風向きはきっとまた変わってしまうから(前)

「もしそういうことがあったら、お兄ちゃんたちは彼を話し合いの末に送り出すと思いますよ、私は。」

季節の風物詩と化した長瀬の退所報道。職場内でも絶滅危惧1B類トキオタと認識されている私は、ネットニュースやらが好き放題書き散らす話題を振られるたびにそう返していたのだった。

TOKIOにドハマりして18年、もはや人生の半分以上彼らを見続けていた私はそんな風に彼らを信頼していた。

かくして、此度それは現実となった。



さて、まず私がTOKIOの何オタなのかをはっきりさせておかねばならない。主軸は音楽(バンド)、次点鉄腕DASH。

記憶にはないが小学生時分から深夜放送の鉄腕DASHをかぶりつきで見ていたらしい。てか深夜だろ止めろ親。

J-FRIENDS全盛期にあった私は同世代と同じように順当にジャニーズのライトファンとしてkinki以下様々なグループを応援してきた。ヴィジュアルバンドや今も活躍するバンドを好きな知り合い(友達とは言えない程度には私が陰キャだった)もいたが、あまりハマらなかった。

そんな中でも鉄腕DASHはずっと継続して見ていた。様々なことが学べて楽しかったからだ。(関東ローム層を使って土鍋を作る回があり、そのおかげで苦手な社会のテストで点が取れたのには感動した。)文系ながら理系に近い思考をしているのはDASHに育てられたからだと本気で思いこんでいる。

運命は、ストリートミュージシャン企画にあった。15minutesという城島・山口・国分のユニットのCDが抽選で当たると知って、アルバム『Yesterday & Today』を買ったのだ。折角買ったし、聞くかーと何気なくCDラジカセに盤を落とす。


電撃が走った。


前述の通り、ジャニーズサウンドに慣れ、バンドサウンドに不慣れであった私には、ロックしすぎなくて丁度いい、しかしゴリゴリのバンドサウンドだったのだ。


バンド!!すげえ!!かっこいい!!


トイレにまでウォークマンを持ち込み何度も聞いた。本質が収集家たるゆえ、中学生時分のなけなしの小遣いを全て叩き、中古屋を駆使してそれまでの全CDを1か月半でかき集めた。他のジャニーズで集めていた切り抜きの裏に彼らの記事を見つけては喜び、番組も全てチェックするようになった。

彼らの人間性や関係性にまで惚れこんだならば、あとはもう、沼へ一直線。はろー、わーるど。


夢中になりすぎて倍率1.01の高校受験に失敗したあの時も、その結果陰キャ通り越して闇キャだった高校時代も、大学受験にすら失敗し適当に入った大学でバイト4つ掛け持ち陰キャやってたあの時も。常に彼らの存在が私の背中を押してくれていた。…ちょっと我ながら陰すぎない?

太一がやってるなら、私もできるんじゃね?とかいう謎すぎる自信のもとにDTMの真似事も始めた。折しも東方project全盛期、耳コピ動画の真似事もしまくった。

推しがいること≒虎の威を借ること。5人揃った時の「あたいったら最強ね!」感を纏うことでライブの時だけ偽陽キャになれたし、近くになった人に声をかけて友達を増やすなんていう離れ業もできるようになった。めちゃくちゃ大切なお友達もできた。

就職すら失敗しかけて一縷の望みをかけ神奈川で就職し、太一が東京マラソンやるっていうから情報収集のためにtwitterを本格的に始め、ライブに参戦するたびに飛ばしな感想を速報で上げ、twitter繋がりのお友達ともリアルでお会いし。就職先がブラックすぎて番協に行きまくるなんて夢のまた夢で終わり、傷心のもと地元香川(僻地)に帰ったあの時も。常に彼らの存在があった。…ちょっと我ながら陰すぎない??

交通費抑えるために無茶な手段で遠征し、ライブで仲間たちに会って、ライブの余韻に浸りながら飲んで、「えび、ぷりっぷり」「次1曲目、ぼくの伯父さんじゃね?」とか騒ぎながら「んじゃ来週、(遠征先)で!」と別れるのが楽しかった。

生涯現役Rock'n Roll!を掲げたリーダーに全力で賛同し、この人たちを生涯ずっと応援していこう、そう誓った。

…楽しかった記憶って案外断片化していくんですね。記憶力メガバイトの自担を笑えないわ。


2014年。TOKIO20周年。

全ステに命をかけた。(とはいえ福島は我が僻地からあまりにも遠すぎて断念したけども)

JOIN ALIVE、サマソニ東京大阪と夏フェスに参戦が決まって沸き立った。もちろん無茶して行った。アイドルバンド、ジャニーズと煙たがられていた彼らの実力がロックファンにも刺さった様子を目の当たりにして、感動で震えた。ついでに入場規制かかるほどの人の圧力を前から3列目ぐらいでまともに受けて潰されて死にかけた。

毎週のようにいつもの仲間と会って、たまにしか会えない仲間にも会って。ラスト東京で1万台限定シリアル入りヘッドホン売るとかいうの聞いて、朝会場に直行したら、いつも会場でお会いする方が先頭にいてめっちゃ笑って。TOKIO物販でこんな並ぶの初めてだよ!と長蛇の列に感動してたら、列切れても普通に買えたっていうオチがついたり。ライブも全力で跳んだり拳突き上げたり、ライブの余韻に浸りながら仲間とだべる最高の時を過ごして。

また次のライブで会おうなって別れて。それが最後。


オリジナルアルバム周期6年やらライブ周期4年やら、オリンピックかよ!とか、伊達に待たされてるワケじゃねえ!とか言いながらひたすら待ち続けた25周年。


2018年、4月末。ゴールデンウィーク直前、仕事全部片付けてから休みたいなーとか思ってる、そんな日のことだった。

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