雑記 秋

・グルテン、カタカナでは伸ばし棒がはいらない表記が多いよね。でも英語ではグルーテンに聞こえて、ドイツ語ではグルテーンなの。綴り同じなのに。こういうのが一番厄介だよ、やめてください(?)。カタカナ難しいんだよまったくもう。化学には何でできているかで発音が変わるシステムもあるんだぞ。せめて統一してくれない?

・久しぶりにオペラ『蝶々夫人』を観た、ピンカートンって明らかに悪者だよね?蝶々さんもナイーブすぎるかもしれないけど、あれは男が完全に悪いじゃんね?時代背景的にあるあるな話だったのかもしれないし、他の登場人物もみんなそれが普通みたいなテンションでやってるけれども。最終的にはケートの器はそこそこ尊敬するな、でも自己中じゃねひどくね、スズキが推しだな、それぐらいだ。音楽はもちろん素晴らしい、なにが嬉しいってイタリア語が少し聴き取れることがあること(そこ?)。オペラに現実味を求めるほうが違うってのは百も承知です。

・あなたの座右の銘はなんですかって訊かれたら即答できます?私はできないです。ライフモットーとか信念とかみたいな感じやんね?同級生の多くが就活をされていて、両親がそれぞれの職場で人事に関わっているので、私は(職種的にも)一度もまともに受けたことのない面接ってどんな感じなんだろう、と調べてみたらこんな質問があった。そこからネット記事をたどっていくと就活生のための座右の銘まとめサイトとかあって、いろいろ腹の立つ書き方してあるなーとイライラしました。無理すぎる。
で、私の座右の銘とは。そもそも深い人間じゃないからな。川の流れに身を任せなライフスタイル(ライフスタイルとか言うな)だからな。そういう感じで行くと「明日は明日の風が吹く」「笑う門には福来たる」「死ぬこと以外はかすり傷」感は強いかもしれない。それらにまつわる美しいエピソードはなにも出てこないんだけど。ちょうどミレニアルとGen Zの間の世代らしいので、最近ネットで読んで頭に残っているのは "no titles, just vibes"とかいう類の特に意味がないものばかりで、ブンガク的なので思いつくのはシェークスピア『ロメジュリ』の"swear not by the moon"やピーターパン原作の"oh, the cleverness of me"ぐらい。有川ひろ『海の底』に出てくるセリフで、「転ぶな死んでも転ぶな!死んでから転べ!」「バカに憤ってる場合か」も結構好き。その繋がりでいうと図書館戦争シリーズで図書隊のシンボルであるカミツレの花言葉「苦難の中の力」はっょぃ。いや何の話。

・私にとって沼であったというか不意に墜ちてしまったアイドルって、タイプだと思っていた人とかけ離れていることがあまりにも多い。「前から刺されるか、後ろから刺されるか、の違い」とツイッターに書いている人がいてめちゃめちゃ納得した。見えるところからナイフが飛んできたとしても、速すぎる場合は受け止める準備ができていないこともあるが。視界にいれていなかったところから致命傷レベルのダメージを受ける方が心のリカバリーに時間がかかる。これは活字に関しても同じことが言える、なんとなく手に取った本に受ける衝撃のほうが大きかったりする、ポジティブなほうにでもネガティブなほうにでも。

・私が書く日本語の文章は句読点が少ない気がする、と母に言われた。
でもね、こうやって、書き言葉でも、たくさん区切る人って、いるじゃない?私が、好きな本の中では、上橋菜穂子さん(守り人シリーズ他)が、息継ぎ多めな、印象。これってどういう現象なんだろう。確かにおしゃべりと同じテンポでいくと読みにくいことがあるんだと思う。(確かに、おしゃべりと同じテンポでいくと、読みにくいことがあるんだ、と思う…?)加減がわからない。単にもっと日本語に触れるべきなのかもしれない。点…カンマ、コンマ…ハンマーカンマー?(やめとけ)

・この間、8年間同じクラスだった友達としみじみ話し込んでしまった。私たちは当時(も今も)「イケている」グループに属したことはなくて、それが良くも悪くも今の対人関係に影響を及ぼしているよねって。クラスの中で浮いている、ということはなかったと思っているけれど、何年も同じコミュニティの中で同じ役割をしていると、それが染み付くよねって。先生方の覚えめでたく、良い成績で、学級委員やって、(メガネで、休み時間は読書、クラシック音楽を聴きたくて聴いていて、)一見真面目なキャラ。ちょっとノリが悪いけれど、8年も一緒にいれば、放課後つるんでいなくても腐れ縁。宿題を写させてくれるぐらいには親しみがある感じの。どんなに自分が変わっても相手が変わっても、普段から会う仲の良い人々以外が数人集まったら、そのときの役割に戻ってしまうよねって。変わったかどうかは自分ではわかりにくいよね、ずっと一緒な人は気づかないだろうし、新しく出会う人は新しい自分と出会うんだしねって。

・自分のことを説明するうえで、便利な言葉がたくさんある。その言い回しを使うことによって傷つく人もいるらしい、という事実があっても、勝手が良いから、と使うことをやめていない言葉。最近、「私、social anxietyあるから」と立て続けに人に言う機会(?)があって、ちょっと考え込んでしまったのだ。ウィキペディアでは『社交不安障害』『社交恐怖』『対人恐怖』と訳されているコレ、私は別に正式にそう診断されたわけではない。さらっと、ネットスラング的なニュアンスで言っている。なんというか、軽くはない、されどもそこまでマジじゃない。生きる上で支障を全くもたらさないわけではないので、プロに診察してもらったら何らかの名前がつくとは思うのだけれど。この世代や時代にありがちなんじゃないかなぁ、どうだろう。「陰キャ」と似た使い方をしているかもしれない。「病んでる」「コミュ障」とかと同じで、この単語を使えば相手には私がどういう人なのかパッとわかるから便利。私はたぶんだけど、「シャイ」とか「内気」なわけではなくて、なんというか、壁が厚い、みたいな、シャッターあがりきるまで時間がかかる、みたいな、そういう。別に根が暗いわけではないんだけどね、きっと。「陽キャになりたい」、なんて「二重になりたい」ぐらい思ったことない。自分がもっとオープンだったらいいのにな、とはたくさん考えるけれど、自分の小さいコミュニティで満足しているからなのか、小さな小さな野望にすぎない。

・このあいだ自分が何度となく歩いた場所で発砲事件が起きたとき、呆然としてしまって泣いた。何のために流した涙のなのかはよくわからない、なんなら自己啓示的な振る舞いだっただけなのかもしれない。平和ボケってなんて幸せなことなんだろう。日本では度々話題になるけど、そんんなのいわゆる先進国ではどこでもそんなもんでしょ。「自分だけは違う」「ここだけは違う」だなんて思っていられない。個人的なレベルだと、私の直接の知り合いの中ではコロナウイルス陽性が出ていない、とかも含まれる気がする。ベラルーシやアゼルバイジャンで起きていることも、現地出身の友達がいるからこそ比較的身近に感じられているのかもしれない。
自分が少しでも関連づけられる場所や人がどんどん増えていくから、守りたいものとともに隙も急所も、増えていく。自然災害も人為災害も、わかっていてもわかっていなくても、怖い。

・アニメ銀魂を観始めたよ、3クール目が決まったすき焼きの回が今のところ一番好きです。The Big Bang Theory が好きすぎて3周したところだったので、そのかわりというか、一話がそんなに長くない、家事をしている時や休憩時間に横目で観られる何かを探していたのでちょうどよかった。あとThe Queen's Gambitをほぼ通しで観た(全7話、それぞれ約1時間)、こういうの好き。数日後にThe Imitation Gameを勧められたのでそれも観た。好き。絶賛Hotel del Lunaロス中。

・オンライン授業やパソコン上の用事が増えてばかりなので、それに普段からのネット中毒(主にSNS、ネトフリ、ユーチューブ)を足すと、起きている時間は最低90%ぐらい絶対に画面をみているの、普通に考えてやばい。はやく家用のブルーライト度入りメガネを買うべきなのかもしれない。前から疲れていると目が寄ってくるのが最近はデフォルトになっている気もする。先日メガネなしの裸眼でお散歩に出てみたのだけれど、絶対視力落ちてる。周りが見えなすぎてマスクの下でニヤニヤしてしまった。すれ違う人の顔がどれだけ近くても識別できないぐらいまでになってしまった。あと寄り目がだんだんひどくなってきたので目のストレッチをきちんとしたほうがいい。

・ネットで調べればどれだけ浅くともなんとなくの知識は手に入る2020年、一緒に仕事している人にも同じ情報処理能力(単語の使い方がちょっと違う)を求めがち。私がそういう面で長けているかというとそうでもない。ただ、わからないことがあればとりあえず検索してみる。「この名詞の性はなんだろう」「モグラってフランス語でなんだっけ」「えっこのアイドル何歳なの」から大学のレポートその他に必要な文献の確認から、全てどうにかなるじゃん、ある程度までは(ある程度までは)。人と話している最中も、会話の内容で気になることがあれば平気でスマホで調べたりする。さすがに相手にもよるけれど、これって結局どうなんだっけ、みたいな疑問をその場でできるだけ解消そして共有するのも楽しい。文面でのやりとりが普段にもまして増えた今日この頃、それはさすがにググってくれよ、と思うことが増えた。ksとまでは言わないがggrとは圧倒的に思う。GIYFなんだから。そのキャッチボール何往復か無駄なんだから。

・久しぶりに「恋人欲しくないの?」と訊かれた。欲しいかどうかで恋人の有無が決まるみたいな言い方しないでくれる?そういう側面を生きているうえで必要としているかって訊かれたら、今現在全然そうでもないからなー。とこの歳で言うと「えーもったいない」とか言い垂れてくれる人もいる。"年頃" の "女性" "なのに" なぜ恋愛的なほうに興味があまり向かないのか、不思議に思う人のほうが多いらしい。私は自己完結の鬼なので、これでひとりよりその人といるほうがいい、なんて思わせてくれる人がいるならかかってこい、である。今過ごしている幸せなひとりの時間を割きたいと思う人が現れたらまた考えるけど、そんな気配は全くしない。そもそも人にそんなに興味がないのかもしれない、と最近思う。致命的だ。
家族といつメン(これ、もうちょい新しい言い方できる?)は別枠。

・うち、なんでこんな寒いん?角部屋だから?天井高いから?私の基礎代謝がクソだから?冷え性だから?



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