生きよう

ちょうど去年の今頃、友達と絶交した。

彼は、私と出会う少し前から重度の鬱とそれに伴った拒食症にかかっていた。
二年前、「家族にもきちんと話したことないのに、聴いてくれてありがとう」と言われながら紡がれる言葉が重くて痛かった。でも、やっといろいろなことに対してやる気が出たこと、様々な事情のある地元を一旦出るために他の国の大学に行くことを教えてくれた。
留学後も国をまたいで定期的に連絡を取っていて、一度は遊びにも行った。そこで彼と同じ寮に住む同期くんとも仲良くなり、その同期くんもある程度事情を知っていることを察した。本人はだいぶ良くなったモチベーションも上がったなどと言っていていたのに、三日三晩飲み食いをせずに自室で(ぶっ)倒れたり(同期くん情報)、同じ街に住んでいるお兄さんと連絡を全く取らないあまり心配されてFBでつながっているこちらに唐突に連絡が来たりしていたので、やっぱり心配だった。
学校のカウンセリングに行け行けと何度も催促をして、確か一回だけは顔を出しにいったのだと思う。「ダイジョーブ、ゲンキゲンキ」とやつれた笑顔で頷くアニメ好きの彼は、ろくに食事もとらずにタバコとお酒で生きていたようなもので、大学も落第すれすれ。昼夜逆転して寝坊で授業にでなかったり、逆に課題にのめり込みすぎて授業を忘れていたり、本末転倒と言われてもしょうがない感じ。
去年の夏、あまりにも不安定な波がまた来ていそうだったので、同期くんと帰省していた彼のところに旅行をする計画を立てた。
計画の段階では彼は本気で喜んでいたのだと思う。

旅行初日、空港にお迎えに来てくれるはずが着いたらいない。私たちが連絡してから家を出たらしく、1時間後に「ごめん!ようこそ!」と現れた彼はなかなか疲れていそうだった。
彼の地元に行く前に何日か首都で過ごした。観光という名の散歩をたくさんして、美味しいご飯を食べて、湖のある山に登って、彼も少しは行程を考えてくれていたようだ。ただ、毎晩、お酒が入ると口数が少なくなった。映画でも、と同期くんと私が選んだラブコメが始まった途端タバコに立ち、帰ってきてすぐに寝た(ふり)。病んだ理由のうちの大きなひとつが元カノさんであったことを知っている私たちは、彼がまだ何も吹っ切れていないことを再確認した。人並みに優しい女子にはすぐに惚れるのに、コイバナへの拒絶反応がすごいのだ。私がきっぱりと断れていなかった(らしい)ために彼の中で私たちが2週間付き合っていたことになっていたのはまた別の話だけれど、その流れで"別れた"ときにも私が傷をえぐってしまったのかしらと思ったり思わなかったり。ちなみにその夏、同期くんは彼のことが好きだった。不思議な三角関係だったね。

私たちがいる間ぐらいはきちんと1日3食のリズムに戻ってみてほしかったうえに、ビールの消費量とタバコを吸う回数も減らそうとした。少しでも気まずくなりそうになるとタバコを言い訳にひとりの時間を作ろうとする彼について行ったりもした。少しぐらいは事情がわかっている私たちには隠すこともそれほどないはずなのに、旅行に行ってからは自分の考えを話すことも減っていた気がする。知っているからこそなのかな、とも思った。彼は、家族の中の立場と、さらに長年の彼女に裏切られてから、自分の感情を出すことが苦手だった。それでいて、他人の意見を受け入れることに対してあまり積極的ではなかった。だから、私たちに対して不思議な類の甘えもあったのかもしれない。
3、4日目ぐらいに、彼は泣いた。なぜ泣いているのかよくわからなかった。それからはよく、散歩の途中にも公園で休みながらポツポツと話をするようになった。プロのカウンセリングに行きたくないなら、せめて私たちが聴くから、と。体が弱っていてもしょうがないのだから、生活習慣を建て直すところから始めよう、と何度も話し合った。生活の基本ができたら、また力も湧いてくるかも知れない。せめて滞在中は。頼むから。

そして彼の地元に行く日が来た。彼は実家に、同期くんと私はホテルに泊まるということで、一緒にご飯を食べて、別れた。こちらに来てから、3人が24時間一緒にいなかったのは初めてだった。次の日の朝、彼と連絡がつかないので、私たちだけで街に出た。海沿いの綺麗なところで、同期くんとも初めて個人的なそこそこディープな話をして、そうか、そこまでは彼の話しかしていなかったんだ、と気づいた。そして昼過ぎもいいところに「ごめん、寝てたわ」という彼のメッセージ。
その時を皮切りに、「今日は古い友達に会うから」「明日のお昼は恩師とご飯を食べるから」。せっかく彼の地元に来たのに本人に会えないことが続いた。自分の街に友達が来ていても他の予定がはいることなんてあるけれど、いくらなんでもドタキャンばかり(「寝坊したからあとから合流するのでいい?」と言って結局来なかったとか)、あげくに「ふたりは僕がいないほうが楽しそうだし」と言われたあたりで私たちは説明を求めた。その夜会うことになった。その地元の公園のベンチに座っていたとき、なんの偶然か、噂の元カノさんが通りかかった。(私は少し面識があって、同期くんはSNSで顔を知っていた。)彼の軽さを演出しようとした挨拶を無視して通り過ぎた彼女は、彼が別れてからどん底にいたことを知らなそうだった。向こう側がどんな気持ちだったのかは知るよしもないのだけれど。
その公園でも、その前も、その後も、具体的に何の話をしたのかはよく覚えていない。みんな感情的だったんだろうと思う。

同期くんと私たちが発つ前日、「最後にもう一度話をしたい」と言われ、これまた別の公園に向かった。

私たちがいることで過去を思い出してしまう。だから関係をリセットしたい。

そう言われて私は「あ、そう。0パーセントに戻すのでいいのね?じゃあ、バイバイ」とその場をすぐに去った。そこまでの10日間で私にできることが限られすぎていることを思い知っていた。新しくしたはずの環境で出会った私たちが地元の景色の中にいることが、少なからずストレスになっていそうなのも感じていた。前の晩に「もううんざりしているんじゃない?」と本人に訊かれた時だって、私は「どうだろうね」としか返せなかった。ホテルに帰ってからも、むしろうんざりしていて欲しいのではないか、と考えていたから、今現在友達でいることが難しいというなら、そこまでなんだろうな、ぐらいの。
同期くんはもう少し残って話をしたようで、というか夏休みが終わっても同じ大学の同じ学科にいるから顔を合わせないこともないのだろう、丸く収めようと思ったのかもしれない。
とにかく次の日はまだバスで空港のある首都に行くのにまた3人になった時、私は必要最低限しか口を開かなかった。
彼とはそれからずっと連絡を取っていない。

秋から始まった新年度、同期くんは一度だけ彼と廊下で立ち話をしたそうだ。
「うわ久しぶり!連絡しようと思ってたんだよ!」
嘘ばっかりだね、と報告してくれた同期くんと笑った。お互いに気にはしていても、連絡をとるつもりがないことぐらいわかるのにね。それぐらいに濃くて近い関係だったはずなのにね。
その後、重なるはずの授業には一度も出ていないこと、実技のクラスの席を失ったらしいこと、このままだと退学になることも同期くんを通じて知った。FBでは時々オンラインなのを見かける。あの緑の点を見つけるたび、まだ生きているんだ、と少し安心している自分がいる。

去年の夏から、たくさんたくさん考えた。自分が渦に巻き込まれないのに必死だった。ずっと心理学に興味があった私は、母に絶対にその道には進むなと言い渡されてしまうほど他人の感情につられやすい。彼のことについて悩めば悩むほど、自分もわからなくなって、無力感に襲われた。今でも、もっとできることがあったのか疑問に思う。手を差し伸べなきゃ、という謎の上から目線も、よくわからなくなってしまった。向こうにその手を取る気がないのであれば、それを強要するほど難しいことはない気がする。どんな角度から蜘蛛の糸をおろしても、向こうが見たくない、見えないのなら、それにずっと付き合えるほど私は強くない。
どれだけ神経をすり減らせるのかどうかはそこまでの関係性のレベルもありそう。名前と顔が一致して二年ちょい、きちんと知り合って一年と少し、これでも私は気にかけていたつもりだった、できることはしようと思っていたつもりだった。でも全部"つもり"だからダメだったのだろうか。

実は、友達との関係で自然消滅ではない終わり方をしたのは、その時ですでに二回目だった。前の時は8年間クラスメイトだった女の子で、そこも、というかそこは、数年にわたって違和感が募った結果だった。同じグループの中で、諦めたのはたぶん私が最初。そこまでして私(たち)が合わせる必要ってないじゃん、という結論による。

もともと諦めるまでがはやい性格なことも意識してはいる。こちらの努力と相手の努力を天秤にかけてしまっているのかなぁ。人間関係において努力ってなんだよって感じではあるけれど。ギブアンドテイクの比率が同じであることはありえないのに、そうやって数値化しがちな自分にも嫌気がさしたり。
親しき仲にも礼儀あり、的な。
いつも一緒にいる友人たちとは多少の意見の違いはあっても根本的なところで全くストレスがない。それ以上のものを用意できないのだ、私が。用意する気がないから。年齢的にも少しはオトナなのでビジネス的なお付き合いができないわけでもないし、他のオトナとスモールトークができないわけでもないし、でもそれもそこでおそらく割り切っているからで、パーソナルスペースにいれたいかどうか、はいれるかどうか、はいりたいかどうかはまた別の問題だよね。

あの時に意地でも友達という関係を引っ張って無理やりにでも連絡を取り続けていたら彼はまた元気になれたのだろうか。元気になるきっかけを見つけられたのだろうか。あの新しい街で、大学で、居場所は見つけられたのだろうか。あるいは、その大学というコミュニティの可能性を失っても笑顔になれるのだろうか。あの状態で第三者からすると明らかに自業自得としかいいようがない退学になったら、どこにゆくのだろうか。自分のせいにしすぎないだろうか。

生きているうちはいくらでもチャンスはある、と言っても、そのチャンスが本当に欲しいことなんていくらもないのではないだろうか。



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