エッセンシャルワーカーという言葉が嫌いだ。後編

遅くなりましたが、こちらの前編の続きです。

私はエッセンシャルワーカーと定義される仕事には就いていないけれど、
だからこそ、世の中に「必要ではない仕事」なんてないと思っている。

別に綺麗事ではない。
どんなに見下される仕事でも必要とされなければお金はもらえないと知っているから、必要ではない仕事は存在できないと考えている。

18歳小卒無職だった私は配送工場でフォークリフトを転がしていた。
日雇い派遣だったから名前を呼ばれることはなかった。番号札を配られて、番号で呼ばれるのが常だった。
私の本名はリアルでも誰にも知られることなく、半年間ずっと「フォークリフトの2番さん」だった。
そんな待遇の労働者は例え配送関係だろうと間違ってもエッセンシャルワーカーではないし、
広義の意味でもエッセンシャルな存在ではなかったと自分でも思う。
それでも私が金を手に出来たのは、どこかで私の仕事が必要だったからだと思っている。

日雇い派遣は明日必要がなくなれば呼ばれなくなる。
繁忙期の終了だとか、商品の製造終了だとか、工場の縮小だとかで現場は短期間で変わっていった。
コロナ関係なく、日雇いも直接雇用のバイトも正社員も今はリストラされるし、勿論会社も日々倒産している。
競争があればそれは仕方のないことだし、時代の流れで衰退する業界もある。
いきなりステーキはコロナ前から赤字だったし、はんこ業界はコロナ前から先が暗かった。
需要がない仕事は勝手に社会からなくなっていく。

万年不景気で少子高齢化の進む日本は既に衰退傾向だった。
金もないし必要のないものを多くの人が買わなくなったから百貨店は衰退したし、
車や時計や酒や高価な外食に興味のない、消費をしない若者も元々決して少なくなかった。
エッセンシャルではない仕事が生き残れていたとは思わない。
だからコロナにパニクってエッセンシャルではない仕事は止めさせろ!と叫ぶ人たちには暴力性も感じるけど、
何よりそんな仕事はもうとっくに無くなってるんだよ、と肩を叩きたくもなる。

当然、多くの人に理解できない金の使い方をする人は今も昔もいる。

・社内の上司の機嫌を取りながら飲むサラリーマンの飲み会。その後のカラオケやボーリング。時々夜の店。たまに終電を逃してタクシーで帰宅。
・マイラーの海外旅行。通称マイル修行。マイルを貯めるために旅行するのか、旅行のためにマイルを貯めるのか分からないレベルで飛行機に乗り続ける。
・握手券や写真集、ライブチケットやグッズ、その後の円盤に相当の金を投じるオタ活。総選挙があれば何十枚〜何百枚のCDを買う。
・100万円〜300万円のバーキンを手に入れるためにエルメスで買い物を続ける。
・宗教へのお布施。教祖が本を出せば一人何冊も購入する。
・ソシャゲやスパチャへの万単位の課金。
・水商売の男女時々LGBTに貢ぐ行為。

↑これらはそれに好んで興じる人でなければ全く理解できない金の使い道だと思う。
飲み会が嫌いな人はコロナで居酒屋が潰れたら喜ぶかもしれないし、
アイドルやゲームに興味のない人はそれらがエッセンシャルではないからと規制されても特に悲しくはないだろう。

別にそれはかまわない。
理解してくれなんて思わないし、思われたって理解する筋合いはない。
でも、自分が理解できないからといって、それは必要ではない仕事だから無くなってもいいんだと言うのは、紛れもない暴力であり、偏見だ。
必要とする人がいるからそういう仕事も生き残っているし、例え周りがどう思っていようとも、何に救われている人がいるかなんて分からない。

必要性の高低は、個人とそれに連動する市場のみが決めれば良いことだ。
コロナが流行っても流行らなくても、役目を終えた産業は潰れていく。
人気のないアーティストはいつか活動を辞めるし、客を集められない飲食店は潰れる。
そういう意味では、コロナで潰れてしまうところも不運だけど、役目を終えたところもあると思う。
私は飲食店の営業制限には反対だけれど、「コロナだから飲み会をやりたくないと思う個人の気持ち」には反対できないと思っているから。

個人的なエッセンシャル/ノンエッセンシャルの判定は自由だけれど、それを道徳的であることや社会的圧力と接続するのは暴力だ。

「多くの人が嫌う/必要としないものは潰してよい」のであれば、いじめや差別や排外も肯定されてしまう。
別に嫌いなものや興味のないものを好きになる必要はないけど、多くの人が嫌う人間でも、社会に存在し続けることができるのは事実として知るべきことだ。
粗野な酔っ払いのオッサンも、臭うホームレスも、騒がしい外国人も、頭の悪そうなパリピも、公共の場は不快なもので溢れてるけど、彼ら彼女らは存在する権利を確実に有している。

職業も同じだ。
あなたがエッセンシャルと感じようと感じまいと、人には好きな仕事をする権利がある。
無論、資格や許可がないと営業できないと決まっているものも多いので、そのあたりは守る必要はあるけれど、
法を破っておらず、商売が成り立っているものを、他人が潰すことは許されない。
本当に害が大きくて規制する必要があるものだとしても、それは民主的な手続きや法律の成立を待つべきで、
コロナに託けた民間の特高警察の暴力や、それに迎合した国家権力の暴走によって行われてはならないと思う。

「コロナだから」で潰されそうになっているのは、元々が気に入らないと感じる人の多い職業や属性であるように思う。
水商売とか、居酒屋とか、夜の街とか。Youtuberとか出稼ぎ外国人とかもそうだ。

私はずっと不動産業界で働いている。
それなりに長くこの業界にいて、営業や仲介という存在はコロナ関係なく、
多くの人にいらないと言われる職業だと元々感じていた。
中抜きだから。派遣会社が嫌われる理由と同じだ。
分かりやすく現物を売る飲食店でさえ原価厨が存在するのに、
営業で仲介で価格は水物で、スマートな姿勢にも程遠い不動産屋が嫌われるのはしょうがない。
好かれたくてやってないし、自分でも必要不可欠な仕事ではないと思ってきた。
自分で物件探して/客探して交渉して直接契約すれば不動産屋も仲介手数料も不要だ。

でも不動産で飯を食ってきて、
「自分で物件探して/客探して交渉して直接契約する」ことは難しいと私は知った。

これは自己弁護でもあるけれど、金をもらってやるような仕事はなんであれ、それなりに労力が必要だ。
家を買う時に自分で空き地に出向いて登記簿を調べて地主を尋ねて売買交渉をして契約して、
家を立ててくれる土建屋を探して交渉して、トラブルのないよう各種の契約を結べる人を、私は都会では見たことがない。田舎ではいる。
キャッシュで買うんでなければ、金の用立ても必要だ。となれば銀行の世話にもなる。
家を貸す/借りる時に仲介を入れない人はさらに見ない。トラブルはより多いからだ。

そしてそれ以前に、人に丁寧に説明してもらわないと内容を理解できない人は思いの外多い。
営業に一番必要な資質は面倒見の良さだと私は思う。
世の中はスマート人材ばかりではないから、多くの人が人の手を必要とする。
売り物全部ネットで安く買える家電量販店ですら、楽でなくとも営業できる程度に人は来る。
世の中自分で全部できる人ばかりじゃない。
重説すらスムーズに進められない人も結構見てきた。

業界問わず、コロナ関係なく、営業不要論は比較的ポピュラーだ。
やる方も受ける方も営業が嫌いな人は多いし、いい物や求められるものは自然に売れるとか、金を使った広告の力には勝てないとか、自分で調べるのがバイアスが掛からなくて一番だと言う人も少なくない。

全く現場を知らないバカの戯言であると私は断言するね。

結局人の手が物を売るんだ。生活必需品ですらもそうだ。
そしてそれに付随して、売れる優れたものも多いし、儲かる人たちもいる。
だから私は自分の仕事を卑下しない。
必ずどこかで役に立つと思っているし、役に立たない仕事なんてない。

エッセンシャルワークは人によって違う。
必要とされるから対価をいただけるんだという姿勢はいついかなる時も忘れてはならないと思うし、全てのノンエッセンシャルだと言われた労働者にも覚えていてほしい言葉だ。

全ての人がエッセンシャルだと、私は何度でも言っていきます。
お読みいただきありがとうございました。

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