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心の折れ方  

 恥の多い人生を送ってきました。この出だしをやりたかっただけ。バカのままに生きたい。自分の人生を赤裸々に語ることでお金を稼ぎたい。そういう人たちがTwitter…いや、今はXと呼ぶべきかな?そういうことができる人たちは素晴らしい。私は怪物になりたかった。もちろん比喩的な意味だ。例えばものすごい実績を残したプロ野球選手も”怪物”と言われる。そういうことだ。改めて、私は怪物になりたかった。毎日エッセイを投稿したり、プリンを素手でつかみ歩いたり、オモコロに投稿したり、洗濯機の上で配信をしたり。そういった”普通”とはかけ離れた行動をして活躍をしてる人を見ると嫉妬してしまう…自分にはできなかったと、劣情を抱いてしまう。
 
 太宰治は自分のことをピエロと綴っていたが、自分も昔はそうだったと思える。わざと悪くないの自分が悪いと言ったり、笑わせるためなら醜態をさらしたり、奇人のように周りに振る舞っていました。小学校の卒業する前に書く文集で「将来芸人になるかもしれない人」にランクインしてるあれです。通用してるかは知らないけど。ブサイクネタを披露するたびに、自分が擦り減っていくのはわかっていました。けれどもやめられない。生き方としてそれに依存してしまっているから。小学校という非常に小さい井の中でウケ、世界には通用しないのに思い込んで勝手に絶望していく。まさしくピエロな人生だったと思えますね。

 とはいえこの生き方はやめられない。会社でも自虐ネタやおバカキャラ(実際にバカなのでそこはご愛敬)を演じ、話せばテンパリ、活舌も悪いんのでもごもご喋り、飛躍しら文脈を伝え意味が分からないといわれる日々を過ごしています。悲しいけどこれが現実なのよね。社会は馬鹿には厳しい。でもまぁ笑われるのは印象を与えるんだろうなとか勝手に思い込み明日もあーだこーだ言われる世界に飛び込むのだ。生きるために。

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