エッセンシャルワーカーという言葉が嫌いだ。前編

タイトルが全てなので、前書きはない。

この言葉を使う人は、
エッセンシャルワーカーと見なした者は世の中がどうであれ働かせる生贄にしてよく、
そうでないと見なした者からは生業や生き甲斐を奪ってもよいのだと、
無自覚・自覚を問わず、考えているように私には思えてならない。

このnoteでは、エッセンシャルワーカーとそうでない者への両方に対する、
エッセンシャルワーカー認定による搾取について、私の感じる印象を描いていきたい。
なお、私自身はノンエッセンシャルワーカーである。
まず、エッセンシャルワーカー側の話をする。

一般的な定義として、エッセンシャルワーカーとは以下の職種を指すらしい。

①医療従事者
②公務員
③電気・ガス等のインフラ関係職
④スーパー・コンビニ・薬局店員
⑤介護士、保育士
⑥公共交通機関・トラック等の運転手

まず、①②③はともかく、④⑤⑥がエッセンシャルワーカーとして
緊急事態でも働くべきだと言われることに、私は強烈な違和感を抱いている。
コロナ禍に限った話ではなく、特に④の小売店員について、災害時から考えていたことだ。

赤木智弘氏のこの記事を、私は何度も読み返した。

日本の都会に暮らしてみると、コンビニはもはやインフラだ。
私も当たり前のように、買い物のみならず荷物の受け取りや配送をもコンビニを使ってやっている。
ただ、災害時にコンビニ店員や、本部の奴隷と言われるオーナーが最低時給クラスの給料で、
「社会のために」と使命感、責任感を求められて当たり前とされているのはおかしいのではという警鐘に、私は予てから危機感を覚えていた。
これは「お客様のために」名ばかり管理職の店長にもフリーター店員にも長時間労働をさせる、典型的なブラック企業の構図と同じだからだ。

「あなたはエッセンシャルワーカーよ」
「あなたがいないと困る人が大勢いるの」
と言う人は、いつだって搾取する側の人ではなかっただろうか。
普段、ブラック企業大賞に選ばれるような会社や、竹中平蔵のような隙あらば労働者の立場を弱めんとする経済人に憤る人が、
自分も平時から、緊急事態となれば尚のこと、極めて弱い立場に置かれるアルバイト等の非正規や名ばかり管理職に、便利な生贄になることを求めていやしないか。

勿論、こういうことを言うと、
「嫌なら辞めればいい」
「好きでやっているんだろう」
という意見を非常によくいただく。
全ての派遣社員が好きで派遣をやっていると信じている人が世の中には大勢いる。
本当に好きで派遣社員をやっている人もいるから、一概に否定はできないけれど。

実際、ブラック企業は辞めた方がいい。
一方でどんな仕事も、借金のカタに売られたとか、知的障害者を騙して働かせたとかでない限りは、積極的でも消極的でも本人の選択によって、就労していると見なされても仕方ないと私は思っている。
どんな仕事でも嫌々やっている人もいて、好きでやっている人もいるし、辞めたり辞めなかったりする。
私は悪名高い不動産屋のワンルーム営業(ワンルームゴリラで検索してほしい)をやっていて、
ノルマやガン詰めが嫌でしょうがなかったけれど、経歴を問わないところ、完全実力(営業力)主義なところ、新人でも高給取りになれるところは好きだった。
土方も風俗嬢もトラック運転手も皆それぞれ同じように、嫌いなところと好きなところを天秤にかけて仕事をしているんだろう。
そして天秤が嫌な方に傾けば辞める。私はそうした。

しかしそれはそれだ。
嫌で辞める自由があるということと、辞めないから嫌なことがないのはイコールではないし、
好きでやっている人からでも搾取をしていいわけではないし、ましてや生贄にしていいわけでもない。

労働条件に不満があるというのは、恥ずかしくもなんともない当たり前のことだ。
「好きでやっているんだろう」と他人に言いながら、その口を塞ごうとする人の言うことなんて聞くべきではない。

私には⑤の介護士や保育士をやっている友達が結構いるけれど、彼ら彼女らはちゃんと選んでその仕事をしている。
やりがいと感謝を求めて利用者様のために働くことを選んでいる。
決して、他にできる仕事がないからやらざるをえなかったと思う人たちばかりが就く仕事じゃない。

しかし、かの業界がブラックであることは誰もが知ることで、それはまさに、やりがい搾取や責任感搾取だ。
さらにコロナ禍では、④の小売以上に、⑤の介護士や保育士等は、高齢者様やお子様に触れる尊い職業なのだから、
「プライベートの」旅行や都会への外出、観劇、ライブやスポーツの観戦、バンド活動等の趣味を捨て、
家と職場の往復と最低限の生命維持活動のみして生きろと言う人が散見された。
業務時間中に感染予防に努めろというなら分かる。
体調が悪ければ出勤するなと他の職より強く言われるのも妥当だろう。
しかし、職業のためにプライベートを制限されるのは、並み居るブラック企業の中でも最悪級のパワハラではないだろうか。
ワタミが従業員の数少ない休日の一部を、ボランティアや社長の本の感想文に費やさせたことも大概叩かれていたと思う。
高齢者様やお子様のためと言って従業員の休日の過ごし方を完全に支配しようとするのは、当然に許されないことであろうと思う。

「やりがい搾取が嫌ならやめろ」と言う人たちは、彼ら彼女らを舐めているとしか思えない。
彼ら彼女らは使命感をもって、ある意味「好きで」やっている仕事を続けるために、労働条件や給料に対する不満を言っている。
その口を塞ぐ権利が他者にあるのだろうか。
接客業なのに人と話すのが嫌だとか、介護士だけど老人が嫌いだとか言うなら、それは辞めろと言われても仕方ないだろう。
しかし、休日の過ごし方を支配されたくないと言うのは、ごく当然の願いではないだろうか。

①の医者や②の公務員、③のインフラなんかにしても、彼ら彼女らはよくも悪くもただの人として扱わなければならないと思う。
儲からないコロナはやりたくないし、バカの相手にもうんざりしている。
あって当然という顔をされたくないと思っている普通の人たちなんである。
彼ら彼女らは神聖な方々などではない。
たまたま必要性が高いからといって、他人に命令する権利を持っているわけでもない。
国民は言うことを聞きたければ聞けばいいけれど、聞かないのも選択肢の一つだと認識すべきだと思う。

私の父は⑥のトラック運転手をやっている。
お父さんエッセンシャルワーカーらしいよ、と話したら、父は鼻で笑っていた。
曰く、誰も運転手に、暖かいどころか人を見る目すら向けてこなかったと。
実際に私にも、父の職業を話して見下された経験がある。
それを今更エッセンシャルだと言う人は、「都合のいい奴」がいないと困るだけなんだろ、と父は言った。

私は父から、
「何事にも誰が得をするかだけは常に考えろ」
と言われながら育った。
貧乏で育ちが悪いなりに、生きる力を身につけるためのライフハックは与えられた。

「エッセンシャルワーカー」という言葉を使って、得をするのは誰なんだろうと考える。

もう答えは出ていて、つまりは結局、
「都合のいい奴がいないと困る人」が、「俺のためにお前は都合よく働け」と言いたいがために、その本音を覆い隠すのに、
「あなたはエッセンシャルワーカーだ」と言っているのだと私は結論付ける。

エッセンシャルワーカーという言葉で、他人を都合のいい奴であらせようとする人に抗うためにも、エッセンシャルワーカーという言葉は使うべきではないと私は考えている。

ノンエッセンシャルワーカー側への話は気が向いたら書きます。暫しお待ちください。

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