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機材と作品の距離(原神玲映像作品集から)

原神はコンピューターが嫌いだ。

いや「嫌い」というより「信用していない」が正しいのかも知れない。
同じ意味でビデオという機器もそんなに好きではなかったのではないかと思う。
彼が大学に入学した当時からビデオによる制作環境はあったのだが、初期の映像作品はとにかくフィルムを多用した。当時アニメーションを制作していたからからフィルムが馴染んでいたということはあるが、それ以上にフィルムに直接画が写し込まれ、物質として映像を扱うことが出来ることが信用に足ると感じたのではないかと思う。映像を作るという行為に手触りを重視していたのだろう。このあたりは彼の音楽制作も共通する。ああ見えて最初はコンピュータを使った音楽制作を否定していた。楽器は演奏するものであって、コンピュータが自動再生するものではないと。しかしバンドのベーシストを経て個人で音楽を制作するようになると、部分的にコンピュータを導入せざるを得なくなり、徐々にではあるがいわゆる打ち込みという音楽制作のスタイルに理解を示し、操作自体にもこだわりを持つようになった。「こんな使い方が出来る」「こうするとリズムにノリが出る」など、すっかり新しいおもちゃに夢中になっていた。

このような気持ちの変化は映像制作のスタイルにも表れた。原神が制作を始めた1989当時の映像制作環境は、アニメーションを制作するには8mmフィルムカメラでコマ撮り撮影をする他なく、作品の確認のためにフィルムラボへ現像を依頼し中二日で仕上がって来たものを確認するしかなかった。しかしカメラ自体はコンパクトで、どこにでも持って行くことが出来たし、適当に撮ったものでも仕上がりが楽しみであった。そんな中で原神は絵を描いたり、人をコマ撮りするなどの手法でいくつかのアニメーションを制作しその後実写作品を撮った。
当時のVHSビデオを使用した編集環境では映像に特殊効果を与えることは難しかった。しかもそれほど画質が良くはない。原神は撮影を質感に特徴のある8mmフィルムカメラで撮影し、投影画像をビデオで再撮影するテレシネで効果を生み出し、さらにビデオエフェクトも併用する画作りをし編集するスタイルとなる。この頃にも「どこのテープが画質が良い」「テレシネにはこの壁の方が写りが良い」など日々あれこれ試し、彼にとっては有用だが僕にはどうかなという情報を細かく教えてくれた。

大学での制作環境がHi-8ビデオに全面移行すると同時に原神の制作スタイルも大きく変わった。Hi-8はVHSに比べ格段に画質が良くなりビデオエフェクターなどの機材も整っていた。しかも彼の好きなスローモーション機能も簡単に使えた。そうした理由により撮影から編集、Hi-8音声トラックのPCMデジタルオーディオを使って音楽のマスタリングまですべてHi-8ビデオで行なうようになった。

制作スタイルと共に映像作品もイメージや音から連想したような作品から今回の収録作品へとつながる、より映画的なアプローチへと変化した。映像と音声の同時収録という、ビデオではすごく当たり前のことに興味を持ったのかも知れない。同時に彼の音楽の制作環境も大きく変化し始めたのもこの頃である。

大学に簡易ではあるがコンピューターミュージックのシステムが導入され、それに原神は大層興味をひかれていた。それまでバカにさえしていたコンピューターミュージックにのめり込み、様々な実験を始めたのである。その後、お兄さんからApple Macintosh SE/30を譲り受け、音楽環境は知人の映像に音楽を提供したギャラで、音源にRoland SC88とアプリケーションとしてOpcode EZ Visionという、大学と同じ機材を揃えた。そのシステムは最後まで基本的に変わっていない。システムを刷新しないのかと何度か話したことはあるのだが、すでに手足のように機材とアプリケーションのことは理解していて身に付いているので、やりたいことは何をどうすればいいのか直ぐわかる、それよりも一から新しいことを覚える時間があるのならば、その時間は作品制作に充てたいと言っていた。

その前後に制作された多重録音による、友人達の作品に提供した初期の音楽を中心にまとめたデモテープ「広い世界」(1991)から、コンピューターミュージックを大幅に採入れた音楽作品集「せまい世界」(1993)へと音楽作品も変化をした。
映像制作環境はダビングによるリニア編集から1995年にはDV規格のデジタルビデオが登場しコンピュータによるノンリニア編集へと大きく変化したために大きく制作のプロセスが変わった。僕自身もこの移行期にはものすごく苦労をした覚えがある。テープ編集で直接的に操作できた早送り、巻き戻しでさえテンポがつかめなかった。映像制作に対する手触りが消失してしまったと言ってもいいのかもしれない。その頃原神の活動は音楽へシフトしたために映像制作はストップしてしまった。

アナログでのビデオ制作環境は、音楽制作と同じくダビングによる編集を行なっていたので、画質の劣化を抑えたり、エフェクトを作るためには工夫が必要だった。その制作のプロセスは彼にとって非常に楽しいものであったに違いない。だからこそノンリニア編集では制作をしなかったのかもしれない。
しかし原神は一度だけノンリニア編集による映像制作をした。それは自身のアルバムLustに収録されている曲「owari no kisetsu」のプロモーションビデオを自身の手によって制作したものだ。この作品でDVカメラにて写された風景は原神作品でおなじみの場所で撮影されたが、どこにでもある風景でなんてことはない映像なのだけれど、やはり原神らしいなぁと思わずにはいられないものであった。さらにMac標準で付属しているiMovieでカット編集(と少しのエフェクト)だけで構成するというのも、昨今の機材や機能に頼り過ぎた作品が多い中、そんなものは一切使うものかという気概も原神らしいなぁと思わずにはいられないのであった。

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この文章は2015年に発売された原神玲映像作品集のブックレットに寄稿したものです。

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