思い出すこと

有名な歌舞伎俳優の奥さんが亡くなったので、世間は大騒ぎしている

私は、自分の父が亡くなったときのことを、より鮮明に思い出した


私が18の時、父が亡くなった、ガンだった。
当時はまだ、ガンといえば、死病だったから、告知もせず、手術のあと、
医師は「好きなものを食べて、好きなことをさせてあげてください」と。

それから半年も経たないうちに具合が悪くなり、再入院。
そのあとは、悪くなる一方だった。
歩けなくなり、たてなくなり、トイレに行けなくなり、食事ができなくなる

四六時中痛みを訴える。告知をしていなかったから、父はどれほど不安だっただろうと、思う。
医師も家族も、嘘を言っているわけだから。
そして、わからないままに亡くなってしまったのだから。

本当に辛く悲しく、私たち家族の周りだけに、真っ黒な雲が覆っているようだった

意識がなくなってから、4日後、父が亡くなった

亡くなった父を自宅に連れて帰る途中の風景

街は、何もなかったように普通の風景で、

そのときはまだ子供だったから、

「何故、私の父が死んで、私たちはこれから、大変な人生を歩まなければならないというのに、
他のみんなはこんなに普通なんだろう?」と、思っていた。

そして今思う。
自分は社会の中でしか生きられず、社会と関係してしか生きられないけれど、
社会というのは、ひとりの人間が死んだくらいではびくともしないし、
社会にとっては、一人の一般人の死は、なんの関係もないことなのだと

だから、一人の奥さんで、母親で、娘である人が亡くなったことは、家族にとっては、本当に大変なことだけれど、
社会にとってはなんの関係もないことなのだ。
それが、この女性が亡くなったということがこれだけの社会現象となるっていうのは、
もうすでに、当人たちには、よくわかっていたことだし、十分に予測していたことだと思う。
よく解釈すれば、このことをもって、たくさんの人が命を大切にしようと、体をいたわろうと、
家族を大切にしようと、そんな風な役割ができたらと思われていたのかもしれない。

そっとしておいてという声があるが、
そっとしておけないように、しているのはご当人たちだということ。
そして、そっとしておいてという人がすでに、そっとしていない、ということ。

私は、そう思った

人生というのは、今、この一瞬、一瞬が全てだと、哲学では言う。
私も、今この一瞬を生きている


そしてもう一つ、

父が亡くなった時、病院で「お父さん」と言って、確かに泣いた。
しかし、その時、十分に泣いたわけではなかった。それに、気付かなかった。

本当に泣いたのは、不思議なことだが、義理の父、つまり夫の父が亡くなった葬儀の時だった

義理の父からは、常に、夫の兄の妻、と比べられ、辛く当たられたことが多かった。

なのに、その葬儀では、崩れ落ちるほど泣き崩れた。
自分でも、なぜこんなに、涙が出るのか、悲しみがこみ上げてくるのかがわからないほどだった

それが、後から思えば、自分の父が亡くなったとき、十分に泣いていなかったからだ。と、自分では思っている。
だから、父が無くなってから十年以上たって、やっと、思い切り泣いたのだった。やっと、父の死を受け入れることができたのだった。

ぎゃくに、泣けたら、楽になる。泣けないときのほうが辛い。

本当に悲しいときは、私は、泣けない。