おいのり
私が幼稚園児のころ、ピアノを習ってて、母親に車で送り迎えしてもらってて、母親が帰りにスーパーで買い物してる間、駐車場に停めた車の中で待つように言われて、
ほんの数十分だったと思いますが、子どもが何もしないで待つ数十分というのはとてつもなく長い時間に思えて、
ママになにかあったんじゃないかとおもって、
幼稚園でいつもやってるお祈り(キリスト教の幼稚園だった)を、車の後部座席でやった。
「かみさま、
ママがばいきんまんにさらわれてませんように。
ママをばいきんまんからたすけてください。」
と、目をつぶって声に出しておいのりをした。
母親は、何事もなく車に帰ってこなかったことはなかった。
「ママ、わたし心配して、おいのりしてたんだよ、ばいきんまんからたすけてくださいって。」
なんて言ってあげたら母親はたいそう喜んだに違いなかったのだが、そんなこと知る由もなかったし、無事に母親が戻ってきた以上それを伝える必要もないので言わなかった。
前にも書きましたが子どもはこういうあざとくないところがかわいいのだ。
ただ、かわいいと言いたいところだが、あのおいのりは母親のためというより自分のためだったと思う。母親がいなくなることは自分の死に直結することだから。
それが子どもから母への愛情そのものなのだ、と言われればそうなのかもしれないが。
無宗教の今でも私は毎晩おいのりするよ。
「かみさま、
きょうもたのしいいちにちをありがとうございました。
おかあさんがばいきんがんにさらわれませんように。
おかあさんをばいきんがんからたすけてください。
わたしたちをコロナからおまもりください。
せんそうからおまもりください。
あしたもよろしくおねがいします。
」
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