ステイホーム歴10ヶ月の大学生の話

私には自分が思っているより人との会話が必要なんだなぁ、と秋頃から考えている。ひとりの時間が大好きで、今の状況によって他人と触れ合うことが少なくなったことをたぶん普通よりちょっと喜んでいる私でも、人類って群れることで生きているんだなぁって感じてしまう。(相変わらず主語がデカイ)

そしてそろそろキレそう。この行き場のないイライラの周期がはやくなってきた。
色々と言いたいことがあっても、これは自分の生活が保障されている故に驕りなのかな、などとよぎってしまうから本当によろしくない。

第一ロックダウンは3月、第二ロックダウンは11月、そして今第三ロックダウンの1月。途中で少し規制がゆるくなったとはいえ、生活に必要または大学に許された最低限のお出かけだけをするようになってから、10ヶ月ほどが経った。
こちらのロックダウン中、外出して良い理由はざっくり4つある。一親等の血族またはパートナーに会うとき、生活必需品の調達をするとき、運動するとき、お仕事の行き帰り。
お国の判断に文句があるわけではない、基本的には。この状態がはやく終わるために必要なことはなんでもしてくれ、と思うばかりで、わかりやすくシンプルであるルールを守りたくない人やそもそも元凶の存在を未だに信じない人などに腹が立つ。確かにやっとのことでこぎつけた予防接種のプランや実行速度には疑問を感じないこともないが(予防接種そのものではなく投与のテンポの話)、ワクチンがまだ認められていない国・地域があることをみれば、ラッキーなほうではある。
現代医学を信じずに何を信じるんだよ。

新型コロナウイルス前は週一以上のペースで遊んでいた友達とは2020年を通して5回も会っていない気がする。春はピクニックにいって距離をおいておしゃべりして、夏はテラスに距離をおいて座っておやつを食べて、秋も一度同じところでごはんを食べた。季刊の雑誌ですか?冬の号は諸事情によりお休みなんですか?カフェでケーキ食べながら何時間もどうでも良い話ができる世界、どこに行ったの?
定期的にそれぞれや全員とビデオチャットもするけれど、そもそもロックダウン中は絶対に直接会わないし、その間の期間もそれぞれが感染リスクが高い人と関わっていたり、医療の前線で働いていたり、ただただ大学のオンライン課題で忙しかったり、わざわざ会わなくてもいいよね、という共通認識。この辺の意識が共有できる人たちが一番近いところにいることにとても感謝している。でも、「会いたくない」のではなく「会わない」「会えない」。私たちは自分たちと、自分たちと一緒に暮らす人々と、お互いを含めた自分に近い人たちを守ることを選ぶ。安全をとる。リスクをなるべく背負わないようにする。なんとか生きてはいるけど、時々めちゃくちゃもどかしいトキが訪れる。
ところで不定期スカイプの弊害といえば、日常が変わらないので近況報告的な話題がすぐに尽きることと、不定期すぎて全ての友達と画面越しにしか話をしていないので、誰に何をどこまで言ったのかわからなくなること。

最後に外でマスクを外したのは一応イベント等が一瞬だけ復活していた秋で、第二ロックダウンからの外出時はずっとつけたままでいる。誰もいない小道を歩いているときぐらい外の空気楽しめばいいのに、とzoomをした友達に言われて考えたのだけれど、去年の今頃から流行っていたダイレクトなアジア人差別の思い出に加えて、楽器を背負った人がマスクなしで目撃されることに抵抗を感じる部分もあるのだろう。中国ウイルス云々はさすがにもうしばらく聞かないけれど、全てがストップしている音楽界に明らかに属している人が少しでも気を緩めている、と思われたくない。自意識過剰もいいところかもしれない、それでも自分のなかでなんらかの折り合いをつけるために、本当に必要な時だけ、目元を少しメイクして、マスクをつけて、アパートを出る。普通に感染予防もできるだけ徹底したいじゃんね。

外で市電に乗るときに慌ててコートの襟を引っ張って口と鼻を覆っている人を見かけた時には、頭がはてなマークでいっぱいだった。もう一年ちょい経ちますけど、何事?予防率があがるマスクが義務化されて1日目、今日は心なしか外出している人が少なかった。あと布系のマスクよりズレにくい・ズラしにくいので、正しく着用している人ばかり。
現在のロックダウンが二度も延長された今、数字も安定してきているじゃん、などという理屈は通じない。なぜ延長されなければいけなかったのか、なぜ第三ロックダウンに至ったのか。首相の言葉を借りると、「こんな処置を政府が、政権が、好んでしていると言うのですか?これで人気がでるからやっているとでも?(マイ意訳)」となる。ちなみにこれはコロナルールが更新されるたびに首相も保健大臣もクソだから辞めろと騒ぎ、公式の場でマスクをつけない政治家に向けてのメッセージだった。この一連のやりとりがあった時には怒りを通り越して呆れたね、全力で。幼稚園かな?

自分の生活が制限されている、自分で制限している、という自覚があるからこそ、ホームパーティーで人が捕まっただのレジャーで遠出しただのと聞くと、イライラすることもある。なんだろう、冬休みの定番と思われるウィンタースポーツとか、日本だったら友達とアミューズメントパークに行くとか、そう言った類のアクティビティが私にとって日常でないからかもしれないが、今、この冬、わざわざ遊びに行く必要があるのか?と強く疑問に思ってしまう。私にはスキーの趣味はないし、最寄りのディズニーランドに行くには国境を最低二つ越えなければいけないし、それらを奪われることがどんなに辛いことなのか、想像しづらい。ただ、そこに趣味や楽しみや付き合いを全振りしている人たちは、普通に人生がつまらなそうだよね。スキーに関しては去年の冬どういう経緯でウイルスが広まったのか思い出してくれよってのもあるやんね。
スノボしなくても、ミッキーと写真撮れなくても、生きていけるようにしたほうがいいよ、たぶん。最推しがいなくなっても、その道の先でお互い幸せにならなきゃいけないんだよ、たぶん。(オタクの思考)私がたまたま引きこもり隠キャだから、みたいなレベルのおはなしではない。

この間お客さんをいれられないホールで弾くため、とある会場に向かっていたとき、通り道にアイススケートリンクがありました。なぜかロックダウン中でも営業が許可されていて、たくさんの人が並んでいて、マスク着用の義務がない子供達が密も何も関係なく戯れていて、大人たちも最低の距離を保たずにスケート。なぜそれが許されている世界線で私は家族さえ招待できない場所でバッハを弾かなければいけないんだろうか、一体これのどこがロックダウンなのか、教えてくれよってなった。誰にだよ。

「若い人たちは本当にかわいそう、今までの人生において諦めた経験が少ないから」と母は言う。
もちろんそんなの人によるんだけど、一理ある気もする。


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