押し、
良き道へ進めるよう、応援してあげたいのです。

私の発信は

今回お話したような私の過去の出来事によって
形作られていると知っていただけると
よりご理解いただけるのではと思います。

私はX、LINE、YouTubeで
情報発信をしていますが

「ゆりかはトップセールスになるくらい
もともと才能があったんでしょ」

などと、
大変ありがたいことに
言われることがあったりします。

だからこんなに
ネットビジネス始めたばかりの時から
成果がでてるんでしょ、

などと言われることがあるんですが
そんなことは全くありません。

営業で慣れるまでのコミュ障っぷりは本当に酷く

接点の薄いクラスメイトに用事があって
話しかけるだけなのに

手が震えて
緊張でお腹が痛くなり

頭の中で何度も
会話をシミュレーションしまくって

ようやく話しかける事ができる
というような有様でした。

自己肯定感の低さゆえに
ちょっと間違いの指摘をされたり
怒られたりすると過剰反応してしまって、

卒論の指導中に突然泣き出して
教授を困らせてしまったこともありました。

社会人になっても
先輩の指導中にすぐ泣いてしまう
困ったちゃんでした。

改善点の指摘をしていただいているのに
ぼろぼろと泣き出してしまって
当初は本当に使い物にならない新入社員でした。

本当に何もできない人でしたよ。

思考がとにかくネガティブなので
良くないことばかり起こっていました。

自分に自信がないから、
いつまでもネガティブを引きずって
マイナスな発言ばかりしているうざい人でした。

でも、そんな人間でも
別人のように進化できるんです。

少しの勇気を持って決断できれば
変わることができるんです。

稼いでいる人たちの思考と知識を学んで
組み合わせていくことで

人生はどんどん明るく
楽しいものになっていくんです。

これを私は強く伝えたいのです。

日本人は大人になると
大多数が学びを止めてしまいます。

ですが

学べば学ぶほど
お金を稼げるようになりますし

仕組みを作ってしまえば
時間もできるようになります。

そして頂いたお金と時間を費やして
またさらに深い知識を得ていく。

人生がキラキラ明るく楽しくなっていきます。

こうした私の情報発信をきっかけにして
少しでも現状が良くなる人が生まれて
そしてこんなにいいことが起こりました、

っていう話を
一緒に食事なんかしながらお話できたら
とっても楽しいし幸せだなって考えています。

そのためにも
まずは一歩踏み出していくことが大切です。

もし悩みがあったり、
動けなくなってしまったりしたら
なんでも相談をしてみてください。

公式LINEに送っていただいたご相談には
私の持てる全力を持ってお答えしております。

公式LINEでは
私がやってきた営業のエッセンスが学べる
無料プレゼントも受け取れますし、

学びにつながるような
無料動画のプレゼントも不定期で行っています。

☆ゆりか公式LINE↓

ゆりかの自己紹介は以上です。
ここまで本当に本当に長い文章になりましたが

お付き合いいただきまして
ありがとうございました。

もし感想などいただけましたら
公式LINEかDMまでお送りいただけると
とても嬉しいです。

追伸

私の情報発信媒体を知りたいという声を
たくさんいただいたので
こちらに掲載しておきます。

☆ゆりかYouTubeチャンネル
ビジネスの基礎基本、マインドなど、
ネットビジネスで稼いでいくための
ノウハウを語っています。

ゆりか - YouTube



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