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アラビアンナイト珈琲店『藝能M』⓶神妙なる飲み物(仮草稿)


神妙な飲み物
薫りは途端あなたを目覚めさせ心を開く
一口ふたくちあじわえば 天とあなたと地を結び
あなたの身体は蜜月を迎える
 
黒き珈琲あらゆる光を含み
あらゆる色を内包し
あなたの中で眠る色を目覚めさせ
あなたに必要な色を見せる
 
神妙なる珈琲 いかがですか?

 ■神妙なる珈琲
「こちらメニューです」
芽衣は柔らかい手つきでメニューを置いた。
「本日の珈琲は、パナマ産ゲイシャです」
Xの豊かな艶のある黒髪が動いた。視線は机から離れたが遥か遠くでもここでもない何かをじっとみているようであった。数秒の沈黙は分単位に感ぜられた。
「それで、それで、お願いします」
Xは確かめるように言ってから、ここが定位置とばかりに掌に顔を沈めた。
 少々お待ちください、と芽衣は控えめに言ってひらひらと接客した。彼女は常の様子と何ら変わりはなかったが、翔子は珈琲カップを宙に浮かべたままときが止まっていた。
「おや、このご様子は、翔子さん、お目覚めでしょうか」
「うふふ、そうかもしれませんわ。長らく拝見しておりませんわ」
マスターと芽衣は顔を合わせて微笑んだ。なに、千と1日以上は前彼女がここに来て以来、一言も話さない日が長く続いた。真夏の太陽の日も紫陽花の季節もそれから秋の森が深閑と透き通る日も凍てつく冬も。がとある日に倍速で朗読するかのように話し始めたのだった。「眠りから覚めたのかまだ、眠っているのか、分からない。話すって、こう言う事かしら。心も意見も感情も深い森の場所も知らない湖の底にあったような」それから彼女は留まることなく、当店アラビアンナイト珈琲店について話した。新書1冊分程話したと思われる所で「先にブレーキ方法を知るべきかしら、これは独白、会話はキャッチボール」などと珈琲を飲み落ち着きマスターと芽衣に顔を向け、初めて目を合わせたのであった。

 翔子はXに目を奪われていた。
「あ、あ。ほんもの、ね。ほんもの。そうだわ。X君、いえXさん。いつの間にやら大人のXさん。あ、“さん”で呼ぶことは先生の間では常識ね、ジェンダーレスの新時代、学ランも女子が着ていいそうね、表面的なジェンダーレスとはいえ、それもよし。だって、ほら、物事はそうね、形から入ることもあるから。人は見た目に大きな影響を受ける、鏡に映る自分の姿も含めてよ。お肌の調子に一喜一憂、ルージュで女子、スポーティーな服で普段より活動的に、スーツを着ればお仕事気分、白衣を着ればIQまでアップ。マスターもベストを着れば珈琲マイスターかしら?」
「えぇ」
「タキシードを整えたら、ではないかしら」
「これはこれは」
マスターは鷹揚に笑った。鍛えられた胸筋が衣服の上からも良く分かる。
マスターは、手馴れた様子で珈琲を淹れていている。 黒い液体はビーカーの中で静かに滴下した。
「珈琲は黒いわ」
「えぇ。珈琲の黒はあらゆる可能性の種をふくむ射干玉の黒です」


黒はあらゆる可能性の色
悪魔の色
天使の色
人の色
情熱の赤色も怒りの黒赤色も
紫の魔術も明晰も
白の平和無垢と白紙も
星々を産むブラックホール


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