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母親の親友の息子としゃぶしゃぶ

先週は長短や酒量はともかく、楽しい宴席がいくつかあった。

ある晩は、都内のそこそこ有名な大学の野球部でキャッチャーをやっているTと、豚組でしゃぶしゃぶを食べた。彼のとぼくは9つぐらい離れている。なぜそんな人間と接点があるかというと、親同士が仲良しだからだ。彼の母親とぼくの母親は中学時代にソフト部と水泳部でそれぞれ活躍し、互いに認め合う友人同士だった。たぶん、親友気味の。

時を経て、二人は奇遇にも同じ町に嫁いでいくことになる。そこでそれぞれが時間差で息子を産み、それぞれが野球をはじめた。

ぼくが中三になって自分はプロ野球選手になれないと気づいてパワプロに明け暮れていたころ、Tが少年野球のチームに入った。彼は野球にのめりこみ、うちに全巻あった野球マンガ『MAJOR』を毎日のように読みに来ていた。ちゃんとあいさつができて茶目っ気もある、気持ちのいい少年だった。たしか、一度だけキャッチボールをしたことがあるのだけど、その時すでにぼくよりきれいなフォームをしていて、ボールを投げ合うのが恥ずかしかったのを覚えている。Tは紛れもなく「センス○」だった。

ぼくが12年の野球人生を弱小野球部のスタンドで終えた一方で、Tは野球留学の誘いが来るまでに成長。四国の伝統ある高校できっちりレギュラーとなり、甲子園にこそ届かなかったものの、東京の大学から誘いが来るまでになる。

母親に「Tちゃんが野球やめて就活するらしいから、1回相談のってあげて」と言われたのは今年の初頭だった。久しぶりに彼の名前を検索してみると、「T ドラフト」と出た。プロ注(プロ注目の選手)になっとるやんけ……。

親同士が勝手に盛り上がって遠隔で引き合わされた子ども同士の会合がいいものになるわけがない。ほとんどの場合、そのテンションは子どもらに伝播せず、「会った」という事実だけを残して風化していく。あとから母親に「どうやった?」と聴かれても「まあ、大丈夫ちゃう?」ぐらいしか返せないだろうと思って渋谷に向かった。

1月、渋谷で10年ぶりにあったTは、変わらず気持ちのいい少年、いや、青年だった。つとめて謙虚だった。くん付けだったぼくへの呼び名もさん付けになっててこそばゆい。これについては今からでもいいから直してほしい。ふたりでたのしい時間を過ごした。互いの10年を共有し、尊敬し合えたのがよかったと思う。秋のドラフト候補についてもいくつかの知見を得た。

Tは、自分はプロにはなれないと正しく認識し、野球の代わりに人生を賭けられるものを探していた。そのうえ礼儀正しくて、多少の理不尽に耐える精神力があり、(現状では野球に対してのみ発揮されるが)戦略を練る頭がある。母親には「うん。大丈夫」と返しておいた。

ぼくの予想通り彼は複数の内定を得て、誰もが知る会社への就職を決めた。先週はそのお祝い。互の親の話題で笑い合った。これ、ぼくが親なら相当うれしい状況なんだけどどうなんだろう。友だちの子ども同士が友だちって、最高じゃないですか? Tはやっぱりいいやつなので、もし何か間違って会社をつくることになったら営業マンで誘おうと思う。

長くなってしまったので、他の飲み会の話はまた今度。