BFC4 1回戦Cグループ感想

中野真 「三箱三千円」
わ、わからん。徹頭徹尾空回りしている「僕」を描いたものとしては面白く読んだ。だが、この作品がどう受け止められようとしたのかはわからない。これは(純文学とかによくある)ダメ男列伝に連なるものとして書かれているのだろうか?「僕」は本当に神崎を好きなのだろうか? あなたは何についてそんなに惹かれたの? 顔? 顔が好きでセックスがしたいの? 「僕」の思いはひたすら一方的で神崎を理解しようとしているかはわからない。「僕」にとって神崎は「顔」が好きで、セックスがしたい対象で「救いたい」。そうした想いにさらされた神崎が「生きるのは気持ち悪い」というのはわかる。もし自分にこんなふうに思いを寄せる人がいたら、それは気持ち悪いだろう。神崎は本当に、「僕」と付き合っていることをクラス中に知られて学校に来なくなったのだろうか? 「僕」は正直、語り手としてはかなり信用がならない。「僕はわからない」とわかろういうとふりをして自己を正当化して煙に巻こうとしているけれども、古今東西の文学作品でダメ男の独りよがりな言い訳を「名作」として読まされてきた読者は騙せない。神崎のことが好きなのに、彼女のことは何一つわからないないし、実際は分かろうとしてはいない。自分の回路にぶっ込んで理解しようとして「わからない」って言っているだけ。「僕」は死ぬからセックスをして子供を残したい? 誰が育てるのだろう。厨二病真っ最中なのはわかるのだが、うん、まあきもいから神崎は全速力で逃げたんだろう。正解です。逃げ方がいいかどうかはわからないけれど、タバコの灰をスカートから払おうと手を伸ばそうとする男からは逃げていい。
「僕」は、死ぬ必要はないが、まず誰かを好きになる前に、郁達夫でも読んで、「気持ち悪さ」を客観視することをおすすめする。

キム・ミユ 「父との交信」
亡くなった父らしき人物という言い方は正確でない、魂的なものとの交信する話。ユーモラスでわたしは声を上げて笑ったが、不穏な様子も含んでいる。初読時、「ミユ」はなぜ無料体験で終わらせたのだろうとかと思った。お金がないから?(もちろんそれもあるだろう)そのパパに信憑性がないから? 再読して逆ではないかと思った。「ミユ」はこれは自分のパパだと確信したのだ。そして「7年前」のことで成仏できないでいるパパは、最後に「エブリシンイズオーライ」と思いたがり「あんたらええって言ってくれるんやったら」と言ってくる。迷惑をかけていたかもしれないし、それについて「ええっていってくれるんやったら」という水に流してくれというお願い。そして「ミユ」は筆舌に尽くし難いからこそ書かれなかった言葉を言って、パパと手を切ったのだ。パパはおそらく「ミユ」とその母にとって度し難いことをしたことがあるのだろう。そして「ミユ」とその母は「パパ」の生前したことを、もしくはやってきたすべてのことを、それは穏やかに、もしかしたらこの作品のようにユーモラスに見せながら飲み下してきたのではあるまいか。笑顔の下では、怒り狂っていたかもしれない。表面的にはユーモラスに見せ、描きながらもその根底には苦く辛いものが流れていることを示唆しているように見えた。そしてこういう現代の家族はいるな、と思った。幸せそうに見えながら、家族の中にはいろんな複雑なことがあるのだ。私はとても面白く読んだ。この方が描く他のものも読んでみたい。

奈良原生織 「校歌」
初読時ちょっとよくわからなかった、よくわからんが美園先生はかっこいいなと思った。
それから色々グダグダと考えてみると、この作品では、女性キャラクターが主として描かれ男性キャラクターは従として構成されているのだろうと気がついた。(時にわたしの小説を書くときの考え方も役に立っている、のかもしれない)そう考えてみるとこの作品は面白くなる。
世代が別の女性達が四人登場している。かりんの母、美園先生、それにかりんとめーたんだ。この女性達のそれぞれの生き様を考えてみるとちょっと面白い。わたしは実はこれを読みながら、『82年生まれキム・ジヨン』を連想した。なぜかはわからないが、キム・ジヨン的な世代は美園先生のような感じがした。かりんとめーたんはその下の世代だ。
美園先生をみると、ああこの人辛いのだなと感じる。彼女の経歴はどこまで本当なのだろう?本当だとしたら夫とは別居婚で色々と難しいことがあるのだろう、そしてもし嘘だとしたら、まあ人生大変である。他の中学校で一年やってからやってきたというのもまあ、なんかあったんだろうな、と読者に思わせる。
美園先生は大学生の彼氏がいて、ポイ捨てをするダメな大人だが、実は彼女は職業上はかなり頑張っていることが冒頭からうかがえる。仕事をする彼女と実生活をする彼女はかなりの乖離があるのだろう。その乖離が、空虚さが埋められない、といえばとても簡単に彼女を記号化しすぎるが、だが、彼女は思い通りにならない人生を送っていることには変わらない。
かりんちゃんは、キム・ジヨンが粉ミルクを舐めて「さもしい」とおばあちゃんに言われたように、弟と差をつけられている感じがする。かりんちゃんも期待に応えようとして頑張ったんだけどダメだったんだろうか、と思う。悲しい。でもお母さん、たとえ美園先生がそういうダメな先生だったとしても(いや正直職務上ちゃんとしていれば、いいのでは?逮捕は逮捕で彼女は責任を取ればいい)かりんちゃんはしっかり芯を持って生きているではないの、安心しなさいよ、と思った。めーたんと同じ表情をし合っていることからも、彼女はしっかりとした友人を得て、コミュニティの中でしっかりと息づいている。女性の生きる切なさを感じさせつつ、希望を持たせてくれる作品でした。ありがとうございます。

谷脇栗太 「神崎川のザキちゃん」
何かが始まりそうで始まらない。でもワクワクする話だった。町や川をこうやって描くこともできるのか、人とどのような繋がり合いを持っているのか、町自体の雰囲気すら入れることができるのか。わたしは大いに続きが読みたい。今のところだと断片のようで、絵本のように頭の中で映像化される。かつてはるか昔に読んだ穆時英の「上海のフォックストロット」を連想させた。あれも上海という町がすこし違うのだけれど、息づいているように、人々の周りにいるかのように描かれていた。
神崎川のザキちゃんが一体なにをするのかしてしまうのか、極彩色のイラスト入りでぜひ読みたい。

匿名希望 「鉱夫とカナリア」
わたしは好きな作品だった。これは主人公は移民で、英語の非母語話者であろうと思われる。学生だ。(だが果たして何歳の設定なのだろう? 彼らの扮装から見ると中学生にしては少し幼い感じがするが、語り口は中学生でも相当上の方な感じがする)。かつこの主人公は、飛行機に当たり前だが乗ったことがあって、空港の描写があるし、それが新鮮に脳裏に焼き付いていることからそれほど遠くない過去にここにやってきた「新入り」であることがうかがえる。
この話は、おそらくまだクラスには馴染めていない(英語がまだそんなに読めていない)と考えられている主人公を含めて、他のクラスメイトが、炭鉱に一時の不可思議な旅程を体験する話である。
この話の中では、暗闇の中で、いろんなバックグラウンドを持つ子供達は団結する。誰かが暗闇の中で彼女の手を握り、彼女は握り返す。それは彼らは全員が「カナリア」に等しいと感じる時だからだ。そこで一種の一体感が生まれている。
だが、悲しいことに地上に戻ると彼女の隣には誰も座りたがらない。彼女はその疎外感といつも一緒にいるのだろう。その一抹の寂しさと残酷さもあるが、主人公にはおそらく未来にちゃんと友達ができるだろう。そんな感じがした。一筋の暖かさを最後に感じた。


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