「優先」を義務化したがる人の思考分析

こんばんは。Yuriです。

Twitterでは流れてしまいそうな、むしろ流した方がよさそうな、燃えた思考の奔流を記録しておきたくて、noteを始めました。何せ飽きっぽいので続くか分かりませんが、よろしくお願いします。

先日、バズった以下のツイートについて考えたことが色々と多かったので、章立てして書いていきます。よろしければおつきあいください。

ベビーカーがエレベーターの順番を並んで待ってたら、アフリカ人が前に並んでた中年男性を追い出して先にベビーカーを乗せてくれた!
アフリカ人かっけえ!感動した!という話。
1/26時点のこのツイートでは、
①松川記者自身がベビーカー利用当事者であったこと
②エレベーターが優先エレベーターであったこと
は明かされていませんでした。
後述する後発記事にて上記は明らかになりますが、その前の段階で、私は以下のリプライを、正確にはフォロワーの肯定的なリプライにつける形で、送りました。

順番を先回しにされるだけの理由が素で分からなかったんですよね。
前述のとおり、優先エレベーターであるという前提は後出しだったので、後からついたリプライには理不尽だなとも思いましたが、それでも反発は想定していました。しかし、来たリプライの内容に私は驚きました。
「優先」はルールである、義務である。だから順番を譲るべきだ、先回しすべきだ、とするリプライが大半を占めたのです。
私が抱いた疑問、その分析について以下、述べていきます。

(1)「優先はルールである、義務である」と主張する人がいる理由

「優先」はルールである、義務である。
だから順番を譲るべきだ、先回しすべきだ。
というリプライが多く届いたことで、
「なぜ、優先を義務にすることにこの人たちは固執するのだろう」
「優先を義務化したらどれほどの、どのような得があるのだろう」
と、私は考えました。

現在、「優先」は基本的に個人の善意によって運用されています。
原則、順番に並ぶ。譲れる人は譲り、譲られた人は感謝しつつ先に乗る。
譲ってほしい理由があれば個別で交渉する。
それが「優先」であり、エレベーターを必要とする人を柔軟に受け入れながら、個人の自由な善意が様々な人を助けてきたのだ、と私は思います。
順番の「優先」は個人が自由な善意によってするもので、他人が他人を後回しでも良さそうだとジャッジして、強制していいものではないと思っています。

ベビーカーには順番を先回しにされるべき理由がないと、私は個人的に思っています。
子を産むこともベビーカーでの外出も自身で選んだのだから、スーツケースを引く観光客やスポーツバッグや楽器ケースを持つ健常者へと同じく、私はベビーカーに自分の順番は差し出さない、と表明しました。
しかし、他人がベビーカーに自分の順番を譲るのは自由ですし、それを止めたりバカにしたりもしない、と繰り返し表明しています。

私の考え方が万人に受け入れられるとは当然思っていません。
しかし、予想していた形である、
「あなたがベビーカー優先は義務ではない、順番は譲りたくないと言っても、私はベビーカーに順番を譲る。あなたみたいな人ではなく、ベビーカーに順番を譲りたい人が多くなればいいと思う」
と言う人がなぜこんなにも少ないのか、と疑問でした。

「優先はルールで義務だ、順番は善意ではなく当然に譲るものだ」
と言う人が大量発生したのはなぜか。それは彼ら彼女らが、
自由な善意に頼るのでは不安定で不十分、しかも労力がかかって大変だと考えているからではないかと私は考えました。

(2)優先の義務化は泥棒の始まり

善意の話なので、募金に例えてみましょう。

私たちには自分のお金を募金する自由があります。
私たちは募金先を個別の事情、好き嫌い、妥当性を感じたかどうか等によって自由に選べます。赤十字でも、被災地でも、特定の病気の子でも、子育て応援基金でも、学校でも、スポーツチームや楽団でも、あなたが肩入れする団体に自由に自分のお金を差し出せます。善意には義務も貴賤もありませんからね。
もちろん、余裕がないから募金はできない、そもそも募金なんてしたくない、という自由もあります。それも謗られることではないです。

募金を呼びかける自由もあります。街角で、ポスターで、ネット上で、募金をお願いしたっていいです。それを聞いた人たちには募金する自由もありますし、募金しない自由も保持されています。

募金をするのは自由です。
募金の呼びかけや交渉をするのも自由です。

しかし、他人の財布に手を突っ込んで、これは良いことに使うんだから寄越せとお金を強奪することは、自由の範疇には入っていない。それは泥棒だ。
と、私は考えています。

「優先」は個人の自由な善意に頼るものという点では、募金と同じです。
自分の順番を差し出すのは自由、呼びかけるのも自由。
しかし、他人に他人の順番を差し出させる自由はないのです。It is 泥棒。

「優先」を義務化したい人たちは、泥棒扱いされずにこの自由を手に入れたいのだと感じました。

(3)泥棒?いいえ、税金です。

泥棒なんて人聞きが悪いじゃないか!
順番を譲りたくない理由をTwitterに飽き足らずnote始めてまでこんな長文で書くの、キモイ!アウトロー!サイコパス!悪い市民!という数々の罵倒がさらに積み重なっていきそうだなと思いますが、もう今更なのであと少し、おつきあいください。

ベビーカーは順番を抜かしていいと思っているんですね?と私が言うと、そんなこと言ってない!とものすごく反発されたんですよね。
それで思ったのは、皆さん自分は他人の順番を強奪する泥棒ではないというんだな、自らの手を汚したくないんだな、ということでした。
そもそも、あたしに順番を譲って!と一生懸命に表明するほどには、順番を切実には欲していないんですね。
松川記者のツイートでも、本人は「混んでるし並ぶのだるいな」としか考えてなかったわけです。そしたらアフリカ人が実行犯になって順番を強奪してくれて、しかも強そうだから誰も文句言わなくて、労せずして順番だけがもたらされてラッキー!って話です。
これでひらめいちゃったんですよね。自分が言わなくても他人が順番譲るのが当たり前になればいいんだって。

これを手を汚さずに再現するためには、善意を「税金」化すればいい。

募金のように、不安定な善意に呼びかけ、感謝して譲られる必要なく、
泥棒のように、「私は譲られるべき人なんだからお前の順番を譲れ」と自分が悪人になってでも善意を強奪する必要なく、
税金のように、
不安定な善意に頼らず、感謝コストを払うことなく、多くの人に疑問や反発を抱かせず、抱いても拒めないように、よき市民なら譲るべきものとして、当然に順番を譲られたい。

善意を自分ではない存在が自分に割り振ってくれる税金として義務化したい、というのが、「優先」を義務化したがる人たちの真の目的であり手段なのだな、と私は考えました。

(4)優先対象者以外どうでもいい系の「優しさ」

エレベーターに乗らなくていいやつは優先対象者に順番を譲れよ、と言う人たちは、その人が何を以てエレベーターが必要ない人であるのかどうやって判定するんだろう、と疑問に思っていました。
松川記者の後発記事とその写真を見て、私は疑問を解消しました。

画像1

ここに表示されている優先対象者、全員見て分かる属性なんですよね。
そりゃジャッジも簡単だと思いました。優先を義務化するということは、見て分からない弱者や、対象になれない人を、並んでもエレベーターに乗れなくさせる、締め出しだと思いました。
いやはや、おぞましいですね。私には到底受け入れられません。
これが「優しさ」って手軽でいいですよね。

(5)まとめ

私は他称が示すように、それを否定する気がない程度には善意のない人間だと自覚しています。しかしそれでも、善意そのものについては文句なしに素晴らしいものだとも思っています。
善意を義務だと思う人が多いことは、善意そのものの価値を大幅に衰退させる上、優先対象から外れる人に対しては今までと比較にならないほど厳しい環境で暮らすことを強いられます。
私はヘルプマークを持っており、その理不尽に黙っていることができませんでした。これからも黙っている気はありません。

長文お読みいただき、ありがとうございました。

以上。

友梨(Yuri)


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