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頭のなかのモヤモヤを言葉にする方法〜「『言葉にできる』は武器になる。」を読んで

頭のなかのモヤモヤを言葉にできる人に憧れる。自分の言いたいことがすっと出てくる人は、それだけで尊敬する。芸人さんのラジオを聴いていて、自分が体験した出来事の事実を伝えるだけでなく、そのときに自分が感じた怒りや喜びといった感情まで言語化している話を聴くと、これだけ話せたら、本当に気持ちいいだろうなと感じる。

ではモヤモヤを言葉にするには、どうしたら良いのか。いつものように、本に答えを求めた。いくつか読んでみて、一番しっくり来たのが『「言葉にできる」は武器になる。』だった。この本には、言葉は「外に向かう言葉」と「内なる言葉」の2種類があるという話から始まる。理系にも関わらず、コピーライターになった著者は、人を動かす言葉を手っ取り早く身につけるために、伝える技術が書かれたスキル本の類を読み漁ったという。しかしスキル本に書かれた内容を自分事として応用することに限界を感じ、そもそも言葉って?という根本的な疑問に向き合うようになった。

その結果、外に向かう言葉じゃなく、まずは内なる言葉を育てる必要があることに気づいたという。

ようは見た目を磨くことに意識を向けるのか、内面を磨くことに意識を向けるのかという話にも似ている。大学デビューだ!と息巻いて、髪を染めるのか、もしくは人に会う機会を増やすのかということにも似てる。いや、違うか。

じゃあ内なる言葉とは何なのか?

それは、話す書くといった表に出していなくとも、頭のなかに浮かんでいる"本当"の言葉(心の声)である。画面越しに芸人さんが体を貼ってる姿を見て、「大変そうだな」と頭のなかで思っている。家のなかにいて、誰とも喋っていないように思えても「今日何しよう」「暇だな」とか、自分の脳内で会話をしているはずだ。

ようは、何も意識することなく瞬間的に脳内に浮かんでいる心の声が、内なる言葉だという。喋ったり書いたりする言葉は、すでに見える化されるため日頃から意識しているはずだ。しかし、脳内に浮かぶ言葉を、言葉として自覚する機会は少ないように思う。

文章を書くときにも、ただの情報の羅列だと読み物として成立しないため、読者が共感するような心の声を見える化してあげたほうが良いといわれる。

例えば「これって誰もが知ってる、当たり前のことだよな」と心のなかで思ったのであれば、「当たり前のことかもしれませんが〜」と読者の心の声を先回りして書いてあげる。「この情報って、難しいな」と感じたのであれば、「なんだかわかりづらいですよね」という前置きを踏まえて、以降で噛み砕いて説明してあげる。このように脳内に浮かぶ言葉を見える化すると、読者との接点が作れるため、情報を伝えることを目的とする文章にも読み物感が宿ってくる。

少し脱線したが、ではこの内なる言葉を自覚する方法は何か?

この本では「1人の時間を確保し、自分自身の内側から湧いてくる言葉に耳を傾ける」という方法をまず伝えている。

アニメを見終わった後に「めちゃくちゃ面白かった!」と感じたのであれば、「今自分はこのアニメを面白いと感じている」ことを最初に自覚する。その上でなぜ面白いと感じたのかをさらに考えてみる。すると、内なる言葉の自覚を起点として、使用する言葉の絶対量を増やしていけるという。

「なぜ面白いと感じたのか?」という問いを立てると、人は自然とその答えを探そうとする。答えを探す手段としてブログなどで、他の人の感想を自覚的に探すといった方法もあるだろう。書かれている内容に自分が共感すれば、それは「なぜ面白いと感じたのか?」と答えとして自分のなかに蓄積される。また、相手が話した感想に自分も共感して、「なぜ面白いと感じたのか?」の答えがわかることもある。

ここで大事なことは、「なぜ面白いと感じたのか?」と答えを探す作業ではない。自分の心が動かされたときに、「なぜ心が動いたのか?」という問いが自然と浮かぶ習慣である。それを習慣化するためには、自分の感じたことを言葉にできる、ようはアウトプットできる場所が必要だ。

芸人さんがエピソードトークをスラスラと話せるのは、ラジオやおしゃべり番組といったアウトプットの場があるからこそ、自分の心が動く出来事に常にアンテナをはっているのだと思う。

とはいえ、まずは内なる言葉を自覚することから始まるのは言うまでもない。その方法は最初に書いた通り、「1人の時間を確保し、自分自身の内側から湧いてくる言葉に耳を傾ける」ことなのだが、これだけではどうも具体性に欠ける。

じゃあ具体的な方法は何か?

それはオーソドックスな方法だが、頭に浮かんでいる言葉を書き出すことである。書き出して見える化することで、自分の心の声を自覚できるようになる。そして書き出した言葉を「なぜ?」「それで?」「本当?」と広げ、深めていく。

この一連の作業を繰り返すことで、心の声の自覚から、なぜ心が動かされたのかを問うまでが習慣化できそうだ。「なぜ心が動いたのか?」という問いが自然と浮かぶようになれば、あとはその答えを探し出す。そして共感する答えを見つけたら、それを自分の考えの1つとして蓄積すればいい。こうやって、頭のモヤモヤが言葉にできるようになってくる。

まとめると、

・まずは心の動きを自覚する(1人の時間の確保して行う自分会議や、書き出して見える化)

・そして、なぜ心が動いたのかを問う

・心が動かされた理由を見つける(最初は外部の本やブログ、人の話などから)

あとこれは、文章を書きながら思ったことだけど、「この本読んでおかなきゃ!」という意識で読む本の内容が身につかないのは、自分の本当の気持ちにあたる内なる言葉を起点にしていないからだと感じた。つまり「この本読んでおかなきゃ!」といった「こうしなければならない」という気持ちは自分の本当の気持ちではないために、インプットも身につきにくいように感じる

よく言われることだが「こうあるべきだ」という思いが先行しすぎると、自分の本来の気持ちがないがしろになってしまい、発する言葉もどこかで借りてきたような説得力のないものになる。企業に合わせて作る就活の自己PRや、インフルエンサーの発言をさも自分が考えたかのように語る意識高い系の人などが、おそらく言葉に力を持たない典型例なのだろう。


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