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mixi日記を読むと、死にたくなったあとホッとする。

大学生の頃からだから、もう12年以上も主語が「ぼく」の文章を書いてきた。無論、ときどきによって頻度は異なる。今みたいに毎日書いている時期もあったし、1年に数回しか書かなかったこともある。

目的もさまざまだ。

近況報告や何かのレビューめいたものはもちろん、ちょっといやらしい自慢のような気持ちで自分に起こった「かなりいいこと」について書いたこともあった。世界中に向けて書いているふりをしつつも、はっきりと「あなた」を思い浮かべて書いたこともある。

頻度も内容もとても誇れたもんじゃない。「毎日書く」と言っては挫折してきたし、編集者としいう仕事をしているそうも言ってられないのに、ぼくの書くテキストは相も変わらず「つたない」。

でもひとつだけ、自分を褒めたいというか、少しホッとする点がある。それは、過去の自分の文章を読むと常に「死ぬほど下手だな」と思えることだ。これには例外がない。

mixi日記なんて自意識のひどさとスキルのなさがかけ合わさって大変なことになっているし(くるりの岸田さんのまねして毎日「今日の一曲」とか付けてたのが本当にさむい)、前職時代に書いていたブログもよく会社の公式サイトで書かせてもらえたなというレベル。noteだって、アカウントを作って書き始めた頃のものは、とても両目では読めない。片目をほそーく開けてやっと。

そうやって穴があれば入りたい気持ちになれるのは、ほんの少しかもしれないけれど自分に読み書きする力がついた証明でもあると思っている。だから、何かの拍子に自分がむかし書いたものを見つけると、死にたくなるしほっともするのだ。

このnoteもまた、できるだけ早く「死ぬほど下手だな」と思えるといいなと思います。