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角度のフェス、フジロック

7年ぶりにフジロックに行ってきた。あいかわず行くまでがめんどくさかった。

遠いし疲れるし暑いしと思うと、どんどん気持ちが萎えていく。変わりやすい苗場の天気予報を見て、テンションはさらに下がる。今年はYouTube中継があると直前に発表されて、そっちにしたらよかったと後悔もした。

でもその鬱々とした気持ちは、現地に向かう途中で簡単に霧散する。

金曜日、新幹線に乗り込んで発車と同時に忌野清志郎の『田舎へ行こう!』を再生したその瞬間に感情のグラフの縦軸が反転。「NAEBA」と大きく書かれた古ぼけたゲートを見たとき、リストバンドを着けたとき、遠くからズンズン聞こえてくるグリーンステージの低音を聞いたとき……ついさっきまでの憂鬱はジャンプの前の「しゃがみ」だったのかと思えるほど、気分が高揚し、無意識に顔がニヤける。

メインゲートをくぐったときは、ただいま!と叫びたい気分だった。

電子マネー、スマホ撮影、タバコ

ひさびさのフジロック、ほぼすべてのお会計に電子マネーが使えるようになっていて驚いた。

ビールやもちぶた串はもちろん、オフィシャルTシャツや、象印ブースの限定ステンレスマグにまでSuicaやQUICPayが使えて本当に便利だった。使用記録も残るので、使いすぎも防げる。現金でのチャージは特定の場所でしかできないので不便そうにしていた人もいたけど、おサイフケータイならその心配もなし。お店の混雑緩和にも、ひと役かっていたと思う。

賛否がさまざまな場所で議論され、フジロックでも公式には禁止されている写真と動画の撮影。他のフェスだと、スマホとステージの直線上に入って手を頭の上でクロスしてバツ印を作る係の人がいたりするけれど、フジロックにそんな役割の人はいないし、スタッフの目の届くところであっても、撮影を咎められている人は見かけなかった。

個人的に客が撮影→係の人がバツ!!→また客が撮影→係の人がバツ!!!という流れが不毛に思えて好きじゃないのでこれも快適要因。ライブ撮影の賛否について、Twitter中心に自然と議論が起きているのもいいことだと思う。なお個人的には、全フェス・ライブが解禁すればいいのにと思っています。アーカイブ価値とアーティストのブランド棄損を天秤にかけたら、前者に傾くと思うからです。まあそれは、いいや。

タバコがほとんどの場所で吸えるのも、フジロックの特徴だ。この仕様は、非喫煙者ながらあらためていいなと思った。いろんな意見があると思うけれど、個人的にはマナーを守って吸ってもらえればタバコのことは全然気にならないし、むしろ吸えないイライラが引き起こす小さなトラブルや、喫煙スペースが限られるがゆえの渋滞の方が嫌だ。

誰しも好きなモノ、嫌いなモノがあって当然だし、だからこそ、いろんな「嗜好」に寄り添って譲り合った方がいい空間ができると思う。酒を飲む人間としては「場内でビールを飲んでいいエリアはここだけです」と言われると思うとゾッとするから、できるだけ喫煙者のことも尊重したい。

幸いひどいマナー違反はみかけなかったので、喫煙者のみなさんはこの調子でルールを遵守してもらい、フジロックには「喫煙者がもっとも自由に過ごせて、もっともマナーのいいフェス」として生き残って欲しいなと思う。

もちろんライブもみました

ライブもたくさん見た。

思い入れがある人たちは別として、フジロックでは未見の人たちを中心にまわることにしている。各ミュージシャンの紹介文や、友だちのおすすめを頼りに、見たことも聴いたこともない、時には読み方もわからない人たちのステージをみて回った。

20代前半の頃のように、タイムテーブルをぎちぎちに組み、ステージ間を早歩きで移動する欲張りスタイルでたのしむ体力はもうないけれど、全編を見ることにこだわらず、数曲ずつ、学生のときは手が出なかったいいイス(つっても1万ちょっとだけど)に深くこしかけて見るのもまた楽しい。

あまりはしゃがず、可能な限り座って、体力をうまくまわして、できれば月曜日に疲れを残さずと考えて過ごした3日間だったけれど、例外もある。

ハンバートハンバートの1曲目は「MC」

まず、2日目のフィールドオブヘブンに登場したハンバートハンバート。以前もnoteに書いたように、ハンバートには並々ならぬ思い入れがある。20周年イヤーの出演ということもあってちょっとした祝福ムードのなか、登場するなり(いつも通りの)夫婦漫才さながらのMCを披露して、自分たちと客の緊張をほぐした「奇策」がお二人らしくてとても心地よかった。最初3分ほどは演奏せず、「ただの世間話」を披露する度胸がかっこいい。演奏ももちろんすばらしくて、ステージにできるだけ近づいて、晴れ姿を目に焼きつけた。『がんばれお兄ちゃん』でちょっと泣きそうになった。

ボブ・ディランの伝説っぷり

つづいて、やっぱりボブ・ディラン。彼と空間を共有する機会などもうないと思い、できるだけおなじ空気を吸えるよう、近づいて聴いた。世界一ロックなノーベル賞受賞者は、時折笑顔を見せつつ、気持ちよくピアノを弾き語っていた。好きな曲が2曲あるので、そのどっちかだけでもやってくれるといいなと思っていたのだけど、結果はこんな悲しいことになった。

こういうとき「おれに勉強が足りなかったんだ……」と思う自分、権威に弱くてちょっと嫌いだ。

CHAIのすごみ

そして、最終日の夜中、自分なりの「しめ」として見たCHAI。これがまあ、すばらしいライブだった。

VJもいないのに映像とばっちりシンクするリズム隊の力強さも、無駄がなく、それでいて独創的なMCも、つかみばっちりのセットリストもどれも考え尽くされていたように思う。4人のメンバーとそれを支えるスタッフたち全員が「今日このライブで、CHAIの歴史を変える」ということを強く意識していたし、メンバーがそれを120点でやり抜いたように見えた。

この日のライブを目撃した人はこれまで以上にCHAIが好きになっただろうし、彼女らがまたフジロックにやってきたらきっと観に行くと思う。それぐらいインパクトのあるライブだった。かさねがさね、すばらしかった。

「角度の上昇」を目撃できるのがフジロックの醍醐味

「〝高さ〟を見せつけられるより、〝角度〟の上がったライブが好き」

CHAIのライブを一緒に見た友だちと宿に戻り、3日間を振り返りながらそんな話をした。

ミュージシャンの隆盛が折れ線グラフだとして、キャリアや売上によって形づくられる縦軸の絶対的な「高さ」よりも、昨年と比べて、もっと言うとライブ前と比べてどれぐらい「角度」がついたかをぼくは見たい。その角度が大きければ大きいほど心揺さぶられる。

フジロックは、その歴史と国内外の豪華出演者、前述した環境面の快適さ、そして耳の肥えた客とが合わさって、長らくミュージシャン人生の「角度」を上げる場所として機能してきた。若い人であればあるほど「今日ですべてを変える」と意気込んで来るし、それが実力以上のライブにつながることもある。だからたのしいのだと、理解できた。

このままいつまでも、角度をつけるに相応しい場所であり続けて欲しいし、いち参加者/ファンとしてこの素晴らしいフェスに相応しい聞き手でありたいなと思った3日間でした。

スタッフのみなさん、おつかれさまでした。こんないいフェスにたずさわれるの、ちょっとうらやましいです。