ドラクエⅪを起動したはずが、気づくとゼルダやってた話
ドラクエⅪが売れている
『ドラゴンクエストXI』の評判がすこぶるいい。PS4版と3DS版の同時発売や、賛否あるオンライン要素の(ほぼ)排除など、徹底的して「文句のつけにくい」仕立てにしたのが効いてるのではないかと思う。最初に買うであろう古参ファンの気持ちを「そうそうこれこれ!」とガッチリつかみ、彼らにいい感じに口コミを広げてもらって拡販していくさくせんがはまったのか、発売後1ヶ月経たずしてすでに300万本を売り上げているという。SNSをみていると、普段ゲームをプレイしない人(主にアラフォー世代)も「ドラクエは別」という感じでこぞってプレイしているのがわかる。
1986年生まれのぼくは「Ⅴ」を小学生のとき友だちに借りて以来、そこそこのドラクエファンとして生きてきた。Ⅲ、Ⅳはリメイク版でクリアしたしⅥ以降のナンバリングタイトルはすべて発売日に購入して、ほとんどをクリアまでプレイしている(Ⅹだけちゃんとやってないので、今度出るSwitch版を買い直す予定)。今回も発売日PS4版を購入し、さっそくプレイした。もちろん、おもしろい。子どものころからずっと好きだった焼肉店が多少舌の肥えたいまでもやっぱりおいしくてうれいしような、そんな安心感とよろこびがあった。
しかしぼくは30分後、最初の「キャンプ」で冒険の書をつけ、PS4のコントローラーを置くことになる……。
うつくしい国ロトゼタシア、うつくしい国ハイラル
ドラクエⅪの背景描写は本当にうつくしい。草は生い茂り、滝は流れ、空は青い。リアリティのある非日常が「ぼうけん」を盛り上げてくれる。
あの山の向こうには何があるんだろう。街が賑わうのだろうか、それとも、おどろおどろしい悪の館が待ち構えるのだろうか。そんなことを考えながら広大な「ロトゼタシア」のフィールドを歩いていてふと思った。
「こんなのも登れないの?」
こんな風に思うのは、ぜんぶゼルダのせいだ。つい先日、ぼくとの長い冒険を終えてハイラル王国を救った英傑リンクなら、今すぐ、どこだって登れるのだ。山や岩壁はもちろん、滝すら登れる。気になった場所には、どんなに遠くだろうが歩いて登って、時にくだって(パラセーリングで)いくことができる。
発売から3ヶ月で75時間、すっかり野を際限なく駆け回ることになれたぼくの脳は、決められた場所にしか行けないドラクエⅪの主人公がもどかしく、何度もジャンプしては、こんな段差も登れないのか……と、その軟弱さに呆れかえるはめになった。
そして自分でも驚くことに、いまぼくはドラクエを起動しなくなり、2ヶ月ぶりに再開したゼルダに没頭する日々を過ごしている。フリーランスが定時出社のサラリーマンに戻ることが難しいように、人は一度手にした自由に弱い。ただいま、ハイラル。ゼルダ、ふたたび。
最後に断っておくのですが、ドラクエⅪはたぶん、めちゃくちゃいいゲームです。冒頭40分でそれが伝わってきました。近いうち、これまた必死になって最後までプレイすることになるでしょう。そして今度は、ゼルダがちょっとめんどくさくなるんですよきっと。
「火ぐらいメラでつけろよ」
ってね。勝手なもんだなあ。