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映画評を聞きすぎた弊害

ライムスターの宇多丸さんや町山智浩さんをはじめとした人たちによる映画批評が好きでよく読んだり聞いたりするのだけど、過去へ過去へとさかのぼっていくと、不意に「昔好きだった映画が酷評されていた」という場面に出くわす。ぼくにとっては『スター・ウォーズ エピソード1』や『CASSHERN』なんかがそうだ。

ストーリーの矛盾点だとか、演出の意味のなさとか、キャラクターづくりの粗さとかそういう指摘を聞いてから再度映画を観ると、なるほど確かにつまらない。逆もまたしかりで、よく理解できなかった映画の絶賛評を聞いてから観ると、前はわからなかった魅力がそこだけグロス塗ったみたいにキラキラと輝いて見え、感想が一変したりする。

批評を前提として映画を観るようになると、今度はそのまねごとを無意識にはじめてしまう。昨日書いた「写経」の話に近いが、まるで副音声のように、上映中に頭の中で批評家たちがコメントをはじめるのだ。さらにそのコメントを、さも自分のものにようにして、帰り道、同行者にしたり顔で話してしまったりする。

それはそれで楽しいのだけど、果たして「目が肥えた」と言えるのかといえばそれは違うと思っている。

滋賀県の誰も入ってないレイトショーで『CASSHERN』を観て「たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の身体 鉄の悪魔を叩いて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる!」という、キメキメの名のりに素直に「かっこええわー」となっていた18歳当時のぼくのほうがよっぽど幸せだし、正しいし、強いのだ。実際、「誰かが褒めていたから」という理由で観た映画で、こうしてセリフまで覚えているものはほとんどない。繰り返し観るほど好きになった映画もない。

中村勇吾さんがトークショーで「インプットしようとしてインプットしたものはインプットとは言えない」と語ったと聞いて、自分の映画体験の変化を思い出したのでした。自分の反省とは関係なく、下記3つの音声コンテンツはどれもべらぼうにおもしろいのでおすすめです。

・アフター6ジャンクション(金曜日に映画評コーナー「ムービーウォッチメン」あり)
https://radiocloud.jp/archive/a6j

・たまむすび(火曜日に映画評を含むコーナー「アメリカ流れ者」あり)
https://radiocloud.jp/archive/tama954/

・町山智浩の映画塾
https://www.wowow.co.jp/movie/eigajuku/