のれんに引かれた黒い線
神保町に「丸香」という讃岐うどん屋がある。このあたりに住んでいる人、このあたりで働いている人で知らない人はいない、超人気店だ。
毎日11時にオープンする丸香だが、うどん玉がなくなるとその時点で閉店となる。なので、夕方行くときなんかは不安でいっぱい。もう頭は完全にうどんで、歯はあの適度なコシを、舌はあのさっぱりしたダシを感じる気満々であるにもかかわらず、ありつけない可能性を残しているからだ。
道中、遠目に白い布が風にゆれるのを見ると、安堵する。開店中は「う・ど・ん」と大きく書かれた三つ叉の白いのれんが軒先に出され、はためくのだ。人気点なのでだいたい並ぶはめになるのだけど、揺れるのれんを眺めながら、メニューをみて今日はどのうどんでいくかと迷う時間は悪くない。
列に加わりながら、今日もやっぱり冷やし肉うどんかな。トッピングは温泉卵で間違いないと考えているとき、白いのれんに、細くて黒い線がたくさん入っていることに気付いた。
それはよく見るとボールペンによってつけられたものだった。店員さんがお店の外で注文を聴き、それを厨房に伝えるため店内に入る。その繰り返しの中で、少しずつ少しずつ足されていく——この店がずっと行列店であり、かつ、その行列を少しでも短くすべく目一杯のサービスをし続けた結果がこの「黒い線」なのだ。なんてかっこいい汚れなんだろうか。
手のまめやペンだこのような、長い研鑽の先に起きる「身体的トラブル」って、なんだかかっこいいんですよね。それのお店バージョンを見た気持ちになりました。のれんが真っ黒になるまで、通いたいと思います。