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おやすみナターシャすてきな夢を

アベンジャーズの最終作品、エンドゲームを公開初日のレイトショーで観た。

会場はカップルもいれば男性数名のグループ、外国人グループなど様々だった。私の席の隣にはダブダブのスーツを着た新卒らしき小柄な男性が1人、一抱えもあるポップコーンのバスケットを持って参戦していた。ジュースは無かった。おーさすが。3時間の長丁場で休憩無しのため飲み物は控えてと公式からの呼びかけがあったのだ。会場はなかなかにコアな、この日を待ちわびた人々であふれていたのだった。

私もこれまでアベンジャーズ関連作品は映画をひと通りと、ドラマを数作品観ているが、なかなか身近でそういう人と会うことはない。でも今日ここにいる人はみんなそんな人々なんだ、と思うと嬉しかった。鑑賞中もみんなで大いに笑い、展開に唸り、息を呑み、すすり泣いたりしていた。その3時間はあまりに短かった。普段あまり映画館に行かない私の、人生でいちばん楽しい、愛すべき映画館経験だったかもしれない。

内容について

サノスによって人類の半分が消滅して5年、という設定。この間それぞれがそれぞれに悲しみと向き合い、苦しんでいたのだった。

ナターシャとスティーブは、救えなかった人たちへの贖罪かのように自分の果たすべき責務を粛々とこなし、手のひらに残った世界をもう少しも失わないように守り続けていた。
ナターシャの髪型がいつもと違って最高に可愛かった。燃えるような赤い髪の先端は白く脱色され、全体にレイヤーが入ったシャビーな印象になっている。これまではセクシーなブロンドや、出来る女っぽいボブで余裕を醸すような印象だったんだけど、今回はそれとは違う。態度にも余裕がない。常に相手より上手の立ち回りをしてきた彼女が、込み上げる感情を振り切るように職務をこなすギリギリさは、さながら兄弟の面倒を見ながら両親の帰りを待つ幼い長女の祈りの様だった。シリーズを通して、組織は彼女にとっての唯一の家族と呼べるものになっていた。そして彼女はやっと築き上げて手にしたその大半を一度になくしたのだった。

(今度こそ本当に、時間をかけて)死を覚悟しておきながら奇跡の生還を遂げたスタークは、野心や好奇心、世のために何かを成そうとすることをやめ、子どもを作り、半径5mの世界で完結する穏やかな普通の人生を望み、郊外で家族と暮らしていた。そして、それとは対象的に家族を失ったバートンは再び闇へと堕ちていった。(そしてこの対比も後の展開でうまくきいてくる。)

自分の無力を責めたバナー博士はハルクを受け入れ、科学を駆使してあの時そうありたかった自分を再現した。科学者らしい執念だった。実験は成功したが、その研究は自分の感情を清算するための束の間の空虚な没頭だったことはその後の一層自虐さを増した態度に現れていた。
私がアベンジャーズシリーズでいちばん好きなセリフは、バナー博士の
“That’s my secret, Captain. I’m always angry.”
(秘密にしてたけど、僕はいつも怒ってる)
というセリフだ。これは本当にしびれた。そう、そうなんだよ。私達は普段自分のほんとうの姿も主張も押し殺してる。あれだけ繊細で賢い人間の普段感じている憤りなんて想像すらできない。
怒りの源泉は悲しみだと思う。悲しみに着火できるだけの希望があるとき人は怒るんだと思うけど、怒ることをやめたハルク(バナー博士)はもうわずかな希望も絶えてしまったように見えた。

いちばんハッとしたのがソーだ。バナー博士とスティーブがソーと再会するシーンは会場に爆発的な笑いをもたらした。太っている…あの筋肉美でおなじみのソーが見るに耐えないメタボになっている…。嘘だと言ってくれ…しかもアル中でイキリネトゲ廃人の引きこもりという私でも勝てないくらいのダメ役満っぷり。アンタ神様やろというツッコミも聞こえてくるようなこのギャップに観客は沸いた。

でもひとしきり笑ったあとゾッとした。それは彼がうまく過去と向き合えずに逃避し、心も身体も蝕まれたまま誰にも支えられる事なく、ひとりで抱えきれないトラウマに苛まれるがまま5年の間セルフネグレクトを続けてきた証拠だった。あまりにも悲しかった。彼は神様だった。純真で子供っぽく、鈍感だけど人が良くいつも心のままに正しい判断ができる無敵の神様のはずだった。でもだからこそ自分のせいで失われた、誰より長く生きて守ってきた世界すべてから逃避する必要があった。自分が管轄していない架空の世界へ。
ああ、これは世の中にごまんといる典型的なダメ人間として笑って見過ごされてきた人たちへの眼差しだと思った。愛じゃん?すごくね?え違う?まぁその時リアルに引きこもりのゲーマーだった私にはそう見えたんです。

当時映画を観てすぐ、2019年5月1日の私がまとまった文を書いたのはここまでで、ここからはもう12月。半年以上経ってしまえば別人だけど続きを。

そう、ナターシャ。

思い出すと本当に泣いちゃうから今泣いてるんだけど、元はナターシャを亡くしてしまった悲しさを書こうとしたんだった。

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結局書けなくて2020年の4月になっちゃった。

本来ならブラック・ウィドウの公開日だったんだけど、そんな場合じゃなくなっちゃったな。また書こう…。



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