ネバーエンディング課題

もう取り返しのつかないのではないかというぐらい課題が溜まっている。

キャンパスで授業が行われていた時にはどんなに自分の調子(体、心、演奏)が悪くてもとりあえず登校して先生の話を聴いていれば少しぐらいは頭に入っていた(テスト勉強なんてほぼしたことなかった)ところ、授業内容プラス課題を自分で解くとなるとハードルがめちゃくちゃ高い。
ただ私が自分で勉強をする習慣がないからとも言えるけれど、こう時間が過ぎてゆくと、やはり座学より実技のほうに興味が向いているようにみえる。
学ぶことは好きだし、来るものは拒まず精神でいろんな知識をわりとなんでもすごいなぁと思ってしまうし、その場合はちょっとぐらいは理解したい。そしてその来るもの拒まず精神は学校でないと成立しない!つらい!
とりあえず授業を受ける、ということがずっと家にいると難しい。
授業の内容に全力で向き合わなければならない気がしてしまう。

朝起きて家族とご飯を食べたらとりあえず練習して、お昼食べて少し休憩して練習して、大学で2時間枠をもらえたら練習しに行って、そうでなければ家で練習して、疲れて帰ってきたら晩御飯を食べて寝る。それぞれのステップの間にユーチューブやネットフリックスが入っているけれど、それらを観る以上に頭を使うであろう課題をやっている時間が見当たらないのはなかなかやばい。学校が通常営業だったときより練習時間はちょっと増えているのかもしれないけど、自分で座学のために時間をとるほど難しいことはない。
だって上手ければコンクールも就職も決まるのだ、この職種において別に大学を卒業しておく必要はない。登校する時間が浮くのなら練習する。それでも平均には及ばない、今までサボってきたぶんの代わりにはならない。
全力で練習するのはとても疲れる。自明。

毎週課題が来るたびにプリントアウトしたら満足して、どんどん紙きれが溜まっていく。

座学と言う名の知識の幅が広がれば演奏にもプラスになるのは重々承知しておりますが、金管楽器の仕組みを理解するより、チャイコフスキーを弾いていたい、一回でも多くそのメロディーに触れて美しさを追求したい。17世紀のオペラについて調べるより、『夏の名残の薔薇』を楽器で歌えるようになりたい。


そして結果的に左手の親指の付け根と手首を痛めましたなう。原因はどう考えてもエルンストを二曲がっつり連日さらった事実、慣れないことをするなと体に言われているようで悔しいです。(シューベルトの魔王の弦ソロバージョンと上記薔薇のバリエーションはどちらもエルンスト編曲で、様々なヴァイオリニストたちが挙げる難しい曲のなかに必ずはいっている。)


手を痛めて練習する時間が限られた私は何をしているかというと、やっぱりユーチューブとネットフリックスと読書なので、ここまで書こうとしていたもっともらしい言い訳はさっさと捨てて課題に取り掛かるべきである。6年までをストレートで卒業したいのだからどんどん単位をとるべきである。大卒のほうがお給料が良くなるし、完全就職するまでの時間稼ぎとしては効率が良いのである。

こんな読みにくい文章を書いている暇があるならバッハのカンタータの分析をするべきなのである。




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